2018年2月24日土曜日

2月のスナドリネコ

 釣りのことばかり考えている。

 今年の妄想抱負として「釣りとネコのことだけ考えて生きる」と書いたけど、ネコのこともたまに考えているけど、主に釣りのことを考えている。
 働いてたときにも、仕事中でさえ気がつくと週末の釣りの作戦を練っていて、いかんいかん真面目に働かなきゃ、と我に返るような釣りバカぶりだったが、今年はリハビリもクソもとりあえず後回しで、タガを外して釣り優先で突っ走っているが、自分でもどうにもならないぐらいに釣りのことばかり考えてしまって。釣りのことから逃げられない。
 毎日釣りに行ける体力があれば、毎日釣りに行って多少はスッキリするのかも知れないけど、週2日なら余裕あるぐらいだけど3日になると腰だの体調だのが限界っぽいので、多くの日を次の釣りのための準備で悶々とした日々を過ごす。
 釣りに行かない日にジョギング行ったりしているが、ジョギングはそれなりにしんどいけど、釣りに行った後の、体のあちこちが固まってガチガチで精神的にも上がって下がってクッタクタの状態と比べたら、ジョギングの方が単純な体への負荷は大きいのかも知れないが釣りの方が心身共に疲弊してしまうように思う。

 シーバスならヤフーの天気予報と「海快晴」の風予報とタイドグラフを睨みながら、3日行くならどの日が一番釣れて、かつ今までの情報を補える情報が得られるか?雨の釣りはどうか、風はどのくらい吹けばいいのか風向きはどうか、釣り場移動のパターンはいつもの場所スタートで始まりのタイミングが終わったら上下見に行くか、それとも最初から別の場所で始めるか、人山状態だったらかわせる押さえポイントはどこになるか、釣れるのだろうか、釣れなかったらどうしよう。そもそも良い場所取られては入れなかったらどうしよう。下手に考える時間があるので不安が膨らんで釣りに行くまでにすでに冷静さを失うときもある。
 そんな状態で目の前で自分が釣れてないのに、人様に良いのを釣られてしまったりすると、嫉妬、憤怒、情けなさ、信じてもいない神の無慈悲への非難、これまでやってきたことへの不審、今からやらなければならないことについての迷い、これまで生きてきた自分の心の狭さを残念に思い、何があってもやるべき事をヤルだけと迷いなく進めるだけの精神的な強さがないことへの落胆、その時の結果だけをみてもしかたないのに、今目の前にある釣果についてしか見えなくなる近視眼的なものの見方の反省。
 なぜ、たかがシーバス釣りごときでこんなにも心が千々に乱れるのか、シーバス釣れなかったからといってオレが何を失うというのか?
 客観的には何も失わないのかも知れない、でも「釣りのことしか考えない」とまで宣言してタガを外して今の全力でいった情熱の結果が無に帰するというのは、主観的には耐えがたい苦痛である。

 ヘラ釣りでもほとんど一緒。まだ、ヘラ釣りは自分は初心者に毛が生えたレベルといういいわけが自分に対してできるので、デコっても気が楽な部分はある。あるんだけどデコって悔しくないような輩はヘラ釣りなどやめてしまえと心の底から思う。どんな釣りでもそうだと思うけど、自分の持っている知識や技術、道具や情報、総動員して自分なりの勝利を設定して、いかにして昨日釣れなかった魚を今日釣るか、今日釣れなかった魚を今度釣るかに血道をあげずして、何が釣りの楽しさ面白さよといいたい。
 ヘラ釣りではまだ、基本的なところで浮子と仕掛けの自分なりの最適化みたいな作業を季節毎、釣り場毎に合わせてやっている段階なので、釣り場に行けなくても前回反省点を生かして、もっと繊細な細仕掛けで食い込ませる。逆に仕掛けに張りを持たせて感度良好アタリを明確にとる。といろんな方法を想定して浮子も作ってお風呂でオモリの背負い具合をチェックしてというような作業がけっこうある。手を動かして対策を講じていくのは、頭だけで悶々と悩んでいるより、手に触れられる成果が準備段階でもすいぶん生じるので楽しくもある。
 次回「公園池」、最初は普通の段底で入って、アタリが今一取れてないようならフロロの道糸でパリッと張って浮子大きくオモリも大きくで感度良好系の仕掛けを試してみる。
 宙の釣りも、ハリの重さだけで浮子が立つような極端な小浮子の釣りを試してみたい。
 そういった工夫の5~10に一つでもモノになれば御の字である。
 たかが「釣り」、そのための労力、工夫、手間暇を惜しむつもりはない。

 頭のいい人はたかが「釣り」なんて暇つぶしの趣味でしかないことに、人生のリソースを割いても意味ないじゃないか。もっと有意義なことにリソースは重点配分すべき、とサジェスチョンしてくれるかも知れないけど、「リソース」ってなんね?なオレにはピクリとも引っかからない言葉だ。
 じゃあ人が行う有意義なことって何なのよ?仕事して社会に貢献することか?まあ、そういう能力のある人が社会の役に立つ仕事に邁進するのを止める気もないし確かに有意義かも知れない。でも、オレみたいな味噌っかすな社会人がする仕事がそんな有意義なモノかよ。少なくとも自分にとってはオレがやらなくても誰かがやってくれる程度の仕事だと思っている。ってのは自己卑下しすぎだろうか。
 有意義なことが金儲けなんてのだとしたら、正直言って、心の底からどうでもいいよ。

 でも、釣りしない人から見たら釣りなんて「たかが釣り」であり、いい大人が朝から晩まで場合によっては夢の中でまで考えて考えて情熱を傾ける程のモノだとは思えないだろうことも想像できる。
 でも、そんなこといい始めたら今やってる冬季オリンピックの競技なんて、スケートでクルクル回ったりスキー履いてかけっこしたり、飛んだり、ソリで滑ったり。たかが冬の遊びの延長でしかない。
 でもそのたかが冬の遊びの延長に、おのれのすべてを掛けて情熱を持って打ち込むときに、競技者が見せる物語や一瞬に出し切った技量の素晴らしさに、人は心を射貫かれるし、応援していた選手の勝利に歓喜し、負ければ悔し涙さえ流すだろう。
 そのことは、「有意義な金儲け」なんていうどうでも良いことに比べて、とても人間的で人の精神の有り様として高い状態にあるものだと私は思う。
 残念ながら冬季五輪には格闘技がみあたらないのでネットニュースの見だしだけ見て「良かったな~」とか思ってるだけだ。あんまり肩入れしてみてしまうと負けたとき悲しくなってしまうので、そういう心の上下動のための余力は釣りのために温存しておきたいので良い結果だけ見てよろこんでいる。冬の競技でもアイスホッケーが格闘技だという噂も聞くがアイスホッケーマンガ「南国アイスホッケー部」「スピナマラダ!」で勉強したところ、どうも格闘技というよりは球技に近いように思う。けど、南国アイスとかほとんど競技やってないので今一ルール分からんかったので今回も見ていない。

 芸術、スポーツ、芸事、趣味いずれも別にそれがなければ飯が食えなくなるわけじゃない。でも音楽好きなら「ノーミュージックノーライフ」と感じるように、そういう「たかが」楽しみのために人間が行うことにこそ、人間の真に人間らしい部分が垣間見え、人間の高みを目指す精神の素晴らしさが際だって現れるってものだろう。

 有意義とか効率的とか、そういう生臭いものの対岸に「たかが」といわれちゃうような、いうたらお遊びの延長線上のものがあって、遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、な人間の本質がそこにこそ顕現すると私は思う。
 花なんて食用菊でもなければ腹がふくれるわけでなし、そういう意味では「有意義」じゃないけど、まず間違いなく人間が農耕始めた頃には花も育てただろうし、それ以前の狩猟採取時代から花を愛でてたはずだと調べもせずに断言できるぐらいに、たかが美しいだけのものが人には重要だったりするんである。

 今世間は将棋ブームらしくて、今季アニメでも将棋アニメ2本放送されている。将棋なんてまさに将棋強かったからって実生活で何か役に立つかって話で、あえて「たかが将棋」であると言わせてもらう。でも将棋のルールが飛車と角どっちをどっちに置くのかすら分からん門外漢である私でも、たかが将棋の勝負に掛けられるモノすべてを掛けていく登場人物達の熱さに圧倒されっぱなしである。2本とも趣向は違えどどちらも面白い。
 1本はガチガチの名作「3月のライオン」でいつもシーバス釣りに行く川辺の下町あたりが舞台になっていてその風景描写も美しいなか、天才将棋少年としての孤独やらいじめ問題やら硬派なネタにも真っ向勝負でマンガ・アニメとしても勝負してて敬服するんだけど、登場人物で主人公のライバル二階堂君ってのがいて、ウザいぐらい明るくて前向きな子なんだけど、実は体が弱くて長丁場の対局の途中で倒れて入院してしまう。入院開け復帰戦、しばらく離れてて勝負勘が鈍ってるんじゃないだろうか、休んで順位とか厳しくなって落ち込んでないだろうかという主人公達の心配をよそに、入院中ずっと考えていたという将棋で復帰戦を勝って鼻高々に復活する。たとえ病の床にあってでも戦略を考え練りに練り次の機会を虎視眈々と狙う。同じ病弱仲間としてめちゃくちゃ励まされた。そうでしかありえないよな、だって好きなんだもン。という感じだ。
 もう1本の「りゅうおうのおしごと」は、16歳で竜王になった主人公の所に小学生の女の子が押しかけ弟子でやってきて巻き起こる騒動って感じの、いかにも今時なラノベ原作のロリコンなオタク様狙いも透けて見える作品なんだけど、意外と言っては失礼かも知れないけど深夜アニメらしい笑いの中になかなかに熱い闘いが描かれてたりしてこれまた面白いんである。
 「たかが将棋」と作中でも何度か言及されているけど、棋士って人種は将棋の長い歴史の中でアホみたいな情熱を将棋に注いできて今に至るのである。ってのは将棋指さなくても「月下の棋士」とか「ハチワンダイバー」とか「ひらけ駒」とか読んでればある程度察しがつく。
 主人公の姉弟子が「「将棋星人」は、私たちと違う将棋のための特別な感覚器官を持っている。普通の人が将棋星人のいるところに行けば死んでしまうかもしれない。でも私は将棋星人のいるところにまで行きたいと思ってる。」的なことを言ってて、そう思うに至るぐらいに才能ある棋士にたたきのめされてきたはずなのに、あきらめずに高いところを見る目線が問答無用に格好いいじゃん。

