2017年10月14日土曜日

急速潜航 ダイブ!ダイブ!ダイブ!!

 これまでシーバス釣りにおいて投げるペンシルベイトはサーフとかで飛距離がほしかったりカヤックで大型ねらいのときにサミーがでてくるときもあったけど、ほぼザラパピーでかたをつけてきた。
 ザラパピーはあんまり潜らないけど首振りは簡単で、暗い中でも一定のリズムで竿先チョイチョイしながら引いてやれば問題なく首振りながら魚を誘ってくれる。逆にただ引きでヌーッと引いてきてもなかなかにいい仕事をしたりもする。
 ザラパピーしばらく売ってなかったけど、今ちょうど生産再開している時期のようで釣り具屋に新品も売っていて根強い人気のほどがうかがえる。

 でも、最近試行錯誤している近所ポイントのイナッコボイルに対してはザラパピー全然バイトとれず、とりあえず飛距離アップにサミーかなと用意していたけど、いまいち届いても首振らせてるだけじゃ食ってくる気がせず、いっちょ潜らせてみるか?ということになり、今いろいろ候補を投げてみて試しているところである。

 というわけで久しぶりに帰ってきた「ルアー図鑑うす塩味」第33弾は、潜るというか「ダイビング」が得意だったりそうでもなかったりなペンシルたちでいきます。

 今日、海のルアーの世界ではダイビングするペンシルベイトは、青物にマグロにロウニンアジにと大人気で、マグロ釣ったヤマリヤのローデットとか動かしやすいわお値打ち価格だわの優れものだと思うし、クラフトベイト社ダートベイトでは自己記録のロウニンアジ釣ったので自分の中で特別なルアーである。各社から縦浮きで竿先あおるとドボンと泡ひきながらダイブして、水中でギラッと不規則に揺らめいて浮き上がるというダイブジャーク用のペンシルが各種でている。

 ところが、シーバス用のペンシルとなると、まあバス用の流用で間に合ってしまうからわざわざ買わないというのもあって私が知らんだけかもしれないけど、あんまりダイブするのは見かけなくて、首振りメインのいわゆるドックウォークの得意なものが多いように感じている。
 今回のダイブするペンシル探しにおいてもそういうわけで、とりあえずバスルアーから探せばいいだろうと、いくつか候補を選んでみたところ。

 まずは、ダイブするペンシルとして真っ先に頭に浮かんだのがレッドペッパー。確かにこいつはジュポンと頭から水中に突っ込むのも得意だ。バスもよく釣れたしシイラとかにも効いたので、釣れるのは間違いないと思う。ただこのルアーを暗い中で投げる気にはあまりならない。こいつの動きは予測不能すぎて、暗い中ルアーが見えていないとどんな動きしているのか分からない。明るい時間で見えていれば、ある程度実際の動きをみながら潜らせたかったらどう引いたらいいかとか考えながら調整しつつ動かすことができるけど、それでも完全に制御するのは私程度の腕では難しく、そういう制御不能で予測不能な動きがこのルアーの強みだとも思うけど、暗い中で引いてたらどんな動きしてるのかまったく責任とりかねる。ので、とりあえず候補からはずした。

 いろいろと調べて、縦浮きダイビング系で入手が容易なあんまり特殊じゃないペンシルをと考えると、バスディのシュガペンとレーベルのジャンピンミノーに行きあたった。どちらもややマイナーだけど、いまでも生産されていて入手は可能である。シュガペンは香港でアフリカンクララ釣ったときのがあるし、ジャンピンミノーも通販で入手可能なので試しに買ってみた。

 シュガペン9センチは優等生で、首振りも得意だけど立たせた状態から強めに引けばダイブするし、高速ツィッチしてもダイブの動きは混ざる。まずは合格点で、実際にボイルに投げる機会があったときにも、なぜかかからない状態ではあったけど、バイトは派手に何発もあって、食わせる能力は十分とみた。あとはシーバスに食い損ねさせないような間のとり方とか詰めていけばいいように思う。飛距離も十分だしカラーリングも含め作りはバスディだししっかりしている。

