2016年12月4日日曜日

休憩中

 「週末」顛末記の名に恥じぬよう、毎週釣りに行くのを目標にしていたが、ここのところ調子が悪くて行けていない。

 とはいえ、寝込むほどでも無くてネットしたりマンガ読んだりと自堕落な日々を送っている。

 食料買い出しに行く以外は引きこもりである。

 しばらくはこんなな感じで養生して、オイカワあたりでリハビリになるかなというところ。

 ブログも毎週末というわけにはいかないかも知れないけれどご容赦を。

2016年11月20日日曜日

手痛い停滞

 ここのところ体調が悪く、病院に行ったらまた「しばらく休むように」との診断が出てしまった。

 復職しては休んでというのも。ここしばらくで三回目なのでげんなりする。病気とか老いとか自分の思うようにはいかないのでもどかしい。

 もうこれは、治らなくて仕事も辞めてどこか空気の良いところに静養にでも行くしかないのではないかと、暗い気持ちになって、静養に行くならどこか良いかなと、ネット動画で高知のアカメやら宮崎のオオニベやら、山陰のシーバスやら、沖縄のロウニンアジやら、関東近郊のフナ・タナゴやらを見ていたらそれも悪くないなという気がしてきた。というか、何もかも捨てて放浪の旅にでも出てしまいたいやさぐれた気分だ。

 まあ、三度目の正直でスッキリ治って復活できるように休むときはしっかり休んでおくしかないのかなという諦念。

 床について二週間ほどで、すでに運動不足からか膝が痛い。体調見ながらだが釣りには行って歩いておきたい。車の運転はおぼつかないので、近所のシーバスか電車で行けるオイカワあたりをしばらくメインにする。今年のワカサギシーズンは棒に振ったくさいが、秋のシーバスはそこそこ釣ったのでまあ良しとしよう。

 ボチボチとというよりヨボヨボし始めた感じだが、まだしばらく生きていかねばならないはずなのでめげずに行きたい。

 


2016年11月13日日曜日

ラパラフラットラップの修繕

 これまでもフラットラップについては、頼まれてもいないのに褒めちぎる文章を書いてきたが、運河の橋の下パターンで私が主力としてフラットラップを使っている理由の一つである「壊れても修繕がきく」という点についても、ここに書いておきたい。

 橋の下にルアーを放り込んでいると、ガスパイプやら橋そのものやらにぶつけてよくルアーが壊れる。ザラパピーなどパキッと割れて上と下とで泣き別れになって頭の部分だけ戻ってくることもままある。
 ソルトウォーターグレードボーマーの丈夫なポリカーボネイト製のルアーだとぶつけてもあまり壊れないので重宝する。それでもモロぶつけると接着面が開いて浸水するぐらいはある。

 一方、ラパラのようなバルサ製のルアーは、強度はそもそもが柔らかいバルサを主材にしているのでそれほど無くて、ぶつけるとリップがもげたり、フックアイが閉じたり、塗装がはげたりボディーがひび割れてしまったりする。

 でも、バルサ製のルアーの壊れ方は修復可能な場合が多い。スペアの同じルアーをある程度持ち込んでおいて、壊れたら一旦持ち帰って修繕して、次回以降に復帰というのができるのである。

 リップがもげた場合は、実はもげたままでもアクションするのでそのまま使うこともできる。でも元のバタバタとしたアクションのほうが釣れそうな気がするので、直して使っている。
 リップの加工はアクリル板とかだとめんどくさいので、ルアーケースの仕切り板やフライフックのケースなど、やや柔らかい素材の板を用意して、調理用ばさみでジョキジョキと切って整形している。
 リップのサイズは元々のサイズより小さくても十分動く。留意するのはボディーの前の方の細い部分にリップがついているので、しっかり取り付けるために、貫通しているワイヤーの通る部分を切ってリップを整形するのが望ましいと思う。
 リップは「PANDO」等のウレタン系接着剤を何回か盛ってしっかりと接着しておくと、ぶつけてもとれにくくて良好。

 後ろのフックアイがつぶれてバルサのボディーにめり込んでしまうことはままあって、その場合はアイを折ってしまわないように、先の細いスプリットリングプライヤーを使って引っ張って形を整える。引っ張っても出てこない場合はアイを無理矢理引き出すよりはボディーをちょっと削るようにしてアイを露出させる。
 その後、瞬間接着剤を染みこませて乾燥させたら、ウレタン系接着剤でコーティングしておく。
 ウレタン系接着剤は固まってもある程度の柔軟性があるので、ぶつけたときに割れにくいように感じる。