 自分も「魚釣り星人」ではなさそうだということは薄々気付いている。
 謙遜していると誤解されると良くないので書いておくと、自分のことを釣りが下手だとはあまり思っていない。釣りの玄人だといってはばからない程度には技術も実績も持っていると自負している。
 でも玄人の中でも「魚釣り星人」達と比べてしまえば、何十年もやってきてなんでこんなに技術的に下手なんだとか、徹底的にセンスがないとか、忍耐力とかに代表される精神的な屈強さがまるでないとか、いくらでもボヤけるし絶望的な気持ちになる。

 他人と比較して自分の価値を貶めるなんて、全くもって幸せに遠いモノの考え方だろうと思う。
 魚釣りは本質的には人と競うモノじゃなく魚と競う遊びのはずである。魚と自分の関係性こそがすべてで他人が何を釣ろうが本来どうでも良いはずである。自分が釣れる魚が最高の獲物のはずである。
 でも、隣の芝生は青い。隣の客はよく柿食う客だ。
 隣が気にならなくなるには、隣なんて比較する必要もないぐらいに優位に立って見下すぐらいの高いところに行かねばならない気がする。少なくともそう思いあがることができる根拠を得るぐらいにはならねばなるまいて。
 掛けられるモノを「たかが釣り」に全部掛けたとして、はたして死ぬまでにそこまで行けるのか、これまで掛けてきた情熱やら時間やらと今の自分の立ち位置がたかだかこのあたりということからかんがみて、はなはだ心もとないけれど、それでももう逃れようもないぐらいにハリはガッチリ掛かってしまっているので、あきらめてもがき苦しむ覚悟を決めるしかないだろうと思っている。

 正直自分は全部掛けてその結果が「敗北」でも良いんじゃないかと思っているのかも知れない。敗者の美学ってのが「あしたのジョー」を読んで育ったオッサンとしては心の底にあるように思っていて、「3月のライオン」でも島田八段が一番ダントツで格好いいと思っている。対局前には胃痛に襲われ飯も食えないような繊細さを持ち二階堂君にも兄者と慕われる面倒見の良い優しい人なんだけど、応援してくれる故郷の後援会の人たちのためになにより自分の誇りのために胃薬飲みながらフラフラになりながら挑むタイトル戦。まあ実在の羽生将棋星人をモデルにしただけあって作中最強の宗谷名人相手に連敗して後がないところまで追い込まれる。ここで島田八段苦労人過去話とか挿入されて物語は盛り上がって観てる方もせめて一矢報いて欲しいと思うのだけど全敗で終わる。終わるんだけどなぜかメチャクチャに島田八段が格好いいんである。努力やら情熱やらひたすらに全力でいっても負けるときは負ける。届かないことがこの世にはある。そのことの持つ尊さ美しさが重くズシンと胸に来るのである。
 オレは「敗北を知りたい」のだろうか?充分知ってるだろ?よく分からん。よく分からんけどどんなに頑張っても届かないことがあるからなお勝利というのは価値があるんだと思うし、それに向かってあがく行為にも価値が生じ得るんじゃないかと思っている。
 敗北を良しとするヌルさは心から排除しなければならないけど、敗北の覚悟も持たなければならない高いところを目指さなければならないとも矛盾するようだけど思う。書いててなんかよく分からんようになってきたけど、やることは単純で、死にものぐるいで力一杯いくだけだろう。

 アホはあんまり考えちゃいかん。

2018年2月17日土曜日

春になれば


 今年の冬はえらく寒くて今が一番寒いぐらいだと信じたいところだけど、ここ2,3日寒波も緩んでて春はそこまでやってきているのかちょっと目がかゆくなってきた。

 この寒いのにちゃんと杉は準備怠りなく今年も花粉を飛ばす気のようだ。

 こちらも一応毎年のことで分かっちゃいるので1月後半ぐらいから抗アレルギー剤を飲んで、毎朝ヨーグルトも食べている。
 加えて今年は、最近やってたNHK「人体」でクロストリジウムの仲間の腸内細菌が免疫の暴走を防ぐメッセージ物質を作っていて、野菜とかキノコとか食物繊維の多い食事をとっていると花粉症などアレルギー症状が緩和されると聞いて、腸内細菌と人間の共生関係の深さに驚くとともに、さっそく意識して食事を作っているのだけど、これがこの冬の寒波が食卓を直撃しているのは奥様ご存じのとおりで、野菜がクソ高い。
 キャベツ1玉398円ってちょっと奥様!マーッどうしましょ。

 野菜がないならキノコを食べればいいじゃない、とマリーアントワネットっぽい台詞を吐きつつ毎日キノコ食いまくっている。
 キノコの菌糸瓶栽培を開発した人は本当に偉い。特にマイタケの栽培技術開発してくれた人には感謝しかない。マイタケ大好き。
 でも葉っぱモノも食べないなとバランス悪いかなと、路地ものハウスものは軒並み高騰でこの時期の茄子がまだ割安に思える始末で、その中で安定した値段なのがモヤシとかかいわれ大根とかの水耕栽培系で、確かに温度管理した室内で生産されているだろうからこういう寒い冬でも安定生産できるんだろう。「食の安全」っていうと「無農薬路地もの」とかが良さそうな印象があって、ある一面ではそうなんだろうけど、やっぱりここでも多様性って重要で、路地ものしかなければオラこの冬こせねえダ。美味しいマイタケも街の人間の口さは入らねえダ。
 モヤシ業界が価格が安くてやっていけないとかいうニュースも流れていたけど、この冬おおいに見直した。モヤシも立派だ。なくなっちゃこまる。

 で、写真の緑だけどこれも水耕栽培系で「豆苗」なんだけど(右の球根は紫タマネギではなく同居人が育てているヒヤシンス)、この冬の野菜高騰で初めて買ってみた。中華料理屋とかで食べたこと自体はあったけど買って料理してまで食べようと思ったことなかった。でも相対的に安い価格になっているので食べてみた。
 味はまあ普通に青物野菜の味なんだけど、なるべく捨てる部分を少なくしようと下の方から切ったら種である豆の部分が混入してしまい、これが割とカシュカシュといい具合の歯ごたえで、当たり前だけど豆っぽい味がしてなかなかにいける。豆をなるべく根こそぎ食おうとして根っこが多く入るとやや歯触りが悪くなる。でもまあ豆旨いので根っこもけっこう食っちゃう。

 豆ってうるかさずにそのまま調理できるのはレンズ豆ぐらいで、割と食べるのに手間がかかるので、むしろ豆を食べる目的で買うようになりつつある。
 ついでにそれでも残った豆と根っこに水かけて窓際に放置しておいたらちゃんとひこばえ生えてきてもうすぐ収穫できそうになってきた。なかなか美味しいし楽しい野菜である。
 という感じで春を楽しみに待ちつつ、魚も釣れているしクソ寒い冬も堪能している。


 どうでも良いことだけど、「ひこばえ」が漢字では一文字で「蘖」とも書くと変換候補に出てきて、この年になって初めて知った。逆に「孫生」は出てこない。「蘖」より「孫生」のほうが意味分かりやすいしなじみあると思うのだけど、いずれにせよ林業や農業の現場から現代人の言語感覚とかが乖離していっているということだろうか。

2018年2月11日日曜日

信じられないようなものを私は見てきた(り、見てなかったり)

 オリオン座の近くで燃える戦艦。タンホイザーゲートの近くで暗闇に輝いていたCビーム、そんな思い出も時とともにやがて消える。雨の中の涙のように。

 ってのは、映画ブレードランナーの名台詞だけど、それなりに馬齢を重ねてきた私にも「信じられない」と目を疑うようなものを見てきたりもしたのでちくっと振り返りつつ書いてみたい。っていうのは、ちょっと前にBBCの生物番組について書いたけど、あのときチラッとふれたマンタの映像に触発されて、そういえばパラオでマンタ見たよなぁとか思い出して、確かに今時の映像って美しくて感動させられるけど、まだ自分が実際に見たものには勝てないなぁとちょっと安心と優越感を覚えたところである。

 写真のマンタ(オニイトマキエイ)はパラオにロウニンアジ釣りに行ったときにボートの上から見たものである。場所移動中、珊瑚礁の水道になってるところを突っ切っているときに、ガイドがボートを減速させて、とても大きいマンタが居るよとニヤニヤ笑っているのだが、私も同行者もどこにいるんだか分からない。底は白い珊瑚の砂に所々隆起した珊瑚が転がってて透明度も高く、そんな大物が居れば見えないはずがないのだが、砂と珊瑚しか見えない。
 突然同行者が「アッ!おった」と声を上げる。どこにいるんですか?といぶかしむ私に同行者は「もう見えてるはず」とガイドとそろってニヤニヤしている。
 じっと水中を見るけど黒っぽく珊瑚の影がとがっているのが見えるだけだ。しばらく2人の楽しそうな態度にイラッとしつつ見ていて、ムムッ??なんでこの珊瑚の影はボートが進んでも同じ位置にあるんだ?と思ってよく見るとなんかその三角っぽい影の先端がゆらりとひるがえるような動きをしている。
 ひょっとしてこれエイのヒレの先端か!?と思って全体像を追っていくと、ボートに隠れて後の方とかよく見えないけど、頭の方あの特徴的な耳のような突起が2本突き出ていて間違いなくマンタだと分かる。デデデデデデカイッ!!デカすぎて真上から至近距離で見ると魚だとすぐには認識できないぐらいにデカい。4m越えるぐらいか?ボートの長さぐらいは幅がある。デカすぎて大きさの見当がつけにくい。ガイドがビック(大きい)じゃなくてヒュージ(巨大)と言っていたのも納得の巨大さであった。
 泳ぎ去っていく姿を写した写真じゃ、全くその大きさが伝わらないと思うけど、真下にいるときに撮った写真は防水コンパクトカメラの普通のレンズでは白い背景に黒っぽい三角が写ってるだけの意味不明な写真で、でもそっちの方がまだ巨大さ自体は伝わるかもと探してみたけど残念ながら見つからず。あのヒュージ感は現実に真上から見たんじゃないと、いくらきれいな映像で大きさが分かるような対象物と画面に入ってても、自分の目が見てその時の空と海の青さや熱い日差しと空気なんかとともに味わった実体を伴ったデカさは表現しきれるものではなく、その感動は、自分と同行者の胸の中にしかないんだろうなと思うのである。