 でも、その優等生なシュガペンよりなぜか惹かれてしまうのが、舶来もので新品でも1000円切るような、B級感が濃く漂うジャンピンミノーT10(あっ、ちなみに現在ジャンピンミノーはメイド・イン・チャイナです。プラドコも中南米工場から中国生産に切り替えたのだろうか?恐るべし「世界の工場」中国。中南米製なら曲がりなりにも「アメリカン」ルアーだと納得していたけど、中国製となると性能や品質に問題はないと理解しつつも、なんだかちょっとやるせない)。昔っからあるけど今でも生産してるってことは魚が釣れ続けているという証明だろうか。アメリカンなペンシルベイトとしてはオリジナルザラスプークに代表される首振り得意なものが人気でありかつ主流で、スイッシャーからペラ外しました感の漂う縦浮き系のペンシルであるツースピック、ボウィハウディーあたりはすでに生産されていない(ボディー共通のスイッシャーはまだ売ってるのでどうしてもほしい人はペラ外して改造してください。というか中古を探せばいいのか?)。
 ところが、昔々レーベル社が「うちの会社からもペンシルベイト出したいな。でも新たに金型起こすのめんどくせぇ。そうだ、ミノーのリップとっぱらってオモリ尻の方に入れてでっち上げよう」という開発秘話があって作ったとか想像できてしまうような、しょぼい見た目のジャンピンミノーがなかなかに知る人ぞ知る傑作ダイビングペンシルのようで、生まれては消える有象無象のルアー達を尻目に今日まで生き残っているのである。
 アマゾン(ネット通販大手じゃなくて南米の大河のほう)でもピーコックバス釣るのに有効らしく、現地のメーカーも似たようなタイプのを作っているぐらいに人気のようだ。
 日本にもファンがいて、某長崎のペン使いでアグリースティック使いなカヤック乗りの御仁が、クロダイ釣りに使って絶賛している。
 これは、オレも使わねばと買ってみた。投げてみて動かしてみたら「ペンシルなんてミノーからリップとって後方重心にした程度で上等じゃんヨ」という感じ。シュガペンにも通じる優等生な動かしやすさだけど、こっちの方がさらに潜らせやすくて、水面に出きらないなら潜らせろ、という状況ならこっちがより良い解答なのかもしれない。優等生シュガペンと予測不能レッドペッパーを足して2で割って懐かしさとか安っぽい現代アメルア感とかをプラスαした感じ。
 とりあえずメインで投げるペンシルはこいつと決めたところ。

 どのぐらい「ミノーからリップとって後方重心にしただけ」か写真でご確認願いたい。同じルアーじゃなくて下はレーベルミノーです。
 残念ながら、ミノーの方がちょっと前の時代の最後のアメリカ製ぐらいのモデルで、今ちょうど端境期なのか同サイズのレーベルミノーには悲しいことに私の好きな立体に鱗の線が切ってある系のカラー(クロスハッチ模様というらしい)が見当たらないので入手する気にならず、直接同時代のモデルで比較できてないけど、ジャンピンミノーが、わざわざペンシルベイト用に新しくデザインされたものではないんだろうナ感がおわかりいただけるだろう。

 ルアーの造形なんて、後発である日本のメーカーとか凝りに凝ったものにしていたりするけど、魚釣るにはこのぐらいのテキトウな造形でも充分っちゃ充分なんである。

 今のところこんな感じなんだけど、ぶっちゃけ潜らせるのが正解なのかって聞かれると全く自信がなく、ザラパピーよりボリュームあげるってのも試してみたいなと、バドンカドンクとビックラッシュウォーカーもそのうち投げてみたいと思う。
 バドンカは首振り得意なペンシルで、バラしたけど何度か魚はかけているので釣る能力に問題はないだろうと思っている。
 ビックラッシュウォーカーはダイブも首振りも自由自在のはず(そんな腕あるのか?)なので、自在に操ってバシュッと食わせて釣ったりしたら気持ちいいだろうなと妄想しているところである。

 ほかにも潜るの得意なペンシルにこんなんありますよとか、シーバス用のペンシルなら最近いいのありまっセとか、あったら是非教えていただきたいッス。
 昨夜もスカ食って難しさに頭抱えたりしてるけど、それでも久しぶりにいろんなルアーを試す楽しさを味わっているところ。 

