2016年8月20日土曜日

天然素材でも不安です!

 「天然素材で安心です!」というような宣伝文句を聞くたびに、うさんくさく感じるのは杉花粉のアレルギーやらで天然素材にさんざんな目にあわされているからだろうか。

 確かに自然界にないので分解されにくいような人工合成物を人間様は作っちまって、そのために自然環境が汚染されてしまったりなんてのを聞くと、天然の方が安心な気がするのは分かるが、人間が作り出した最強レベルの毒であるダイオキシンでも天然の毒であるボツリヌス毒素なんてのに遠くおよばなかったりするのをみると、天然もおっそろしいなと、ゆめゆめ油断はできぬモノと思うのである。
 天然素材だから安全安心だというのは幻想に過ぎないだろう。

 天然の毒物で過去に私がくらった中で最悪だったのは、チャドクガ幼虫の毒で、高校の時に中庭の椿に毛虫が湧いているのに気づかず、窓から出入りするというお行儀の悪いことをしているときに椿に背中を擦ってしまい、しばらくして猛烈なかゆみに襲われた。
 密集している毛虫たちにシャツごしに接触したようで、背中半分ぐらいの広い範囲が気が狂いそうにかゆく悶絶した。皮膚科に行くと首あたりまで赤くただれていたので「毛虫ですね」と一目で先生分かったようでステロイド軟膏を出してもらった。

 毒生物といえばハチにも何度か刺されて痛かったけど、釣ったアイゴとハオコゼにも刺された経験があり、いずれもハチ以上にズキズキに痛かったのを憶えている。
 魚で毒針というと、他にもゴンズイやミノカサゴ、死亡例もあるアカエイ、オニダルマオコゼなんてのも海に行けばいるのでくわばらくわばらである。

 海に行くと魚以外にもおっそろしい毒生物はいて、身近なところではちょうどお盆ごろに海水浴場でもみられるアンドンクラゲなんてのも、水中で見つけて「あっち行け!」と手で追い払おうとしたら逆に水流で引き寄せてしまい水中でアワ食いつつ刺されたりしてヒリヒリと痛かった記憶がある。近い仲間のクラゲには沖縄のハブクラゲやら豪州のオーストラリアウンバチクラゲ(キロネックス)なんていうヒリヒリ程度で済まない人死が出るクラスのもいてこれまたくわばらくわばらという感じである。

 クラゲではカツオノエボシやアカクラゲといった触手の長いクラゲも、釣りしていて要注意である。ルアーのフックとかに触手だけからんで揚がってくることがあったりするけど、見た目ビニール片のようなので不用意に触ると、ビリビリと痺れるような痛みがくる。カツオノエボシをして電気クラゲとは言い得て妙だなと感心するぐらいのビリビリ具合である。

 毒生物って、恐ろしいのとともに、それ故にとても魅力的でもあるとも感じていて、警戒色の青いリングが特徴的なヒョウモンダコとか、アンボイナやタガヤサンミナシなんかのイモガイ系とかも、美しいのもあってとても惹かれるものがある。海で見たことはまだないが怖いもの見たさでいつかお目にかかりたいモノだ。

2016年8月14日日曜日

蝉の一生

ジュィィィィーーーーーーーーーっという鳴き声がたくさん重なって音の圧力を感じるぐらいにアブラゼミが鳴いている。
 今年は特に多い当たり年ではないだろうか?
 学生時代に大学の構内で異様にアブラゼミがわいた年があったことを憶えているが、そのときはセミが手で取れるぐらいの木の低い位置にもたくさんいた。今年の我が家周辺もそこまで多くはないがそれでもかなり多いような気がしている。今でも低い位置に止まっていると思わず捕まえようとしてしまうのだが、今年はその機会が多い。でも若いときと違ってトロくさくなってしまったのかいつも逃げられている。

 アブラゼミって、異様にたくさん羽化する年とそうでもない年があって、アメリカの有名な素数蝉13年ゼミ、17年ゼミと同じように、7年に1回ぐらい当たり年があって、捕食圧をうまく逃れているのじゃないかと思っていた。7も素数であるし漠然とそう思っていた。