 都会の人混みを目を伏せて、本に逃げ込んで、見ないように生きてきたので、街や人の美しさやらは見逃してきた人生かもしれないけど、釣り人として水辺に多く居た人生なので、水辺の美しさや不思議な出来事は多く見てきたと思う。
 テナガエビ乗っ込みポイントで、捕食者に追われたエビたちが水面上に跳ね上がる「エビボイル」は始めて見たときは目を疑った。ハサミ脚の長いオスなどハサミを重そうにぶら下げるようにして水面から飛び出す。
 シーバス釣りに行ってた砂浜で、カタクチを追い回すボイルが発生していて、ボイルの主を釣るべくルアーでモグラ叩きしていたら、楕円形の物体が水中から飛び出した。フグかなんかかな?と思っていたが、釣りのうまい同居人が釣り上げて正体が判明。ヒラメでした。ヒラメ水面から飛び出すって驚きであった。
 玄界灘、砂浜がサラシのように泡をはらんで白濁しているような荒れた初冬の海。波が高くなるとその波の中にシーバスが泳いでるのが見える。秋のオホーツク海のカラフトマスを思い出した。
 底まで見える透明度の冬の東北の港、ワームを踊らせていると石化けしていたカジカが一瞬でワームを消す手品を披露してくれた。
 もちろん、釣った魚の衝撃的な食いつく場面なんてのも、いくつも思い出せる。永く釣ってるから書き出したらきりがないくらいある。
 どれも極個人的にとても価値のある脳内映像である。死ぬときの走馬燈でどれを流すべきか選択に迷うぐらいある。

 でも自分の「目で見た」と思ったことでも、本当にそれがあったのかどうか疑わしいモノも「見て」きた。
 どうも私は、寝不足だと白昼夢をみる傾向があるようで、まったくの現実に、頭の中の妄想だかなんだか混じって見えてしまうのである。霊現象だの超常現象だのを「私は見た」程度を根拠に実在したように信じている人々を見ると、ほとんどが私の白昼夢とかに類似した脳の視覚情報処理の齟齬が原因だと、つまらないみかたかもしれないけど思っている。
 寝不足で自転車こいで朝早くから行ったダム湖でのバス釣り、いい加減釣れない時間帯が続いて眠さがおそってきた頃に、見たことも聞いたこともないような白黒シマシマの魚が湖底を泳いでいった。なんてことが代表例だけど、白昼夢連発させたのが、釣り場の行き帰りのJOSさんの運転する車の助手席。まあ眠いんだけど師匠に車運転させておいて助手席で寝まくるのも心苦しく、それでも寝ちゃうんだけど、寝ないように気合いで目を見張っていると、車窓から見えるはずのないモノが見えてしまうのである。
 「今、向かい側の車線に蒸気機関車の恰好した車走ってましたよね」、ましたよねって念押されてもそんなもんナマジのオツムの中にしか走ってないって。ヤレヤレだぜ、またこいつ寝てやがったなという感じであしらわれてしまうのだった。

 でも、そういう怪しいモノが見えてしまったらすべて見間違いならそれはそれですっきりするのだけど、見えてしまったモノが実在してしまう場合もあって、目で見たモノのうちなにが本当で何が妄想かなんてのは最後のところは分からなくなったりもする。
 釣り人なら多かれ少なかれ発症しているだろう「何でも魚に見える病」ぐらいなら可愛いものである。オオイワナだと思ってヒレの端の白いところまで見えた気がしたのに、近づいてみたら引っかかって流れに揺れてる黒ビニールだったとか、ライギョだと思ったら沈んだ木だったとか、正体見たり枯れ尾花ってぐらいで実在してもどうってことはない。でも、何かが見えてて正体が予想もしなかったモノっていうことも実際にあったりするのである。
 その日、関東近郊の渓流でイワナを釣っていた。放流量が多い川でもありなかなかの釣果を楽しみながら釣り上がっていると、とある淵で上流側から妙なモノが泳いできた。真っ黒なナマズのような50センチぐらいの生き物で目が大きくて印象的。寝不足でバイクとばしてきたので例によって白昼夢を見ているのだろうかと目を疑うが、やけに意識もはっきりしている中、謎の生き物も着実に泳ぎよってくる。正直ちょっと怖かった。謎の生き物はかなり近寄ってきて、そろそろ叫んで逃げ出そうかという手前で、顔を水面からひょこっと出して岸辺の岩にぴょんぴょんと登ったと思ったら毛繕いを始めた。
 「カワウソ?」とパッと見た目には見える。泳ぐのが得意でイタチの仲間の獣であることは間違いない。妖怪変化のたぐいでなくてホッとしてしげしげと観察すると、真っ黒な毛並みにキョロキョロとした目がなかなか可愛い。カワウソにしてはサイズが小さい。でもイタチやテンにしては色が黒いし、泳ぎが達者すぎるように思う。
 しばらく観察して写真撮ろうとしたら林に逃げていったけど、脳内検索で黒い個体がいてイタチの仲間の泳ぎの得意な獣で「ミンク」がヒットしてきた。毛皮用に養殖されていたのが逃げ出したりして北海道とかで野生化していると聞いたことある。本州でもいるのか帰ってから調べると、福島あたりでは確認されているようで、どうも正解のようである。
 ミンクとか知らなかったら「カワウソは生き残っている。私はこの目で見た。」とか言い出していておかしくない。    
 これまた目で見たことなんてあてになんないという事例である。

 とはいえ、未だ仮想現実とかもまだまだな始まったばかりの技術で、しばらくは自分の目で見て体験したことの価値や優位性は揺るがないだろうと思う。でも、仮想現実が完全に現実を再現し、さらに現実を越えて刺激的になるような技術が開発されるその日も来るんじゃなかろうかと思う。
 我々が現実を感じている脳よりも、量子コンピューターとかが情報を処理する能力が上回ればそれは可能だと思うので、案外早く実現するんじゃないだろうか。現実そのものを仮想世界で再現しなくても脳が感じているレベルの「現実」を再現すれば足りるはずで、簡単じゃないだろうけどできそうに感じる。
 今の仮想現実の技術はまだゴーグル付けて立体の映像が見えるとか視覚情報だけだけど、脳に入出力する技術が進めば、5感すべてを再現することができるようになるような話も聞く。
 たぶんその辺の技術の開発・普及の原動力になるのは「エロ」だと思う。情報機器の発展にはある意味戦争以上にスケベ心が貢献してきたといえるのではないだろうか。ビデオしかりインターネットしかりである。
 オカーちゃんが息子の部屋のドアをガラッと開けると、息子がゴーグルつけたまま腰を激しく振っているような未来がもうすぐ来るのである。間抜けな未来である。
 間抜けな未来を回避する技術として、脳が命令を出しても筋肉とかにその命令が伝わらないようにスイッチを切るような仕組みが、どうも脳に元々あるらしく、それを応用したら「ナーヴギア」のようなフルダイブ型の仮想現実機器が実現できるんじゃないかという話を読んで感心した。まさに「夢」では脳が指令を出しているのにスイッチ切れているので体が動かない、その仕組みがおかしくなると夢遊病になるらしい。なかなか脳って興味深い。

 近い将来、仮想現実が現実以上になったとしても、じゃあ山頂に登った人間が見る景色の感動が、同じ景色を見てもヘリで山頂に降ろしてもらったのならそこまで感動しないだろうってのと同じで、やっぱり自分の体と頭を使って現実で経験することの価値って残るんじゃないかと思いたい。
 このあたり考え始めると、山に登る苦労も含めて仮想現実で再現すれば同じだとか、現実ではあり得ない高さの山さえ設定可能。とか収拾つかなくなる。どこまで行っても個人の嗜好として「やっぱり本物がいい」というのは消えてなくならないようにも思うので、実際どうなるのか寿命が許す限り体験できるところまで体験してその都度感じるしかないんだろう。

 中央アジアの空の青さも、南の島の壮絶な夕焼けも、これまで実際に足を運んで体験した思い出は、脳の中で補正かけまくりでいつまでもすばらしいものであり続けるはずだということは確信している。

2018年2月3日土曜日

キブクレロ

 着るモノなんざポンチョで充分、ビバメヒコ!(byオーケン先生)ってな人には関係ないんだけど、冬の釣り人はなにを着るべきかというのは、釣り場で寒さに震えてちゃ釣果に響くのでよく考える必要がある。
 暖かく野外で活動するための服装は、極論すれば冬山登山や極地における野外活動に使える性能のモノが存在するし、なんなら宇宙空間で活動できるモノまで存在する。
 釣りの場合、水がすべて凍ると釣りにならないので宇宙服までの装備が必要とはおもえないが、冬山登山やらスキーやらの冬の競技ともまた求められる要素が違うので、考えなしで挑むと寒さに凍えることになりかねない。
 釣具屋にいって、中に着るインナーとかで水蒸気で発熱するとかいう機能性をうたったモノなんかも売っているけど、あれって登山やらの発汗する運動をともなう競技では役に立つのかも知れないけど、たとえばヘラ釣りでじっと座って釣ってる場合には汗もかきようがないのであんまり効果的とは思えない。ちなみに水分で発熱する素材は新開発のような顔をしているけど、ようするに羊毛の機能の再現である。川の水で洗って濡れた状態で積み上げてある刈り取った羊毛からモクモクと湯気が立っている映像を見たことがある。ウールのセーターってなにげに優秀だから古くから愛されているのである。