 塗装がはげたりボディーがひび割れてしまった場合も、基本的に瞬間接着剤を染みこませて乾燥後、ウレタン系接着剤でコーティング。

 実際にそうやって直しながら使っている歴戦の強者が上の写真の固体。ボロボロな見た目になっているが、釣れっぷりは新品と遜色ないと思う。



 フラットラップの飛距離やアクションが「釣れる」ということはこれまでも書いたところだが、この修繕がきくというところもなかなかに侮りがたい要素で、投げるのに躊躇が少ない結果、よく投げる、よく釣れる、という良いサイクルにはまりがちなのである。
 そういう面も含めて私にとって「釣れる」ルアーなのである。

2016年11月6日日曜日

読書って、こう、もっと楽しいモノじゃないの?

 ここ数日風邪なのか体調が悪い、のどが痛くダルくてしんどい。釣りにも行けずに家で大人しく本など読んだりネットをさまよったりしている。

 「感受性が高い若いうちに読書をしておくべきだ」との記事を読んだ。

 老いも若いも読書を楽しめば良いと思うので反対するモノではないが、若いうちの読書が人格形成やら教養のために必須のような書き方をされ、「読むべき」的な押しつけがましいことを書かれるとちょっと違うのではないかと思う。

 基本的に読書なんてのは楽しいからやるのであって、人格形成やら教養のためにももちろんなるのかもしれないが、今日のように書籍以外のデータ提供の媒体も多い中、それが必須かと聞かれればちょっと疑問に思う。本などほとんど読まない友人知人もいるが、彼らの人格に問題があるとも教養が無いとも特には感じない。

 自分自身、人格形成やら教養やらに読書ももちろん影響してるだろうとは思うが、人から直接学んだもののほうが大きいように思うし、テレビやらマンガやらからも影響は受けている。特にマンガは今更ながら自分をかたちづくるうえで大きかったように思う。

 まあ、読めと強制されて読むのは「読書感想文」のようで気が進まないというところで、読まなきゃならないなんて思いながら読んでもつまらんのではないかと思う。

 だいたい、じゃあ歳食って感受性が枯れたら読書する意味が無いのかと聞きたい。
 そうじゃないだろと、歳食ってみずみずしい感受性は枯れてもその分経験やら何やらをつんで、もののあわれ的な味わいが分かるようになっているかもしれない。そのときそのときに読んで面白いと感じる部分は違うけど、それがまた面白いんじゃないかと思う。

 というのは、開高先生が人生相談「風に訊け」で読者からの「巨匠の渾身の作がそこいらの学生ごときにそうそう理解できるわけがない、と言われたけど、読む意味が無いのでしょうか?」との問いに答えた答えぶりのパクりだが、当時もなるほどと得心したが今でもそのとおりだと思う。

 読書なんて暇つぶしの一種でとりあえず退屈しなければ御の字で、あんまり過度な期待をするなというモノである。
 それでも、沢山本を読んできた中で人生を変えるような一冊なんてのも確かに読んだ憶えがあって、確かに読書は良いものであるとも感じるところである。
 若いときに読んだ「人間失格」の主人公への共感、「オーパ!」に感じた驚嘆。たしかに若いときしかできない読書経験だっただろう。

 でも、それらと同等以上に素晴らしい読書体験には今でもたまに出会っている。例えば、「ザ・ロード」なんてのは父となっていておかしくないオッサンだからこそ深い感動を味わえたんだろうというモノだ。
 これからも爺さんになっても、「楽しいから」読書は続けるだろうと思う。

 「読書は楽しい」それが、本を読む唯一のよりどころだと私は思うのである。

2016年10月30日日曜日

電子書籍経過報告

 電子書籍のkindle(キンドル)を導入したのが、2012年のクリスマス頃でかれこれ使い始めて4年近くになる。
 本体はカバーをかけて使っていたのでそれほどボロっちくはないけど、人工皮革のカバーが裏面はげたり、ページを送るために使う左手の親指があたる場所がすり切れたりとだいぶボロボロ感が出てきたので、新しいカバーを購入したところ。