2017年10月8日日曜日

足の延長線上にある道具

  自転車っていうのは、人類が生み出したものの中でも最も優れた素敵道具の一つではないかと思う。
 徒歩に比べると格段に長距離移動が楽。そんなに走行性能に長けていない折り畳み式の我がチャリでも5キロやそこらの往復なら鼻歌交じりの距離である。っていうかむしろ自転車で行くと鼻歌がでるぐらいに気分がよい。
 荷物を積めるとか100キロ単位の距離を行くとなったら車の方が便利だけど、車は駐車スペースとか維持管理とかめんどくせぇ上に、簡単に人をひき殺せる馬力が私には制御不能な感じが強くて根本的なところに恐ろしさを感じてしまう。
 自転車でも全力走行でぶつかったりしたら死亡事故もあり得るんだろうけど、通常走ってる分にはそういう制御不能な感じはなく、車の運転のように緊張せずにゆったりと自分の力を動力に走ることを楽しめている。風を体に感じながらというのも、バイクもそうだといえばそうだけど評価が高いところだ。
 工業製品なのでぶっちゃけそれほどエコではないのかもしれないけど、それでも油炊いて走る車に比べれば多少ましだろうし、経済的な乗り物だとも思う。

 釣りにおける自転車の有用性ってあんまり語られることはなくて、自転車で釣りに行くと楽しいということ以上に、自転車は釣りに有用な道具であるということは意識しておいても損はないように思う。
 わざわざ折り畳み式の自転車を買って、車に乗せて釣り場に持っていったりもするのはそれなりに理由があってのことである。

 徒歩にはない機動力が魅力だけど、それ以上に駐車スペースが必要ないのが大きな利点になる。車でポイント探していて良さげな水辺が見えていても駐車スペースがなくて結局入れずあきらめるなんてことはありがちで、特に新場所開拓の際には、いったん車を駐車スペースに入れてしまってから自転車で良さそうなポイントを虱潰しに当たっていくなんていうのは実に有効。
 内房の運河はこのスタイルでかなりくまなくチェックしてポイント開拓がずいぶんはかどった。
 歩いてもいいんだけど自転車の機動力にはかなわないし、バイクでも駐車スペースはどこでもいけるけど、いちいちヘルメットとかをはずすのも手間だし、ロッドを片手に運転なんてことはできない。ロッド片手に場合によっちゃサドルにまたがったまま2、3投してすぐ移動とかのせっかちな釣りには実に威力を発揮するのである。
 都会だと駐車スペースが近くにないポイントとか、明らかに「竿抜け」になっているような穴場もあって、テナガのノッコミポイントとか自転車の地元民ぐらいしかやってこないので都会の釣り場にはあるまじき広々とした空間で釣りを楽しめている。

 そういう近所の足にも遠征先の開拓の友にも活躍してきた折り畳み自転車2代目も、先代が盗まれてから4年ほど。結構な距離を走ったはずで、先日ツンツルテンになっていたタイヤから繊維が見えはじめて限界だったので交換した。径の小さいタイヤなので普通の自転車のタイヤより消耗激しいのかもしれないけど、良く走ったものだと感慨深い。
 これからもよろしく相棒、という感じである。
 今のところ一度も成果を上げてないんだけど、終了時に帰りながら自転車で川の護岸の柵越しにルアーを引っ張ってくるテクトロならぬチャリトロでシーバス釣ってみたいと密かに挑戦している。

 最近近所ポイントでハゼ追っかけてて気がついたんだけど、釣り場で盗まれた自転車って、売り飛ばされたり使われたりするんじゃなくて、どうもその場で川に放り込まれていることもあるように思う。なんのためにそんなことをする必要があるのか全く理解に苦しむけど、干潮時にあまりにも多くの自転車が川底に沈んでいるのを見るとそんな気がしてくる。盗んで目的地近くまで乗って、証拠隠滅に川に捨てているということも考えられるけど、鍵かけていたのにあっさり盗まれていることとかを考えると、単にその場で戯れに捨てているという可能性に行きあたる。 
 そうであれば自転車を暗い釣り場で盗まれないようにするのに、柵とか電灯の支柱にチェーンキーで繋いでおくのは有効かもしれない。河原に自転車止める人は実行してみてほしい。