 じゃあどういう防寒着が冬の釣りに向いてるかといえば、とにかく断熱性と保温力を稼ぐ作戦で、ドンドコ重ね着である。多分。
 化繊だろうと、羽毛だろうと、羊毛だろうと、とにかく空気の層を厚くとればとるほど良いはずで、実際にヘラ釣りではそれほど動き回らないこともありみなさんダウンでモコッモコに着膨れている。
 ヘラ用スカートも5本指の手袋より指がくっついたミトンの方が表面積が小さく暖かいのと同じで、たった一枚の布なのに思ったより効果大で感心したところだ。
 ヘラブナだと着膨れても行動を制限しないので着膨れてしまうのが正解だろう。私も皆をならってダウンにフリース重ね着したりしてモッコモコで釣っている。
 着膨れるのに下着の上ぐらいに着るものは、昔からホームセンターとかで売っている夜間の交通整理や外での作業用のものと思われる化繊のとっくり首のが費用対効果に優れていて愛用している。アウトドアメーカーとかの高価な奴より断然安くて分厚くて暖かい。
 あとは、内部に熱源を持ってくるなんていうのが、運動して自らが発熱したりしない釣りの場合重要。最近は戦闘機乗りのスーツのように電気で発熱するバッテリー付きのインナーとかもあるようだけど、そこまで行かなくてもカイロ貼りまくるのはお約束。
 これがシーバス釣りとなると、ある程度移動しつつ釣っていくので着膨れするにも限度はある。そのうえ雨風防いでということになると、ちょっとバイク乗りの装備っぽくなってくるけど、まあ着膨れてカイロしこんでその上に雨風を通さないゴアのパーカーとかを着込む。下も合羽。
 動き回るし、冷え込んだりもするので重ね着するための合羽の上、さらに着膨れるためのダウンのベストなども用意して寒けりゃ追加できるようにしておくと安心である。限界近く重ね着しても袖のないベストならさらに着込める。
 手袋はヘラとか餌釣りの場合餌付けをする指は出さざるを得ず冷たい。手元にカセットガス式のヒーターをおいている人も多い。私は手袋に仕込んだ貼るカイロミニでしのいでいる。
 カイロは手首の内側、肩胛骨の間、首筋、内ももあたりを暖めると大きな動脈があるあたりなので暖められた血が巡る。
 手袋はシーバスの場合、ネオプレーンの手袋をつけたまま釣っている。ロウニンアジの釣りとかで手袋ありで投げるのが当たり前という状態に慣れると手袋はめてても気にならなくなる。ちなみにロウニンアジタックル手袋なしで扱うと私の白魚のような指では豆ができてつぶれる。
 釣り用の手袋だと指先だけ出せるようになってるけど、雨の日にそこから染みてかじかんだので接着しちまおうかと思ってる。

 足回りは、寒がりだけど冷え性ではない私は長靴に厚手の靴下で間に合っている。冷え性の人は足先が寒いそうだけど、余裕のある大きさの長靴であれば爪先用貼るカイロとかもある。長靴って完全防水防風で寒さには結構強い。昔冬バイク乗るときにはネオプレンのウェーダーを最初から履いて出かけてたぐらいだ。夏は蒸れて水虫を召喚するけど。

 かなり重要なのが帽子とネックガード。もう、ネックガードは夏は首筋の日焼け防止に冬の防寒にと私の釣りにはなくてはならなくなっている。首にウールの厚手のネックウオーマー巻いて帽子かぶって、さらに薄手のネックガードでとっくり首と帽子を継ぎ目なく覆うようにしてやると首筋から侵入してくる冷気が遮断できて一段階上の暖かさ。

 ちょっとある日の着膨れた状態を剥いていってみたので参考に。

 肌着は汗が乾かないと冷たくなってくるので速乾性の化繊のものが良いと聞く。
 半袖着た上にヒートテック着て、その上に写真じゃ黒くて見づらいけど化繊のとっくり首を着てさらに羊毛のとっくりセーターというとっくり二連発。



 次に、左下のフリース二連発。緑のフリースは大学生の頃から着ている年代物。
 その上にそろそろくたびれかかってるけどまだ頑張ってもらうダウンを着込んで、ジャックウルフスキンのゴアッテックスパーカーを着た上に、寒いとモンベルのゴアテックスカッパを重ね着。2月は寒いので基本これだけ着ている。九枚も重ね着してて自分でも驚くが、おかげで指先とか除くとそれ程寒さを感じず釣りに集中している。


 下は、おパンツはご勘弁願って、ヒートテックの股引に、これまた年代物でバイクでこけたときの穴を繕って十数年履いているフリースの股引、普段から履いてる厚手のカーゴパンツ、モンベルのゴアテックスカッパの下。という感じ。
 靴下は化繊の厚手のを履いて、プロックスの膝下までの長靴履いている。



 帽子は、ラパラのフリース生地の耳当て付きのでとっても暖かい。耳ってウサギだと全力疾走時に体の熱を逃がすために長くなってるってぐらいで血流多くて冷えると辛いので耳当ては嬉しい。
 黒いウールのネックウォーマーを首に巻き、グレーの化繊のネックガードで帽子の耳当てからフリースの襟あたりまでを覆って首筋にすきま風が入ってこないようにしている。
 手袋は消耗品だと思っているので、釣り具量販店でネオプレン製の安いのを買ってきて使ってる。指先だけ出すことができるようになってるけど、ラインが引っかかったりして邪魔でしかない。いまのところ冬装備で唯一やや不満の残るところ。
 ホームセンターでもっと簡素で使い勝手の良いのがないか探してみたいところ。

 という感じで、マイナス何十度っていう極寒でも活動できる装備が開発されている輝かしい二十一世紀において、冬の寒さなど釣りを妨げる障害にはなりえんのである。と、寒い中わりと好釣が続いているので力強く宣言しておきたい。
 
 宣言しておきたいんだけど、マイナス5度とかの雪の中良い釣りした人あたりから、冬の北海道日本海側島牧海岸でアメマス釣ろうぜと誘われたら、アタイちょっと尻込みしちゃうワ。

2018年1月26日金曜日

絶対王者の陥落


 フロロのハリスはというか細いハリスはクレハ社「シーガーグランドマックス」で間違いない、と永年思ってきた。

 金地に赤のパッケージ、定価が50m3千円もするハリスは、出た当時、今までのエースとかとそんんなに違うわけがないやろという予想に反して、ぶっちぎりに良いフロロカーボンのハリスだった。最初に結んだときにもう、結びがそれまでのフロロカーボンのように堅い感じじゃなくてしっとりキュッと締まる感じがしてそれだけでちょっと違うなと思わされたし、とにかく強度があってスレに強くて、表面がザラザラになるような場面でも切れずに魚が上がってきて「グランドマックスで良かった」と胸をなで下ろす経験を、愛用者なら何度かしているのではないだろうか。
 「直径が半分ぐらいになる切れかかった状態でも魚があがった」と言っている釣り人がいたのもあながちホラとは思えない高性能さに絶大な信頼を置いていた。

 ただ、ルアーのリーダーのような太いハリスであれば、引っ張り強度が必要なのはリーダー部分じゃなくて道糸だし、スレに強いハリスが欲しければ物理的に太いハリスを選んでしまえば良いので、わざわざそのために高価なグランドマックス様にご登場願わなくても大丈夫で、ジギングとかの太いハリスはデュエル社の「船ハリス」つかってたし、ナイロンの太いのを選択することもある。普段のシーバス釣りでは生分解性ショックリーダーが廃盤で手に入らなくなってからは、シーガーの「エース」や「フロロショックリーダー」を使っている。昔あったヤマトヨ社の「ジョイナー」は安くて良いフロロハリスだったのだけど最近見かけない。
 ちょっと脱線するけど、生分解性ショックリーダーの「RTE」はビヨーンと良く伸びるラインでPEを道糸に使う時にはクッションのように機能していたように思う。PE使用が全盛のシーバス用とかでアタリをはじかない「伸びるナイロンリーダー」とか売れないだろうか?などとアホなことも思ったりする。

 話もどして、道糸より太い「リーダー」じゃない、フライのティペットのような細ハリスの場合、引っ張り強度も欲しいし細さも欲しいスレにも強くという贅沢なことをいい始めると結局シーガーグランドマックスだよねということになる。0.3号の細ハリスでデカいヤマメ掛けたときにあげる確率を少しでも上げたければ信頼する一番良いと思うハリスを結ぶしか選択肢はない。現在ではグランドマックスにはよりソフトなFXもあるようだけど、細ハリスではフロロカーボンのパリッとした張りがクシャッと絡まるのを防いでくれてる気がして個人的には好み。なのでFXは使ったことがないけど、強度は同程度でメーカーも釣り方とかでお好きな方を選んで欲しい的なことをいっている。

 ただ最初の方でも書いたけど、グランドマックスちょっとお高い。さすがに定価では売ってなくて50m2千円弱で買える。あんまりハリス替えないインチキフライマンな私のフライフィッシングならそんなにハリス減っていかないのでたいしたことないんだけど、ヘラ釣りみたいなハリス交換しまくる釣りではその値段でもちょっときつい。
 なんか安いのないかなと考えて、前回ナイロンの安いハリス候補を探したときに、細いルアー用のフロロの道糸は結構あったのを思い出して、試しにと買ってみた。
 アジング用だの管理釣り場のマス用だの各社から出てるけど、シーガーからも「R-18」というのが出ていたので1ポンド0.3号相当のを買ってみた。フロロのラインはクレハ社シーガーブランドならやっぱり安心できる気がする。100mで定価は2500円だけど、実売は1500円程度。50m750円はかなりお買い得。

 道糸用なのでややグランドマックスよりしなやかな感じか?まあそのあたりはおいおい使って調子を見ていくにしても、まずは強度がないと話にならないので、秤もってテスト。
 スプールから出したラインの先に8の字でループを作って秤に掛けてスプールを引っ張ってゆっくり切れるまで。切れたところの数値を読む。グランドマックス、R-18それぞれ3回平均をとる。ホントはもっと回数必要だろうけどまあ主観的な感触得るぐらいはこのくらいでいける。
 結果はグランドマックスが650g、540g、620gの平均約603.3g、対してRー18が500g、665g、570gの平均578.3gと結果としてはグランドマックスが僅差で逃げ切ってるけど、正直測る毎にぶれる誤差もあって、この程度の差は誤差の範囲内で「引っ張り強度」だけみれば同程度の強さがあるように感じた。
 まったく、問題なくヘラ用のハリスとして使えそうな強度はある。
 ナイロンじゃなくてフロロを選択する時って、ヘラの場合フロロのスレに対する強さとかはあまり必要じゃないので、パリッとした張りと伸びの少なさでアタリを明確に出したいときなどに使うのが想定されるけど、その役割は充分果たせると思う。そして安い。0.4号も買っちゃった。っていうかフライ用のティペットもR-18で良いんじゃなかろうかと思えてきた。