 昭和の時代を少年として過ごした我々世代は、アブラゼミの寿命は7年、卵で1年、地中で育つ幼虫が6年目に羽化すると図鑑とかで習ってきたのだが、どうも最近の説ではアブラゼミの寿命は5~8年ぐらいで多少ずれることもあるような書きぶりである。
 となると当たり年は7年ごとというわけではなくて、環境がよかったとかの要因で沢山羽化した年なのかもしれない。

 ネットで調べてみると、中学生が調べたアブラゼミ3年周期説とか、別の報告者のやっぱり7年周期説とかもみつかって面白いが、これだけ身近にたくさんいるアブラゼミの寿命とかがはっきりわからないとか、なかなかに自然は謎にあふれているなあと思うところである。
 セミの一生ぐらい誰か、百でも千でも飼育試験して明らかにしてくれないものだろうかとも正直思う。

 と、儚い命の代名詞でもあるセミの一生について書いていたら、グリーンランドシャークことニシオンデンザメの寿命が400年ぐらいあるとう調査結果がニュースで駆け巡り大いに驚いた。400百年てどうよ!やっぱり自然は謎にあふれている。ゆっくり泳いで急がずながーく生きて大きくなるようだ。日本の近海深くには近い仲間のオンデンザメが棲んでいる。最大7mともいわれる海の怪物である。いつの日か釣ってみたい!

2016年8月10日水曜日

輝くものすべてが金ではない

 スポーツは最近結果だけネットニュースで見ればいいやと思う日々で、オリンピックもその日のダイジェスト番組程度でいいやと思うのだが、格闘技が好きなので柔道だけは注目選手の出る階級ぐらいは朝早くにやってるのを起きて決勝見ておこうかなと見たり見なかったりしている。
 日本発祥のお家芸のはずだが、なかなかに苦戦していて、朝の放送では準決勝ぐらいから始まるのだが、すでに目当ての選手負けてたりして切なくなったりもする。

 オリンピックが開幕する直前、柔道五輪三連覇の天才野村忠宏がレポーターで、五輪連覇し損なった努力家井上康生現監督に直撃インタビューしている番組を見たが、なかなかに味わい深かった。
 男子全階級で金メダルというのが目標だという井上監督に「ほんとにそれ信じてるの?」とか、ぶっちゃけた冷めたコメントをぶちかます天才野村に井上監督が「選手たちがそれを信じてがんばっているのに監督がまず信じてやらなくてどうしますか!」と返すあたりに、井上監督の優しくも熱血な人柄がみてとれる。
 逆にそれが絵空事だと割り切れる冷徹さが、勝負の世界で前人未踏の世界に足を踏み入れた天才野村の天才たるゆえんだろうか。
 なにしろ現役時代、週に3日だかしか練習しないとか、およそ日本人が大好きな努力と根性の正反対にあるようなお方である。
 井上監督が「野村先輩と違って、私なんかはさんざん練習してこれだけ練習したから負けるはずがないとか思うタイプ」とか言っていたが、普通そんなもんだろう。普通といっても井上監督のようにオリンピックで金とれるのは「普通の天才」というところだろうが、連覇するような異常な天才は我々にはよくわからん世界の住人のようである。
 とはいえ、男子ではロンドンでは金メダル0だったのが、まだ重い階級いくつか残る今日時点で既に大野選手が金メダル、普通の天才井上監督にしてよかったなと思うところである。大天才野村は天才過ぎて普通の天才を指導するのはチョット難しいような気がする。

 番組ではこれまた五輪連覇してる女子柔道の谷亮子元選手と天才野村の取った8個!!のメダルを並べるというシーンがあったけど、正直それまで私は三連覇の野村を差し置いて二連覇の谷に国民栄誉賞が与えられているのは不当だと感じていたが、谷元選手の金2銀2銅1の物量を目のあたりにして、これは日本人なら谷の方に国民栄誉賞を与えるしかなかったんだなとちょっと納得した。4年かける5回の20年にわたって五輪でメダルが取れるレベルにあって、かつ天才野村よりはわかりやすい努力家の彼女は日本国民の好みに合っているのだろう。