 足周りの道具で今年活躍したのは自転車のほかにこの靴。
 アディダスのボートシューズで、遠征の時に船の上で履くために買ったんだけど、以前履いていた水遊び用の靴がボロくなって捨てたのでスライド登板で使ってみたら、実に良い案配。
 なにが良いって、靴の底に水が抜ける穴があいているのが良い。足の裏に水がたまらず水からあがって割とすぐにグチャグチャという感じから解放される。
 即乾性のズボンとあわせて、自宅から履いていてそのまま釣り場で川にジャブジャブ入っていって、帰りもそのまま履いてスーパーで買い物したりしても靴から水がビタビタ滴ったりせずに気にせずいける。
 昔フェルトソールのウェーディングシューズのままビタビタとコンビニで買い物していたら、バイトの姉ちゃんにモップ持って後ろに付かれたことがあり、ゴルゴ13じゃないけどいやな気がしたし申し訳なかったので気にはしていたのである。
 ご近所に釣りに行くのごときに換えの靴持って行くのは面倒なので大変重宝している。そろそろジャブジャブは冷たくなってきたので洗って干してまた来年もよろしくかな。

 釣り具って腕の延長線上にある竿やらリールやら仕掛けやらについては多く語られがちだけど、それ以上に足の延長線上にある移動手段含めた足周りの道具やら、皮膚の延長線上の合羽やら防寒着、日焼け防止策、虫よけなんかも重要で、良い道具とそうじゃない場合とでは釣りの快適さや面白さに雲泥の差がでてきたりするので、皆さんゆめゆめおろそかにしないようにしましょう。
 高価でかっこいい見た目の道具が必ずしも良いってわけじゃなくて、実際に使ってみて維持の手間や経費も含めた総合で評価しないと実戦じゃ役に立たないのは腕の延長線上といっしょ。
 「戦場にゃ一番手になじんだものを持ってきたいんでね」っていうガッツの台詞には私も深くうなずくところである。まあワシら釣り人がいくのは戦場じゃなくてせいぜい船上ぐらいだろうけどね。

2017年9月30日土曜日

ナマジの妄想は夜開く


 近所ポイントのシーバスボイルに苦戦している。
 
 つい先日のイナッコボイルに限らず、ここ数年近所ポイントでバチシーズンにはいい思いをしているものの、春本番を迎え餌がハクに変わるとボイルがあれども釣れず湾奥のバチポイントへ遠征。夏から秋のハゼの時期にハクやイナッコを追ってるボイルを見つけてちゃんと用意してあったルアータックル出して狙ってみても食わせ切れず、どうにも相性が悪いのか単に下手なのかなんともかんともいかんともしがたい。

 シーバスのボイル自体はそれ程苦手意識はなく、カヤックでカタクチの小さいの食ってるなぶら叩いたり、運河の橋の下でハクやイナッコ追い回しているシーバスも狙ったりして結構釣ってきた。
 とりあえずボイルがあれば餌がカタクチでもハクでも第一選択はトップでいいかなと思っている。水面の波とか飛沫とかでごまかされてルアー自体がよく見えてないのと違うか?と思うぐらいで、マッチザベイト的に餌のサイズや見た目を意識したルアーがさんざん無視される状況でもあっさり食ってきたりする。水面でごまかして釣ってしまうというのは決まれば手っ取り早いし、なによりバシュッと食ってくるのが見えたりして面白い。
 次に、経験則的にボイルに効くのは金物系でメタルジグとかも良いんだけど、シーバスにはもうちょっとユックリ引けた方が良くて、クルクル系とジグミノーが効く気がする、気がするんだけどジグミノー並みに重量上げたミノーが金物系よりなんとなく効いている気がするときがあって、シーバスってある程度大きさのあるミノーが基本的に好きなんじゃないかと思ったりしている。金物が効くのはなぶらに届く遠投性に負うところも大きいのかもしれない。
 浅い運河とかでは沈めると根がかるのもあって金物使いにくくミノーを多用しているけど、秋のイナッコはともかく春先の5センチないぐらいのハクを食いまくってるヤツらでも、12センチのロングAとかが効くときもあるし、主力は8センチ級のフラットラップとザラパピーで全然マッチザベイトじゃない。抑えのフッコスペシャルはマッチザベイト的に小さいルアーだけどローテーションしてても昼間はそんなに釣れる印象がなく、サイズが合ってれば良いってもんじゃなさそう。でもなぜか夜の灯りがある運河では圧倒的に強かったりして、何が効いてるのかさっぱり分からないうえにその時々の状況で効くルアーが違うようで悩ましい。