 そして、こうなるとどうしても気になる。
 今時のヘラ用ナイロンハリスとフロロハリスはどっちが引っ張り強度あるのか、試してみたくなった。
 一昔前ならフロロはナイロンの1.5倍の引っ張り強度があるというのが大きな利点の一つに数えられていた。でも、前回ハリスの強度を測ったときに、今時のヘラ用ハリスはちょっと前のナイロンラインの1.5倍は引っ張り強度があって驚いたところである。
 ならば、フロロと同じ方法で同じ太さを測ったらどう違うか、どちらが引っ張り強度的に優れているか。ナイロン代表には前回0.5号で驚きの強さを発揮してくれた「バリバススーパーへらハリス」0.3号に登場いただいた。
 結果は、600g、650g、670g、平均640gで測ってるときの感触としても明らかに強い。伸びて粘る。ある程度予想できたモノの衝撃的である。

 もちろんフロロカーボンのハリスには、引っ張り強度以外にも表面が硬くて耐摩耗性に優れスレに強い、張りがあって伸びが小さいのでアタリが直接的に出やすい、比重が重くて沈めやすい、屈折率が水に近く水中で見えにくいなどの利点もあるけど、一番の魅力はナイロンの約1.5倍の引っ張り強度があって細いのが使えるということだったように思う。
 今日、引っ張り強度の欲しい状況ならハリスは高級ナイロンハリスを選ぶべきなのかも知れない。
 例えば渓流のフライのティペットならヤマメ狙いなら細ハリスでの吸い込みやすさも含めてナイロンの方が適しているかも知れない。イワナだと石に潜られて擦れてとかがあるのでやっぱりあんまり細くないフロロの方が良いのかも。

 というぐあいに、道具が日進月歩で進歩してきているので、それまでの常識がひっくり返ったときには、もう一度、なぜそのハリスを選んだのか、その釣りで使うハリスにはどんな要素が求められるのか、それを満たすハリスは現在どの商品なのか、なんていうことを再度検討して詰めておく必要がある。
 最終的に引っ張り強度が欲しければ単純に太くして、食いが落ちるのは技術で補えばいいと割り切るにしても、選択肢として知っておくことや限界値を把握しておくのは悪くないはずだ。
 道具を替えると、替えたことによる不具合も生じるので、道具が進歩してもあえて替えないという選択肢もあるけど、ラインやらハリやらは消耗品であり新しいのしか売ってなかったら買わざるを得ず、安くて良いのを探し続けることになるのかなと思っている。

 ナイロンラインの高性能化にはちょっと注目して、今時の高性能ナイロンなら何ができるか?ってことも気をつけて考えておきたい。今時のナイロンラインは、もう我々古い釣り人が知っているそれとは別物と認識した方が良さそうだ。

 新しい釣りを始めてみると見ること聞くこと試すこと新しいことばかりでやっぱりどうにも面白い。苦労もしてるけどね。ハリスも結んだし明日は寒いけど釣りに行くか。

2018年1月21日日曜日

BBCにようこそ

 BBC(英国放送協会)はその名の示すように英国の「NHK」のような公共放送局で、賢明な読者のみなさんなら「ナマジそれ逆!」ってつっこみ入れてるところだと思うけど日本の公共放送局であるNHKがBBCの真似なんである。なにせ世界初のテレビ放送を1936年に開始したっていう老舗中の老舗放送局である。
 そんなことはどうでもいいんだけど、我々昭和世代の生き物好きならBBC作製の映像は脳裏に刷り込まれているはすで思い入れも深いはずだ。
 「見た憶えないんだけど?」と首を傾げている方も生き物好きなら「野生の王国」はます間違いなく見てたはずである。私もテーマ曲の「パーパッパパパパー」「トゥートゥトゥトゥトゥ トゥトゥットゥットトゥ~トゥ~」てな歌詞(若い人ポカーンかもしれんけどマジでこんな歌詞なんです。嘘やと思ったらユーチューブとかで聴いてみてね)と全力で飛び跳ねるカンガルーが蹴っ飛ばした石がオーストラリアの赤い大地の砂埃をまとってミサイルみたいに飛んでいくスロー映像が脳内自動再生余裕なぐらい刷り込まれている。
 その野生の王国の見城美枝子さんと専門家とかがしゃべって解説入れてた映像の結構多くがBBC作製だったんである。延々とオーストラリアの珍しい猛禽類とか流してる回とかあって、なんでそんなマニアックなところを特集するんだろうと思ってたんだけど、今思うと元植民地の大英帝国つながりだったんだろうな。
 マニアックさではネズミの死体にウジがわいてきれいに骨だけにされるまでを超早送りで映しだした映像とか当時はそんな映像初めて見たのでその技術力の高さにびっくりしたものである。
 とにかく滅茶苦茶高い技術で撮られた映像がしかも美しくって、日本の映像技術は当時それほどじゃなくて日本の動物を撮った国内制作の映像とかの回は子供心にショボいと感じてしまったほど差があった。

 というのは昔話で、、今じゃNHKも結構やるときはやる感じになっていて、東京海底谷とかダイオウイカとか深い海からすごい映像撮ってくるしダーウィンが来た!なんていう子供から楽しめる娯楽番組でも目から鱗の面白さを連発してくるしで、NHKに受信料払ってるパトロンの一人として、最近はうちの局もけっこうやるんですよフフフ、と余裕の笑みを浮かべていたのである。
 その笑みが次第に凍りつき、悔し涙に変わるまでそう時間はかからなかった。
 我々のNHKは、報道とか見ないので知らんけど、生き物の映像において過去のBBCになら勝てるところまできたということは身贔屓除いて正当な評価だと思う。それは誇れることだ。でもBBCも先に進んでいるんである。いつまでたっても追い越せないアキレスの追っかけた亀みたいに。
 今回観たいアニメのために見放題系有料動画配信業者のNetflixを契約して、ついでと思って観たBBC作製のドキュメンタリーで改めてその実力を思い知らされることになったのだけど、実はそれ以前にもBBC作製の映像は結構みていて。その時はそれほどすごさを感じてなかった。具体的には当のNHKが日本語のナレーション入れて放送している「地球ドラマチック」がそうだし、アマゾンプライムにもいくつかあって観ている。地球ドラマチックは基礎的なことを分かりやすくという感じでそれほどすごみを感じなかったし、アマゾンプライムの方は今思うと2000年代とかのちょっと古い作品だった。プラネットアースとか観たことあったよねっていう既視感なのか本当に観ているのか分からないぐらい、よくありそうな自然の美しさを楽しめる映像だった。悪くはないけど今日その程度なら既に見たことがある映像だ。
 これがネトフリで観た今時のBBC作製の映像は、なんというか「日の沈まない国」と呼ばれるほど植民地をかかえ隆盛を極めた帝国の末裔の、中世の博物学とかから連なる科学の歴史の重みとか凄みを感じざるを得なかった。例えるなら「ダーウィンが来た!」と嬉しがっている国とダーウィンを産んだ国の差のようなものを感じたのである。
 別にBBC作製の映像が学術的に専門的高度な内容だったわけじゃない。楽しく学べる娯楽性の強い番組だったし、分かりやすく時にやりすぎ感のある演出もありがちな感じであった。でもその随所に、かの国が積み重ねてきた学術的な叡智の裏付けと、そういう叡智を享受し受け入れて慣れ親しみさらに上を求める一般の視聴者の肥えた目を感じずにはいられなかった。
 完敗を認めよう。そしてまた明日から上を向いて歩いていこう。アキレスは亀を追い越せる。いつまでも勝てると思うなよ、と負け惜しみを吐いてから。