 カバーのすり切れ具合からも「だいぶ読んだな」という気がするが、買った書籍の件数がはっきりデータに残っていて、それによると2800件ほど読んだようである。小説、エッセイのたぐいは200冊ぐらいでマンガが残りの2600冊ぐらいと、かなりの冊数になっている。
 電子版で買った他にも「自炊」した本が文庫本中心にマンガや雑誌含め1000冊弱あり、合計すると3500冊ぐらいがほとんど物理的スペースを食わずに、PCと外付けハードディスク、クラウドサーバに入っていることのありがたさをしみじみと感じる。多くの蔵書を自炊したので部屋の押し入れがスッキリしたうえに、検索一発で欲しい本が引っ張り出せるようになった。
 マンガも読んだあとに置いておく場所を取って仕方ないので、読んだら古本屋に売ってというのを繰り返していたが、スペースの問題がなくなって取っておけるようになって、気兼ねなく買いまくれる状態を楽しんでいる。マンガ買いまくり。
 年間の書籍代が数十万円にのぼっているが、その分の楽しい時間が得られているので満足である。

 電子書籍導入時、①欲しい本が買えるか、②あらっぽい雑な扱いに耐えるか、③ネットやPCへの接続のしやすさ、の3点を気にしていた。

 当初①については欲しい本が全然買えなかったので不満があったけど、だいぶ改善してきてマンガについては数ヶ月遅れの時もあるものの新作もほとんど網羅的に買うことができるようになってきた。小説エッセイに関しては、まだまだ網羅的とはいかないけれども、かなり読みたい本が買えるようにはなってきた。マンガに比べると遅れているように感じるが、何か理由があるのだろうか?

 ②に関連して、電池の持ちについては、電車の行き帰りと寝る前の1日2時間程度の使用だと、何の問題も無く使える。「書籍」購入時一旦PCを経由してUSBケーブルをつかってキンドルに落としているのだが、USBケーブルつなぐとキンドルに充電されるので購入時の接続だけで必要な充電が終了してしまう。
 10日を超えるような遠征釣行、とくに本読む時間の長い一人旅では1回の充電では間に合わず、予備の外付けバッテリーで対応している。
 紙の本のように気軽に扱えるか、については紙の本でも乱暴に扱えば破れるし濡れれば読めないので、同じようなものだと感じている。鞄に放り込んで気楽に読んでいる。
 紙の手触りがないとか読み心地が違うとか、こだわる人はこだわる部分かもしれないが、私は全く気にしていない。読めりゃええやんケぐらいに感じている。
 紙の本で買っても自炊してから読んでいる。ページめくりが片手で確実にできるので電車の中で読むのには電子書籍のほうが読みやすいのである。

 ③のPCやらネットやらからの「落とす」手順のやりやすさについては、PC経由で落としているのだが、ワイファイを使うと直接落とすこともできるらしいので、そのあたりは課題だが、今のPCとUSBケーブルで繋ぐやり方でもそれ程不自由は感じていない。

 総じて電子書籍については大変満足しており、もう紙の本は紙でしか出さない作家の本を買って自炊するぐらいになってきた。

 電子書籍はもう手放せなくなっている。

 電子書籍で恐ろしいのは端末の故障とサービスの停止で、端末の故障に関しては一度ソフトをアップデートしたら不具合連発して、初期化してグダグダとかめんどくさかったことがあるが、ぶっこわれたとしても端末を買い直して再出発という手があるのでなんとかなる。
 最悪なのがサービスの停止で、こればかりはそうなったら対策の方法がなかなか無いのが実際だと思う。
 さすがにキンドルが倒れたら暴動モノの話だと思うが、電子書籍の世界では客が取り込めずに撤退した異業種からの参入組とか屍累々なので人ごとながら恐ろしく感じる。
 大アマゾン様にはがんばっていただいて、これからもキンドルのサービスの滞りない提供をお願いしたいものである。

2016年10月23日日曜日

あるいは秋の味覚でいっぱいの海


 ここ3週連続で同居人のお母さんから食糧が宅急便で送られてきている。
 カキ、リンゴ等の果物に加えて毎回、サンマ煮とイチジクの甘露煮が入っている。

 おそらく同居人の実家でサンマとイチジクのもらいものが大量にあって、生で食べきれない分を煮て、さらに「お裾分け」で各地に宅配便で送っているのだろう。

 正直、お裾分け分だけでも3週連続ともなると食べきれないぐらいで、前回分のイチジク甘露煮がアルコール発酵し始めて、カブトムシ捕まえるときの餌のような状態になって捨てるというお百姓さんはじめ皆さんごめんなさいな状況になっており、正直飽きてきた気もするのだが、こういうコントロールできない、採れるときにはドサッととれてしまうのが農作物なり漁獲物の醍醐味だと思う。