 野村、谷の両大天才に現役の柔道家で比ぶべき選手は、「野獣」松本薫選手ぐらいかなと思っていたが、残念ながら今回は銅メダルに終わっている。連覇って本当に偉業だな。
 松本選手前回金メダルを取ったロンドン五輪では、場外に逃れようとする相手選手の足を引っ張って場内に引きずり戻して仕留めようとするというショッキングなシーンが繰り返し流れていてすっかり有名になったが、その他にも「待て」がかかるまでは、うずくまっている相手の襟を絞めようとしているように見受けられたり、なかなかに「野獣」のニックネームに恥じない戦闘狂じみた戦いっぷりが小気味よかった。
 今回も、気迫あふれる試合への入り方とか、ちょっと天然入ったインタビューとか、らしい活躍ぶりだったようには思う。

 オリンピックに出るような選手は、はっきりいって皆程度の差はあれ天才といって良いのだろうが、輝ける才能が金メダルを必ずしも保証するものでもなく、金に値するのは各種目階級ごと4年に1人のみで、それ故に取った人間は手放しの賞賛に値するのだと思う。
 まあ、金じゃなくても、あるいはそもそも参加できなくったって、輝かないってわけでもないようには思うけど、人は金ピカの威光にひれ伏すようにできているということか。
 柔道もJUDOという世界的なスポーツになって久しく、もう日本のお家芸というわけでもなくなっているのかもしれない。金でなくてもがっかりせずに選手の健闘に喝采を送るべきなのかなとチョット反省している。

 あと、メダル授与の後で選手が何か謎の物体を記念品としてもらっているのが、なんなんだろうなあれ?歯ブラシ立てという噂は本当だろうか?とへんなところも気になるリオ五輪なのであった。

2016年8月6日土曜日

夏の読書

 暑が夏い!梅雨も明けて夏本番だが、カラッとくそ暑い。
 週の前半は、大気の状態が不安定でゲリラ豪雨が来たりして蒸し暑かった。先日は未明にものすごい雷を伴う豪雨で目が覚めたりした。最近の雨はよくあんなに降るなと思うぐらいにドシャメシャに降る。

 寝苦しい夜に、扇風機かけながら布団に寝転がって眠気が来るまで本を読むというのはなかなかに乙な楽しみだが、暑くて脳みそがトロけそうなのであんまり難しい内容のものは読みたくない。
 こういうときにはサクサク読める面白エッセイなんてのが良い勝負をしてくれる。眠くなったところで区切りをつけてそのまま寝てしまってもいいけんね。

 私の中で面白エッセイといえばオーケン先生とシーナ先生の両先生が双璧である。
 しかしながらオーケン先生は本業がバンドマンなのでそれほど冊数が多くなくて、すでに飽きるぐらい繰り返し読んでしまっているんだな。
 その点シーナ先生は頼もしいぐらいの多産な作家である。
 何しろ月刊やら書き下ろしやらも書きつつ週刊連載のエッセイを一時期2本抱えていたという生産性の高さを誇る。
 このエッセイが面白くて読みやすい。旅の多いシーナ先生の日常をダラダラと書いているだけのようでいて、なぜか面白くて飽きがこない。これってなにげにすごいコトですな。
 週刊エッセイの片方「新宿赤マント」シリーズが終了して、こちらは全部読んでいたが、もう一方の「ナマコのからえばり」シリーズの方はまだ連載中で途中までしか読んでいなかった。
 ここに来てシーナ先生、著書の電子書籍化が進んでいて、ナマコシリーズもキンドル版がドドンと出ていたのでガシガシと読みあさった。やっぱり面白いんだなあ。

 深く考えさせられるような本や、興奮して夢中になってしまうような本ももちろん良いものだが、あんまり深く考えずにサクサク読んで面白いというのも実にありがたいものなんですねえ。