 まず観たのは「デイビッド・アッテンボローの自然の神秘」というシリーズ。アッテンボロー博士はBBC作製の生き物番組ではお馴染みの名案内役なので聞いたことある人も多いだろう。個人的には日本語訳付きでテレビで放送された「地球の生きものたち(題名調べてみたけど自信がない)」が忘れられない。魚類、両生類、爬虫類、ほ乳類そして人間というように進化の道筋をたどるように毎回その分類ごとの生き物の特徴や生態について豊富な美しい映像をふんだんに用いて紹介しつつ、生命の進化やその歴史についてまで博士が分かりやすく案内してくれた。中学生ぐらいだったけど教科書なんかよりよっぽど理解が深まり、かつ心の底から面白かった。
 当時で既に初老の域にあったとおもう博士がご健在でかつご高齢にも関わらず相変わらず情熱的で、楽しくて仕方がないという感じで生き物の生態についてやその魅力について語っておられて、少年の日と変わらず生き物のお話を心ときめかせながら視聴させてもらった。
 今作では、特徴的な生き物を毎回2種ぐらい取りあげて、生物の進化とその研究の歴史も紐解く5回シリーズとなっていた、もう、番組を収録している場所が英国自然史博物館っていう、大英帝国がイケイケで世界中の珍しい生き物を集めまくっていた時代の膨大なコレクションを母体にした博物館であり、説明する結構レアだったりする動物の標本がいちいち出てきたり、研究の歴史を紐解くときにはまさにその研究者が使った標本まで出てきたり、そういった研究の発端には王族やら貴族やら金持ちがパトロンだったり、珍しい生き物を収集していたりということが大きく関係していたりして、その貴族のペットを画家に描かせた絵画なんてのも出てきたりして、ああ、今に連なる生物学とか進化の研究とかって源流は英国とか欧州にあるんだな、かの国ではそういった興味が科学者だけでなく王室含めた広く一般にまで根付いているんだなと思い知らされた。我が国も皇室は生物関係の学者様を多く輩出していて、図鑑の執筆者に漢字2文字の名前が並んでいて、一瞬中国出身の研究者かな?メイ・ジン博士って読むのかな?とか思ってよくよく見ると天皇陛下で、だから名字がないと気づいて自分のあまりの不敬さに深く反省したぐらいである。
 でも、教科書に載ってるような今につながる「進化」なんていう概念を登場させたのが自国の研究者であるダーウィンとウォーレスであるとか、彼の国では思いっきり幕末もののドラマの登場人物並みに親しまれていそうで、かつ、世界中に植民地があって世界中からもの集めまくっていた結果の収集物を実際に展示している博物館が生物史博物館だけでも超弩級なのに、今回調べて別物だと知って個人的に驚いているいわゆる「大英博物館」が別にあって、さらに植物も当然集めまくってたんだけど「王立キュー植物園」まであって、ロンドンっ子ならそういう科学の歴史が作られたときの証拠となったような標本の現物が見られるのである。
 分かりやすい例をだすなら、「生物は多様性を持つ」なんていう事柄は自然史博物館の本当に膨大な量の蝶のコレクションとか見たら物量で体感的に分かるんじゃないかと思う。
 番組でも科学者間にツギハギの偽物か実在の生き物か論争になったカモノハシとか、ホイホイと当時オーストラリアから送られてきた標本そのものが出てきたりして、これは説得力がある映像だと感じさせられた。
 お金持ちのコレクターやらに採集してきた珍しい生物を売って探検旅行に行ってた探検家兼科学者ってウォーレスやベイツに代表されるように生物学に多大な貢献したわけだけど、ベイツっていったら毒のある生き物に似せた模様とかに進化した「ベイツ型擬態」に名を残してるんだけど、そのベイツが南米で採ってきたベイツ型擬態をする蝶は、擬態の元になった種が地域ごとに模様が差があるのに対応して同じように模様を変えているなんてのを、アッテンボロー博士が標本箱からヒョイヒョイと実物の標本つまみ出しながらホラネッて感じで示されると、もう多分このことは忘れることなどないだろう。おそらくこの驚くべき真似ッコぶりはどこかで知識として目にしていたかもしれない、でも現物示されて上手に印象的に説明されると、本当に自然の仕組みの巧妙さに驚くとともに心に刻まれるのである。
 シマウマはなぜ縞模様なのかというのもやっていて「それならダーウィンが来た!でもやってたから知ってるヮ、虫除け説が有力なんやろ」と安心したんだけど、結果は眠り病を媒介するツェツェバエに刺されにくくするためであってたんだけど、その解明に至る道がもう歴史ロマンですよこれが。まずは、アフリカでなぜか馬やら人は刺されるのにシマウマが刺されないというのが知られるようになって、シマウマが調教できたらアフリカ開拓が捗るだろうということで、なぜか銀行王国のロスチャイルド家の変わり者がシマウマを調教しようとして何とか馬車を曳かせるまで行ったんだけど実用化普及するまでにいたらなかったとかいう、面白うてやがて哀しきお話も出てきたりして、やっぱりくそ面白いんである。
 ぼろ負けの中で、唯一の救いはカタツムリの話のなかで、左右非対称のカタツムリを食べるために片方の顎だけ歯が発達した蛇がいるという話が出てきて、たしか日本にも1種先島のほうにそんなのいたよな、と思っていたらまさにそのイワサキセダカヘビがカタツムリを襲っている映像が流れて、これが詳細に調べた日本人研究者の撮った映像だったことで、日本の科学者はやるときはやるんですよ!と溜飲が下がった。ちなみにカタツムリふつう左巻きの種が多いのに、カタツムリ喰いの蛇がいる地域では右巻きの種の方が多くなるそうで、左巻きのカタツムリをサザエの壺焼きから爪楊枝でクルンッと身を引き出すように食べるために特化した歯をもった蛇は右巻きのカタツムリを上手く食べられない。生き物って面白い。

 まあ、最初の1シリーズで打ちのめされて、これは最近のBBCものは期待して良いなと2つ目はもいっちょアッテンボロー博士の「極楽鳥の世界」を視聴したらまた最高で、実はアッテンボロー博士人生で一番情熱を費やしたのは極楽鳥で彼らとの出会いが人生を変えてしまったというほどの極楽鳥マニアで、もう博士ウキウキのノリノリで絶好調。
 原産地のニューギニア島から東南アジアを経てヨーロッパにもたらされた極楽鳥の標本が死後の極楽の世界で霞食って生きていて地上にはおりてこないので足さえ生えていないという伝説上の生き物として珍重されてきた歴史やらから始まって、ご自身が若いときに現地人以外で初めてその生態を目にすることになるニューギニア島へのカメラマンを連れての探検の旅の様子とか、今でこそニューギニア島には日本の釣り人もパプアンバス釣りに行ったりして多少馴染みはあるけど、白黒映像の時代には当然のごとくまだ首狩りの習慣とかも残っていたはずで、ものすごい冒険的な旅だったのだろうと思う。当時の現地の人たちの祭り装束の各種極楽鳥の羽を使ったきらびやかさが、白黒なのにアッテンボロー博士の熱のこもった解説で色を帯びて蘇るようだ。
 やはり素晴らしいと感嘆していると、現在極楽鳥の保護のため繁殖について研究している研究施設を博士が訪れるのだけど、これがアラブのお金持ちの私設の研究所のようで、いつの時代にも科学だの芸術だのを支援するお金持ちってスゲーとこれまた感嘆させられた。

 という感じですっかり負け戦なんだけど題名が「サメ」というのを見つけて「サメならワシちょっと自信あんねン、日本の研究者もがんばりまくってるし、ヒラシュモクが斜めって泳いでるのとか日本人が明らかにしたんでっセ。歴史も文化も鮫皮を刀の握りにしたり下ろし金にしたりしてきた文化の、っていうか日常的にサメの干物食って育った人間やぞ。ちょっとやそっとでは驚かんから覚悟しとけヤ!」と闘いを挑んだ。
 いうてもアッテンボロー博士が面白いってだけで、BBC自体はそれほどでもないってこともあり得るだろうと、一縷の望みを抱いて観ていくと、最初南アの「サーディンラン」という大量のマイワシの仲間が沿岸沿いに北上していくのをサメからマグロから鳥からイルカクジラホモサピエンスまでが追っかける大饗宴になる現象が知られてるんだけど、その映像の紹介でマイワシをカタクチイワシ(日本語訳がそうなってるのに加えアナウンサーも英語でアンチョビーと言っている)と間違えていて、おいおいそんなんで大丈夫かBBCさんよぅ、とちょっとほっと胸をなで下ろしコレは勝てるかもと思ったんだけどティータイムのスコーンとクロテッドクリームの上に乗せるジャムより甘かった。
 ちょっと演出過剰気味でかつ欧米風の動物保護団体臭さも鼻についたりもするんだけど、それでも至る所にこれでもかというぐらいに知の美が夜空の綺羅星のごとくきらめいていた。興奮させられた。
 イワシの大群に群がるカマストガリザメの大群に続いて、いろいろな生態のサメの紹介が続いて、底棲性のサメとして、髭モジャの上から押しつぶしたようなサメが映し出される。「アラフラオオセ、英名タッセルドウッビーゴングとはまた渋いところを持ってきたな、でもそのぐらい知ってるデ」と思いつつアナウンサーがタッソードウビゴンって言って字幕にアラフラオオセと出るのをホッとしつつ視聴していた。アラフラオオセはその名のとおりオーストラリアからインドネシアのアラフラ海に棲む日本にも棲んでいてみなさんおなじみのオオセの仲間である。オオセとの違いは髭モジャ具合が激しく枝分かれしているので見た目ですぐ見分けられる。底棲性のサメって比較的飼育しやすくこの種もたまに観賞魚ルートに乗るので学生時代観賞魚専門誌で読んだのを憶えていた。
 オタクの定義に「興味のあることは一度目にしただけで記憶して忘れない種族」というのがあるけど、若い日の私の記憶力は魚オタクの名に恥じぬものだったと自負している。それが最近ときたらもう・・・グチりたくなるていたらくだ。
 珊瑚礁の海底で見事にコケの生えた岩のように擬態して小魚を補食した映像が流れて、次のサメにという流れなんだけど、なぜか餌がこなくて場所移動したアラフラオオセをカメラが追っていく。まだ何かあるのか?と怪訝に思って視聴していると、岩陰に入り口を頭に定位したアラフラオオセがしっぽをユラユラとゆらし始める。解説によるとしっぽで小魚が泳いでいる様を擬態し、岩陰が安全な隠れ家であると見せかけて餌を誘っているんだそうな。確かになまめかしくうごめく尾鰭は単独でベラの仲間のような背鰭がつながった小魚に見える。オオセの仲間は海底にへばりついて餌に奇襲を食らわせる戦略が硬骨魚類のアンコウ類と収斂進化しているとは感じていたけど、餌の小魚をおびき寄せるルアーを持つところまでにているとはアラフラオオセ恐れ入った。小魚を小魚の仲間で呼ぶのでルアーというより鮎の友釣りに近い技か?クッソこんな面白い話初めて目にしたぞ。
 やられた感ありありでその後もワクワク視聴していくと、ニシオンデンザメが出てきてさすがにコレはオレもそれなりに詳しいはずと思いつつ、解説の、最近まで犬の餌として利用するイヌイット以外には知られてなかった、あたりに「たのんまっせBBCさんアイルランドでは昔から漁獲されててくさやの干物みたいな激臭干物ハカールが伝統食として残ってるぐらいでイヌイット以外でも知ってまっせ」とつっこみつつみていると、非常にゆっくり泳ぐとか、それ日本の研究者が報告してまっせな情報を挟みつつ顔が大写しになった。かわいそうに目玉に寄生虫がついていて、この手のカイアシ類系の外部寄生虫ってヌメリゴチの仲間の目玉にもつくよねと思ってたら、この寄生虫ニシオンデンザメの目しからしか発見されていないようで、しかもニシオンデンザメのほとんどの個体が寄生されていてニシオンデンザメ盲目だということである。ほとんどの個体は嘘だろと信憑性を疑うが、ちょっとネットで調べてみても目に寄生されてる画像が多い。有名な話で、イヌイットは氷に穴をあけて木の棒の単純なルアーで穴の近くまでおびき寄せたニシオンデンザメを銛で突くという漁法があるんだけど、盲目だとすると音とか水流の変化でルアーを追っているのだろうか?謎が謎を呼ぶ神秘の巨大ザメである。
 サメ好きなら誰しも思うだろう疑問、サメ類最速の泳者であるアオザメは実際にはどのくらいの早さで泳いでいるのかというのにも果敢に挑戦していた。水中カメラを高速小型ボートで引っ張って興味もって追尾してきた速度を測るという単純明快な作戦。好奇心旺盛なアシカやイルカが追いかけてくるのはあるだろうけど、アオザメ追ってくるかいな?と懐疑的に見ていたけどなんとアオザメ追ってきた。しかもサメって水面のルアーに食ったところを何度か見ているんだけど、静かに体全体をくねらせるようにして泳いでくる印象があったんだけど、さすが高速遊泳に特化したアオザメ、紡錘形の体の体幹部分はブレずに固定したまま、マグロのように尾鰭だけを高速で振って高速遊泳していて痺れた。計測結果は45キロまで測ったところでボートのエンジンがオーバーヒートで煙はいて終了。最高速は「不明だ」という粋な結果。
 ほかにも、ニシレモンザメが胎盤とヘソの緒を有する胎生だというのは、サメの仲間では同じような胎生の種が結構いるので驚かなかったけど、胎生でヘソの緒があるので当然ニシレモンザメにはヘソもある。という豆知識には言われてみれば当たり前だけど、なるほどなと妙に感心してしまった。
 自分の得意分野のサメについても知らなかったことばかりである。こういう面白楽しい知識を英国民は公共放送で享受しているのかと思うと、アタイ悔しくて悔しくてッ!という感じだけど、改めて自分がものを知らないということを知ることの大事さを思い知らされた。それは自然やこの世の摂理というような人智を越えるものについて人間が知っていることなどたかがしれているということと、素人が多少知ってると齧った程度の知識で思ったところで専門家やらもっと知ってる人は世の中にごまんといるわけで、ユメユメおごらず謙虚に知識を求め続けていかなければいけないということ両方の意味においてである。孔子様ごめんなさいと謝っておこう。
 あと単純に映像が美しいというのもやっぱり評価を高くつけざるをえない。大海原をゆくヨゴレのきりもみジャンプを水中からとらえた映像とか、海山の上をゆっくりと羽ばたくように泳いでいく巨大なオニイトマキエイとか画的に迫力あって感動する。
 最近はNHKに限らず日本の撮影者も素晴らしいのを撮ってくるようになっているので負けてはいないと思う。「サメ」観てからダーウィンが来た!観たらホッキョクオオカミの生態を追った回で、北極の厳しく雄大な自然が美しくて、ほらねNHKだってやるときはやるでしょと思ってたら、撮影チームはドイツ人2人組だそうでギャフン。
 まあ、敵は強い方が燃える的に、お手本のレベルは高けりゃ高い方がいいだろうからNHKも負けずにいい番組作ってくれと願うのみである。勝ち負けつくような単純な話でもないだろうしね。