 農作物ならまだ、作付面積だのの調整である程度は実る量をコントロールできるけど、それでも実る時期はだいたい決まっていて、採れるときにはドサッとあふれるぐらいとれる。それが漁業になると更に振り幅が大きくて、いきなり船が沈むぐらいの大漁になることもあれば、なぜか突然の不漁がやってくることもある。昨日もスカ食った。

 先日、シーバス釣りで調子よく釣れた日に「調子悪い日に分けて釣りたい」的なことを書いたが、全くそれは自然が相手である限り叶わぬ願いで、釣れるときに釣っておくしかないのである。まあ、それでもあんまり叩きすぎるとスレるので良い加減で満足して帰るというのも大事だとは思っている。

 農作物、漁獲物で、とりあえず沢山とれたときに食べきれない分を濃い味で煮て保存食にしてしまうというのは基本だろうなと思う。

 ただ、この保存食が単に日持ちのする食材という以上に美味しかったりするので、3週連続のお裾分けもうれしい悲鳴を上げつつ、毎日せっせと食べることになる。
 サンマ煮は煮返して食べているうちにボロボロと崩れつつ味がしみてきたりして実に味わい深いし、イチジク甘露煮もそれほど甘くなく仕上げてあり、発酵始まって多少酸味がするぐらいまではバクバクと食べられる。
 「飽きてきた~秋だけに」とかぼやきながら飽食するそのこと自体に贅沢を感じる。

 秋の味覚を飽くほど食らう快楽をいましばらく堪能できそうだ。

2016年10月16日日曜日

体脂肪率15%

 病気で寝倒していたころに増えた体重が、60キロを割り込み、トレーニングして絞り込んだ時の
体重に近づいてきたけど、在りし日の遠征前のように体脂肪率が10%を切るような数値ではなく15%とかある。

 同じ60キロ弱でも、筋肉の量が落ちているので脂肪がまだついているということか。
 筋肉が2~3キロ脂肪に置き換わっているイメージだろうか。

 体脂肪率についてはあんまり下がると、寒さに弱くなるように感じたりするので、脂肪を減らしたいというよりは筋肉量を増やしたいところだ。徐々に筋トレとかも付加をかけているので、筋力付けてパワーアップしたい。

 体脂肪率、15%~20%が年齢からいって普通ということらしいので、脂肪自体はもう少し増えてもいいっちゃいいのだが、腹回りに肉がつくと服を買い換えなければならなくなるので煩わしい。
 何でもネットで買える時代になったが、さすがにスーツとかは店に買いに行って裾直しとかしてもらう必要があるので面倒くさい。 


 例年秋になると、食欲の秋でモリモリと飯を食っていたのだが、今年はというかだんだんと食欲も落ちてきているようで、若い頃は「三度の飯より米が好き」、「おかわり自由は基本的人権」とかいいつつ、チャーハンおかずに白飯を食ったり、昼に弁当2個買って食ったりしていたのだが、最近は店で食事するときにもご飯大盛りをたのまなくなり、学生時代朝晩で3合飯を食っていたのが、2合炊いて3食もつという小食になった。

 飯を沢山食うのはそれ自体に喜びの伴う行為であり、食が細くなったのは寂しい限りであるけど、それでも秋にはサンマやらキノコやら栗やらの秋の味覚があり、味覚の秋を楽しんでいる。

 サンマは同居人のお母さんが、骨まで軟らかく煮たのをジップロックに詰めて送ってくれたのが冷凍庫にストックされていて、ここしばらく連続しておかずにしているがなかなか飽きない美味しさがある。

 キノコは某そばチェーン店のキノコ天丼そばセットがマイブームで、カラッと揚がって甘辛い天丼ダレをかけられたマイタケとシメジを堪能している。マイタケ大好きでマイタケの人口栽培を開発した人には感謝感激で舞を舞う次第である。

 栗は同居人が買ってきて煮たのを半分に切ってスプーンでほじくって食べているが、今時甘くて美味しいむき栗が売っているけど、そこはかとなく甘い程度の素朴な味わいが逆に好ましく感じる。

 天高く馬肥える秋とはいかずに痩せてきているけど、それでも秋は秋だなと思う。