 シーナ先生、エッセイの中で今まで書いてきた書籍が200冊以上と書いていて、半分ぐらい読んだかなという感じだが、残りまだ100冊ぐらいあるかと思うと頼もしい限りである。エッセイの他にもシーナワールドと呼ばれるSF作品とかも好きだし、もちろん紀行文も大好きなのだ。

 これだけ冊数があると、電子化されたタイトルとか見てもどれが既読だかおぼつかない。まあ、でも2回読んでも悪いわけじゃないので読んだことなさそうなのは片っ端から読んでいこうとキッパリと思ったところなのだ。

2016年7月30日土曜日

家にいながらゲットだぜ -君の名は-夏の日の追憶篇

 世の中では「ポケモンGO」が人気のようで、ながらスマホの自転車とかフラフラしていて何だかなあという感じだが、あちこちと歩き回って獲物をゲットするという、狩猟採集の楽しさがあるんだろうなと、全く参加していない私でも想像はできる。楽しそうでようござんす。

 私の場合、釣りで200種以上ゲットとかデジタルじゃなくて現物で狩猟採集の楽しさを味わっているので、今更ポケモンGOに参戦する気も無くポケモンからノケモンになっている状態だが、家でネットしていただけで、釣ったことある魚種に1種類追加があった。イシガキハタゲットだぜ。これで釣ったことあるのは207種である。

 夏休みシーズンで、行く予定があるわけではないけど沖縄のリーフで釣りとかいいなあと、沖縄の釣り人のブログとか読んで楽しんでいたところ、カンモンハタとイシガキハタを見分けている人がいて、そういえばこれまであの手のハタは「イシミーバイ」ということで、全部カンモンハタのつもりで釣っていたけど間違いなかったのだろうかと気になって、過去の写真を見たところ、イシガキハタも釣ってました。お粗末。

 見分け方は、ムナビレの斑点が黒くて体側の黒斑でつながっているものがあるのがカンモンハタで、左の個体が典型。ムナビレに黒点があり、体側にいくつかつながった黒斑が認められる。








 でもって、ムナビレの斑点が赤くて、背中に黒色斑が5つ並ぶのがイシガキハタ。
 右の個体でも背中の黒色斑がセビレの下から尾丙部上部にかけて5個認められる。
 ムナビレの斑点は赤褐色。


 けっこう釣ったことのあるなじみの魚をちゃんと同定しきれていなかったのはお恥ずかしい限りだが、写真撮っておくと後からでも確認できる。

 ハタ類は同定難問ぞろいで、イシミーバイとまとめて呼んでるなかなには、他にもヒトミハタとかスミツキハタもいるはずだけど、写真確認したところ私はまだ釣っていないようだ。


 一つ賢くなって、たぶん街でレアポケモンゲットした人たちに劣らぬぐらい喜んでいる。

 今後も釣ったことない魚をゲットする喜びを求めて、水辺をウロウロとしていきたい。

2016年7月23日土曜日

水難防止

 西日本は梅雨明け宣言がでて、関東も梅雨明けまだっぽいが梅雨の晴れ間は猛暑になっている。

 暑い夏がくると痛ましい水難事故のニュースが絶えない。
 水上オートバイが海水浴客を跳ねて死なせたとか聞くと、やっぱり自分の中で水上オートバイ乗りに対する偏見に近い悪感情が湧くのをとどめることができない。
 どれだけ頭が足りなければ、あんな凶器になり得る機械で人の近くを高速航行しようと考えるのだろうか?理解に苦しむ。
 水上オートバイ関係に限らず、酒に酔って、子供を助けようとして、水難事故自体は水辺で遊ぶ限り可能性としては存在して、全くなくすというのは無理なのかもしれないが、ニュースを聞いていてもう少し注意深かったり、ちゃんとした知識があったりすれば避けられたものもあったのではないかと思わずにいられない。

 昔なら地域の共同体の中で、いっちゃいけないような危ない水辺の知識が共有されていたり、親から子へ孫へと水で遊ぶ時の心得が伝授されていたりしていたのが、都会的な個人主義と核家族化の時代になってそういうものが断絶してしまっているように感じる。