 ここまで読んで前回予告の「陽気なカエルはサンバを踊る」はどうなったんだとお怒りのみなさん。
 フッフッフ引っかかったな、これぞ忍法偽予告!
 さすがにカエルはサンバ踊ったりしませんゼ旦那。
 とはいえ全くの嘘偽りかというとそうでもなくて、最後にちょっと「自然の神秘」の中で考えさせられた話を紹介しておきたい。
 サンバガエルの話である。リオでは陽気なカエルが軽快なリズムに乗って腰をフリフリ情熱的にサンバを踊る、ってもうだまされる人もいないと思うけど一応しつこく繰り返すのも芸のうちなのでネチっこくいってみました。
 ほんとはオスが腰に卵をくっつけてオタマジャクシが生まれるまで世話をする「産婆蛙」なんである。オスだけど。
 スペインとかの欧州原産で古くから研究対象になっていて、比較的乾燥した森の中とかに棲んでいるので両生類では珍しく産卵を水中ではなく陸上で済ませメスが生んだ卵をオスが腰のあたりにくっつけてオタマジャクシまで育てて、オスが川とかまで運んでいって放すという変わった生態を持つ。
 産卵が水中ではないのでふつうのカエルのオスが水中でメスをつかまえるために前足にある滑り止めのツブツブの突起がこのカエルには見られない。
 ところがある研究者が、このカエルを何代にも渡って水の豊富な環境で累代飼育したところ、卵を水中で生むようになりオスがメスを抱くための突起も発達した、しかもその子供世代にもその形質は受け継がれたという報告をする。
 要するに環境によって生物の歴史から考えれば極めて短時間で進化が促進さるということが実験室で起こったのである。加えて獲得形質が次世代に引き継がれているように見える。高いところの木の葉を食べようとしていたらキリンの首が伸びた要不要説を支持するような結果でもある。
 時代はおりしも世界大戦前夜という空気の中、生物は新しい環境に適応してより良いものに変わっていけるという発表は、超人類の出現をも期待させ、国威発揚の流れの中、研究者は賞賛されるとともにあちこちに講演を依頼され時の人となる。
 ところがこの研究は大きな疑惑に巻き込まれていく。匿名の内部告発者が現れ、実験結果はねつ造である、オスの前足の突起も色素を使って作ったものだと主張し、マスコミはじめいつの時代でもそうだけど手のひら返して叩きまくり、研究者は失意の中「あなた方にいまさらなにをいっても聞いてもらえないだろうけど誓って私は不正などしていない」と書き置きを残して自殺してしまう。
 科学の世界で捏造事件なんていうのは古今東西数限りなくあって、昨年も我が国の最高学府でデータの改竄が問題になっていたぐらいにありふれた出来事である。まあ嘘ついても追試して再現性がなければバレるので何でそんなアホなことに手を染めるのかよくわからんけど、成果に対する重圧とか名誉欲とか科学者だって聖人君子ばかりじゃないのでいろいろあるんだろう。
 この事件もそういったありふれた捏造事件として記録に残っていたはずである。それを今わざわざ取り上げるところのアッテンボロー博士の鋭い感性と知りたがりな旺盛な知識欲に心底敬服する。
 この事件は、最近の生物学で熱い分野となっている遺伝情報の「可塑性」という概念が頭にあると、世紀の冤罪じゃないのか?という疑いが頭をよぎって背筋が寒くなるのである。
 今時の進化論の基礎には、環境に適応して新しい形質を収得しても遺伝子は変わらないので子の世代にその形質は受け継がれない、親が筋トレしてマッチョになっても、その子供はマッチョで生まれてこない。遺伝子が突然変異など変化して生まれた沢山の子供たちのうちに環境に適応したものがいたらそいつが生き残るという適者選択という概念がある。
 でも収得形質は遺伝しないに例外はあって、単細胞の生物とかならウイルスとかが運び屋になって新しい遺伝子を得て収得した形質があったら単細胞なので次の世代にもその遺伝情報が引き継がれる。生殖細胞が特別あしらえになっている多細胞生物では同じことは起きないけど、多細胞生物でも共生していた生物を取り込んで新しく得た能力とかは引き継がれていく。ミトコンドリアだの葉緑体だのである。とかが目にしたことがある例外。
 その他に、最近注目されているのがさっきの「可塑性」の「表現型の可塑性」と呼ばれるやつで、遺伝子が同じでもそれが発現して現れる表現型には、一卵性の双生児でも違う人間になるように遺伝子以外の要素で変わる幅があるという現象に関連して、遺伝子以外で何らかの遺伝情報が親から子に引き継がれ、例えるならマッチョが有利な環境下ではマッチョが生まれやすいというような現象が報告されてきている。収得形質が引き継がれることがあるようなのである。
 その知識を持って件の事件を見てみると、サンバガエルは遺伝的に表現型の可塑性を持っていて、おそらく先祖がそうであったように水中で産卵しオスの前足の突起も有する表現型になりうる要素をその遺伝情報の中にまだ持っている。でも水が少ない環境下では遺伝子以外の要素が働いて陸上で卵を生むし突起もできない。その遺伝子以外の要素は親が受けた環境要因で変化しかつ子世代に影響する。逆も真なりで水が多い環境にさらされると、遺伝子以外の要素が関係して水中型に変化しその子供世代にもそれは引き継がれる。なんてことが充分あり得るじゃないかと思えてくる。
 アッテンボロー博士も同じ疑問を持ったのだろう、実はサンバガエルには自然界で水中型が見つかっていることや、実験の追試は行われていないことを紹介して「事実は謎のままです」と締めくくりつつも、水槽に石で足場を作った水の多い環境でサンバガエルを飼っているように映像では見えて御歳90を越えても、真実を求める心にいささかの衰えもみえず実に正しく科学的なんである。
 最後にこの話を紹介したのには、あまりにも世の中「科学的」じゃないと思うからということがある。科学は万能じゃない、分からないことも多いし、今日の科学的常識は明日に陳腐なデマに変わり得る。でも今分からないことがあればなにが分かっていないのか明らかにし、分かっていることはどの程度確かなのか根拠をもとに示し、新しい知見が古い常識を覆したら知識を更新していく。そういう態度こそが「科学的」だとアッテンボロー博士がお手本を見せてくれているように思うので紹介したしだいである。
 「科学的に証明された効果」をうたう新商品は、100%正しいような誤解を招く表現であり、どの程度の確からしさなのか示していない時点で全く科学的ではない。アホなペテンにチョロく騙されるなって。
 「自分の目で見たものしか信じない」とかいう、手品師に速攻でだまされるような間抜けな価値観は全く科学的じゃない。ドイツのマックスプランク研究所だったかが、大規模な実験でなんか量子が光りより早いとかいう測定結果が出たときに、本当なら今の物理学をひっくり返す大発見だけど、理屈に合わないので自分たちの「科学的」な観測にどこか誤りがあったのかも知れないので、条件データ開示してどこが間違ってるのか指摘してくれみたいな発表をしたことがある。例え最新鋭の機器がはじき出した観測結果でも、理論から他の実験結果から総合的に勘案して論理的に疑わしかったら疑ってかかるというこの態度こそ科学的だと思うのである。目で見て脳が画像処理した程度のいくらでも誤りが紛れ込む過程を絶対的な根拠にする人間には爪の垢をせんじて飲んでほしい。マックスプランク研究所が爪に垢ためてるか知らんけど。

 ということで長々書いてみたけど、まあめんどくせえこと考えなくても面白いし、お試し一月は無料なのでNetflixお薦めします。
 別にネトフリにお金もらってるわけでもないのに2週にわたって宣伝くせえことを書いているなと思う。
 映像っていう芸術というか文化が、大企業様がパトロンになってた景気の良かったテレビの時代から、ネット配信含め多様化の時代に向かっているようにみえ、金払うオタクやら生き物好きやらもパトロンとしての役割が大きくなる時代を迎えようとしている。これまで大企業様の意向に合うようなクソみたいな大量消費礼賛の垂れ流しの番組を見させていただいてたのが、やっとオレらも堂々と意見を言う権利を得てオレら好みのモノを作ってもらえるような時代が来ているように感じている。
 でも自由と責任がセットなのと同様に権利と責任もやっぱりセットで、ちゃんとパトロンとしての責任果たさないとつまんねえことになるぞと感じているので、有料ネット配信を応援しつつちょっと一言書きたいというのもあった。
 単刀直入に書くと、ネットに違法にアップロードされた動画とか見てタダで済んだとか喜んでんじゃねえゾって話。ちゃんと苦労して創った人間が報われるような仕組みにしていかないと、面白いモノが創られにくくなると思うのである。
 購買は選挙なんかよりよっぽど直接的な「一票」入れる意思表示だと思うので、自分の好きなモノはちゃんと買い支えていくぐらいの度量がないと王侯貴族が果たしていたようなパトロンの役目は果たせないと思う。

 現代社会において私は奴隷で王様だ。

2018年1月14日日曜日

金なら出してやるっ!