 たとえば、私が父親に教えられたことで印象的で憶えている教えは「溺れている人間を泳いで助けに行くな」ということである。なにを非人道的なことを言っているのかと思うかもしれないが、溺れるものは藁をもつかむで、溺れそうな人間は必死でしがみついてくるので、大人と子供の体格差があっても、足の着かない水深で直接抱き止めて救助しようとすると失敗して二重遭難になる可能性が高いからである。正しくはつかまることのできる「浮き」や「ロープ」を投げてつかまらせるのが最善手(クーラーボックスや防水バック、衣類をつないだものなどが使える。みんなで手をつないで引っ張るのもあり)。沈んでおとなしくなったのを引っ張りあげて人工呼吸で蘇生させるというのも次善の策。沈んですぐに引き上げて蘇生しない確率はおそらく、泳いで助けに行って二重遭難にはまる確率より低いはず。
 というようなことを我が父親の世代は身に付いた知識として知っていて子供に教えることができた。

 ひるがえって今時の親をみると、すべてとはいわないがちょっとびっくりするような事例を散見する。
 とある河口で、ヒラメをねらっていたとある夏の日。おもいっきり「遊泳禁止」の看板がかかっているにもかかわらず、河口で子供を泳がせる家族がちらほらといた。もちろん子供が遊んでいる波打ち際は危険にはみえないが、ちょっと沖に出てしまうと、もろに川の流れで沖にもっていかれる。注意してやろうかとも思ったが、わりといわゆるDQNっぽい親たちだったので面倒なことになってもいやなので放置してしまった。きちんとなぜ危険なのか説明しておくべきだったと反省している。
 逆にいつものテナガポイントの浅い川岸で子供にテナガ釣りをさせているときに、しきりに「危なくないか?」と気にしているお父さんがいたりして、底の見えてるよな浅場にはまったところでどうもならん、ということがわからない「都会の親」なんだなとちょっと気になった。こういう親は親でちょっと間違うとすべての水辺を「立ち入り禁止」とかにして子供を水辺から離そうとしたりする気配があって危うく感じる。

 我々釣り人も水辺で遊ぶ限り水難事故とは隣り合わせというか、油断すると死にかねない。
 最近は船に乗るときの救命胴衣着用はすっかり定着していてよいことだと思う。私も洋上では救命胴衣かひもを引っ張ると浮き輪が出てくる救命具を身につけている。もう、ないと不安を感じるぐらいで、海外遠征にも持っていって着用している。写真でみると腰につけたポーチのようなものがそれである。

 そういう安全対策の進んできた釣りの世界で、まだまだ危険だなと思うのがウェーディング関係である。

 割とありがちなのが、シーバスねらいの不必要なまでの深みへの立ち込み。ライフジャケットはつけているので、コケても溺死はないのかもしれないが、寒い時期に濡れネズミになれば凍え死にかねんと思うのだが、漁船が行き交う航路沿いでも腰ぐらいまで深く立ち込んでいたりする。
 膝下くらいで釣ってた当方でも釣れてるんだけど、深く立ち込むともっと釣れるのだろうか?そんなに変わらないような気がするがよくわからん。

 もうひとつ、ウェーディングでは川でも水深のある本流などでは救命胴衣を着用するべきということが、徹底されていないように思う。
 ルアーフライやるような釣り人は、コケても手が底につくような浅い渓流をやるようなウェーダー履いてフィッシングベストというおきまりのスタイルで本流もやっているように見受けられる。
 釣り雑誌の実験記事で読んだが、ウェーダー履いてコケるとウェーダーに入った空気で足が浮いてしまい、スケキヨ状態とまでは行かなくとも、顔が水面に出なくなってしまうそうな。
 その状態で水底に手をついて起きあがれない水深だと、そのまま溺れてしまいかねない。
 それを防ぐためには、水深のあるエリアで釣る場合は救命胴衣の着用が必要と実験記事では締めくくられていた。救命胴衣があれば上半身が浮いて顔を水面に出せる。
 その記事を読んでからは、ちょっと不格好でほかの釣り人がやっていなくても、本流で釣るときは救命胴衣をつけて釣っていた。東北時代の話である。 
 もう20年も前のことになるのかと思うと愕然とするが、いまでも本流のルアーフライマンは危なっかしい格好で釣っている人が多いように思う。

 死んだらつまんないので、是非救命胴衣を着用してほしいと書いておく。
 こういうのは雑誌やテレビで活躍するような釣り人が率先してやってくれると普及すると思うんだけどね。

 楽しい水辺の遊びで事故なんて起こすとつまんないので、安全第一で楽しみましょう。

2016年7月17日日曜日

わさび

 ケン一からの釣果報告のメールの中にわさびを刺身の上に乗っけて食うように強要してくるようなグルメについて「漁師でお上品に刺身の一切れ一切れにワサビ載せて食うヤツは断言するけど、いない。100%全員がワサビは醤油に溶いて刺身ドバっと漬けて食う。」と激しく非難しているところがあって、「やっぱりそうだよね」と百の援軍を得た気がした。
 漁師って、その日食う分の魚はわざと活き締めとかせずにタンパク質分解早めに調整して、とかやるぐらいに魚の味の分かってる人種である。

 不肖わたくしめも、父方が漁師町の出身で、うまい刺身はしこたま食ってきたという自負があるが、わさびを使うときは、わさびといいつつ実はセイヨウワサビともいわれる「ホースラディッシュ」が主原料として使われている「練りわさび」を醤油に溶いて刺身を食ってきた。

 本物のわさびを、カスザメの皮製の「おろし」ですりおろして刺身のツマにしたものなんてのは、大人になってちょっと良い値段の飲み屋に行ったときに初めて経験したぐらいで、はっきり言って食べつけていない。一応カッコつけて刺身に乗っけて食ったりしていたが「本わさびってこんな味なんだ」と思うぐらいで、それはそれでおいしいとも感じるが、正直物足りない味だと思っちゃったと恥かしながら書いておこう。

 何度も書いてきたが、味覚なんてのは習慣と偏見の産物であって、粉っぽい練りわさびを醤油の色がドロッと変わるまで溶かして刺身を食ってきた男には、そういう味こそが美味であり、刺身のわさびといえばそういうものなのである。
 本わさびなんて食べつけてないものは、たまのごちそうとしてありがたくいただくべきものかもしれないが、うまい刺身があったら、それに練りさびを醤油に溶いて添えてあったなら「どんぶり飯を盛ってこい!」という感じになるのである。

 にもかかわらず、最近スーパーでチューブの練りわさびを買うと「本わさび」とか表示されていて、原材料にホースラディッシュだけでなく、生意気にも「わさび」も使われていて、わりと粗挽きの粒子状になっている。
 このタイプのわさびが、私がもっとも嫌いなタイプであるにも関わらずそんなんしかチューブタイプは売っていない。
 すりたてでも何でもないので、生わさびの風味なんてぜんぜん感じない上に、醤油への溶けが悪い。何であんなモンが主流になってるのか理解に苦しむ。

 昔のホースラディシュの練りわさびがないものかと探すと、SBの缶入り「粉わさび」が売っている。水で練って使うタイプだが醤油に粉のまま溶かして大丈夫。なのだが、量が多すぎて最後まで使いきる前に辛みが飛んでしまう。

 そのほかには、スーパーで刺身を柵で買うと、ちっちゃなパックでついてくる「わさび」がうれしいことに安っぽいぐらいに粉っぽい昔ながらの練りわさびなのである。
 最近はもっぱら、刺身食うときは練りわさび付きのをねらって食っている。

 というぐらいに、我々ぐらいの世代なら、わさびは粉っぽいホースラディシュ原料のを醤油に溶いて使ってきたはずで、それが「お袋の味」的な味覚の記憶の正直なところであるはずだ。
 老い先短くなってきた我が人生、わさびぐらい好きに食ってもええやろと思う。
 今後も己に正直に、わさびは練りわさびを醤油におもいっきり溶いて刺身を食ってやろうと思うのである。