 年が明けるとアニオタ4半期に一度のお楽しみの番組改正でテレビ放送の新作アニメが始まる。今だいたい1回目の放送が終わったところ。3話ぐらいから話が転がり始めるので3話まで観て視聴継続か「切る」か決めるというのがお作法なので、放送始まる前にアニメ情報サイトとか参考に今期はまずどれを観るべきか録画予約していくのがいつもの作業になっている。たぶん今期も50作品ぐらいは始まるので最初からかなり絞っていかないと収拾がつかない。
 録画予約していて困るのが放送時間がぶつかることで、できるオタクなら一度に複数録画も可能な機器を用意しているんだろうけど、我が家のパソコンテレビにはそんな便利な機能はついてないので「グハッ!3月のライオン2期とダーリンインザフランキスかぶってもうた!どないしょ?」とか焦るわけだけど、おちつけもちつけまだ慌てる時間じゃない。
 ネット配信のアベマTVかGYAO!で同時配信か見逃し配信あるかチェックである。ダーリンインザフランキスはGYAO!で2日遅れで見逃し配信があってことなきを得た。あとは情報サイトとかで2日間ネタバレ記事を読んでしまわないように注意するだけだ。

 という感じで今期もなんとかなりそうな感じだったのだけど、1作品だけそもそも1月5日からスタートと情報出てるのに録画するにもなぜか番組表に出てこない作品があって、どうしても観てみたい作品なので困った。公式サイトで放送局を調べてみたらネット配信のみで、有料で動画見放題の「Netflix(ネットフリックス)」独占配信となっている。
 確かにいわれてみればあの作品を原作準拠でアニメ化したら地上波ではグロすぎて放送してくれないだろう。飛び散る血しぶきと臓物で「人間」とはなんぞやという根元を鬼才天才永井豪先生が描きまくったマンガ史に残る大傑作「デビルマン」のアニメ化である。
 しかも監督は「ピンポン」アニメ化とかの実力派湯浅政明監督ときた日にゃあ、こりゃあ女房を質に入れてでもネトフリ契約せにゃならんですゼ。ということで「でもお高いんでしょう?」と調べてみたところ月額650円とお安い上にお試し期間一月無料となっていて、こんなんデビルマンだけ観て解約したらタダじゃん、としっぽ振って契約した。
 それがネトフリ側の撒く餌で撒き餌だけ食って食い逃げなどさせてくれるほどネトフリ甘い釣り人じゃないということを思い知ることになるのだが、ともかく「デビルマン クライベイビー」を観始めたところ、今全10話の4話まで観たところだけどこれは面白いわ。

 デビルマンって昭和のテレビアニメ版が一般的には有名だけど、今でいうところのメディアミックス作品で、豪先生がデーモン族の裏切り者であるデビルマンが戦うという基本設定とかだけ決めたうえで、アニメはアニメ制作陣が創ると同時にマンガ版は豪先生本人がマンガ雑誌に連載開始ということでマンガ版とアニメ版では別作品なんである。
 アニメ版も昭和のオッサンである私など、初めて哀愁という感情を覚えたのはアニメ版デビルマンのエンディング曲にだったんじゃないかってぐらいで、実に裏切り者の悲哀が染みた素晴らしいアニメだったと思う。でもマンガ版はアニメ版の脚本家だったか監督だったかが「今までのアニメやマンガにない新しいヒーローを創ってやると意気込んで創って出来映えに満足して、自信満々にマンガ版を読んだところ「これは負けた」と悔し涙を流した」とかいう話が文庫版デビルマンの解説で紹介されているぐらいに豪先生のマンガ版デビルマンは衝撃的な作品である。
 私も高校生のとき再版かかってマンガコーナーで平積みされていたのを「おっ、デビルマンの原作か、懐かしやン」と手にとって、前半シレーヌに尽くすカイムの純情あたりに娯楽作品として滅茶苦茶上手いなと感心して「アニメ版とぜんぜんちゃうけどめっちゃオモロいやん」と引き込まれて全巻むさぼるように立ち読みしてしまい、それがまた豪先生の撒いた餌で後半のすざまじい展開と描写に「マンガでこんなことまで描いてええの?」とドタマでっかいハンマーで横殴りに持ってかれたぐらいの衝撃を受けた。今でこそ世界を終わらせるような最終戦争の物語ってありふれてて当時も平井和正先生原作の幻魔大戦がアニメ映画化で「警告!ハルマゲドン接近!」とかやってて、ハルマゲどんって鹿児島出身っぽいなとかくだらないネタを思いついたりしてたんだけど、そんな物語は豪先生がとっくの昔にとんでもない完成度で描いてやがったのである。初めてマンガで芸術点の高い作品が描きえるということを強く認識された作品でもあった。
 まあ「デビルマン後」に生まれた作品にも面白いのいっぱいあるけどね。

 でもって今回のアニメ化、舞台は現代に持ってきてて、明とミキちゃんにからむヤンキー少年がライム踏んでからんでくるラッパー少年になったり、タレちゃんがタロちゃんになったりしてるけど、大筋は原作の通りでなかなかに上手いと原作ファンも納得できるうえに、昭和のアニメ版への敬意も、例えば「デビルマンの正体は誰にも知られちゃいけないんだ」という飛鳥了の台詞とか随所に感じられてアニメ版が好きでマンガ版も読んだというような人間が嬉しくなっちゃうような小粋な演出なんである。
 でもって登場人物とかの絵柄も今時風のすっきりした格好いい感じになってるんだけど、それでもデビルマンの目がまごうことなくマンガ版で豪先生が描く狂ったようなつり目なところとかがまったくもってデビルマンなんである。
 なんちゅうかみんな違ってみんな良い的にどちらの作品も良いのに、マンガ版ばかり持ち上げる識者とかの意見には鼻持ちならんものを感じる。大学時代に学祭で漫画研究会が展示会場のゲートの左右にマンガ版とアニメ版のデビルマンの等身大看板を立てていて、うちのガッコの漫研にはそのへんよく分かってる奴がいるなと安心したのを思い出す。

 続きも既に全話公開されていて一気に観ちまいたい気もするのだけど、後半戦の展開を知っていると相当覚悟してちょっとずつ観ざるを得ない。あらすじ知っててもたぶんまた衝撃を受けて精神的にかなりやられることは目に見えている。一話ずつ間をあけてじわじわと楽しんでいきたい。後半湯浅監督がどう料理したのか期待してお手並み拝見である。

 という感じでデビルマンだけ来月までに観て食い逃げしようと思ってたんだけど、契約してアカウント作成時にあなたの好きな作品を3つ選んでくださいってのにポトポチっとしてお薦めされてきた作品見ると、弐瓶勉先生の出世作「BLAME!(ブラム)」のアニメ版があるっ!これまたネトフリオリジナル独占配信である。「シドニアの騎士」アニメ化の時のポリゴンピクチャーズがブラムも3DCGで劇場版アニメ化したとは知ってたけど映画館以外ではネトフリ独占配信だったんだ。と、喜んで視聴。
 原作マンガは結構難解なハードSFでたぶん半分ぐらいしか理解できてないんだけど、アニメ版はだいぶわかりやすいアニメオリジナルの脚本で「サナカン(註:ヘラ餌のサナギ感嘆ではなくそういう登場人物)そっちかよ!?」とか割と大胆にいじってて(追加註:調べてみたら多分原作準拠なんだけど原作ストーリーろくに理解できてないので驚いたというハードSFに向いてない頭の悪さを露呈)、別作品としてみた方がいいのかもしれないけど、アニメ版はアニメ版で1時間半ほどの作品としてきっちり娯楽作品としてわかりやすく落としていてこれまた実にいい感じで楽しめた。3DCGもシドニアよりも進化してる感じでレベル高くて眼福だった。金掛かってんじゃなかろうか?

 ネットの動画配信事業って、今まさに開拓時代で各種サービス業者が儲かる仕組みを作りつつ、顧客を囲い込もうと必死になっていて、各社今だけの出血大サービス状態になってるように感じる。
 アベマTVとか番組表の時間帯に視聴すればタダで観られるってぐらいの大盤振る舞い。
 ネトフリの戦略としてはアニメとドラマに力入れてオリジナル映像独占配信でオタクな客とかを釣ろうとしているんだろう。まんまとハリを掛けられた感触がある。
 アニメ産業の今後を考えると、特定の信者からまさに「お布施」として高額な円盤やらグッズの代金を集める「カルト化」した現状より、ネット配信の薄利多売の方が安定して発展していけるのかもしれない。いろんな手段があって多様化していけばいいんだと思うけど、アニメは観たいけど高価な円盤買うのはためらっていた私のような軽めのニワカアニオタからすれば、いままで、円盤買ってくれてる濃いめのオタク様達の恩恵で新作アニメもタダで拝見させていただいていた心苦しさがあったけど、ネット配信なら大した金額じゃないし喜んで払わせてもらいたいし、パトロンとして大手を振って口を出していける気がする。まあ私からの注文は「あんた達が良いと思う作品を力一杯創ってくれ」ってことだけだけどね。

 ということでネトフリ継続契約していく方針なんだけど、アニメとか映画とかは充実してるけど、ほかに観るものないだろかと思って眺めてみたら生物もののドキュメンタリーも老舗英国はBBC放送の割と新しいシリーズとか日本語訳付きであったりして、これが面白いの面白くないのって、滅茶苦茶面白いんである。
 BBCネタだけで紹介したい話が山ほど出てきたので、今回「アニメ・映画など日記」出張版でアニメネタだったけど、次回は生き物ネタ「陽気なカエルがサンバを踊る」でお送りいたします。
 この次もサービス、サービスゥ!