 とりあえず近所ポイントでも、まずはお得意のザラパピーを投げてみた、でも普通に首振らせても高速ツイッチかけてもタダ引きでも、割と良いところにキャスト決まってるのに出ない。ということでちょっと水面には出きらないのかなとミノーを投げてみるとコレも反応ない。意外に難しいなとルアーサイズを下げて動きも地味なフッコスペシャルを投げてみるも苦戦して、ルアーマンがルアーのサイズを下げ始めたら負けパターンと何度も書いてきたことを証明するかのように反応なく、明らかに狙ってるボイルのヌシとは違う魚がアタったことがあるくらいで釣れやん。何やってもつれやン。アタイくやしいの。

 散発的にではあるものの、30mもない射程距離内でボイルが続くので、どうにかして釣ってしまいたいと色々投げるんだけど、これまで良い感じに食わせたのは橋の下の灯りの中をシーバスが下ってくるのが見えて、斜め後ろからシリテンバイブを高速で横切らせたのを食ったのが1回あったっきり(それもバラしてアタイくやしいッ)。
 でも、直近の釣りではシリテンバイブも効果なかった。情報交換した若い釣り人も1バラしのみで難しいとボヤいていたが、バラしたということは全く食わないというわけでもなくて、なんか分からんけど食ってくることもあるようで、そう思うとあきらめるわけにもいかない。ぶら下がってるルアーをみると12センチぐらいの大きめのリップレスミノーで、とりあえず近所では私はあまり投げたことがないタイプのルアーなので、そのあたりの投げたことないルアーで良さそうに思うルアーをとにかく投げまくってみるということを基本方針として、妄想全開で近所ポイントボイル用タックルボックスを用意してみた。
 久しぶりの「妄想タックルボックス」第8弾。最近釣りネタ少なめのこのブログだったけど久しぶりに四六時中釣りのことばかりが頭の中で高速回転中。

 とりあえずはその日の状況によっても違うんだろうから、まずはいつもの信頼しているルアー達を投げる、良い日に当たればそれで案外勝負はついて気持ちよく眠れるかも知れない。
 でも、これまでのようにボイルはあるのに食ってこないとなったら、いつものルアー達でダメなら、次に何を投げようか?単に投げたことないルアーを片っ端から投げるというのでは無駄打ちが多すぎてどうにもならん気がする。

 状況を整理したい。
 まずはシーバスの活性自体は高いと考える。そらそうだ、目の前で本物の餌を追い回して食ってるのに活性が低いもクソも無い。
 ただ、ルアーを食ってこないのでスレているのかなんなのかルアーへの選択性はけっこうあるんだと思う。簡単に釣れていれば人山が立ってそれと分かるはずだけど、釣り人自体橋桁周りとかの定番ポイントぐらいしか居なくて人山とまではいかない。
 選択的に食ってくると仮定すると「当りルアー」は普段私が良く投げるルアーではない。

 ぐらいだろうか、まずはルアーサイズを下げる方向は捨てたい。春先の小さいハクを追っているのならともかく、今年のちょっと大きめの10センチぐらいあるイナッコ追ってるのなら、サイズダウンで地味にしてというのは効かないと思って良さそう。それで食ってくるならフッコスペシャルやニョロニョロで食ってきてるはず。
 普通に7センチから12センチぐらいのルアーで、むしろ大きさで目立たせて食わせることは意識した方が良いかもしれないと、薄い根拠だけど若いルアーマンの選択から着想。
 活性は高いけどスレてるかもしれないのは都会の川なのであり得る。今時のシーバスルアーはスレた魚にいかに食わせるかというのがもっぱらの課題で、一つの方向性として「おとなしい動き」というのがあると思う。
 水面直下のリップレスミノーに代表される、頭の方を支点としてユラユラッと揺れる感じの動きである。
 私が普段シーバスに投げるルアーはキビキビ動いて派手にアピールして活性高い魚を食わせていくフラットラップやロングA、逆にほとんど動かなくてアピール力は小さいけど嫌われにくいフッコスペシャルやニョロニョロであり両極端な選択となっている。投げてないルアーにはその間に位置する今時の「おとなしい動き」のルアーがある。シリテンバイブもバイブレーションとしては音が少なく細かくおとなしめの動きだ。
 もう一つ投げてないルアーの要素をあげるなら、水面直下以外というのもあるかも知れない。活性高い魚ならそんなに沈めなくても良いと思っているし、なにより高価なルアーを失って釣り場のゴミにするなんて馬鹿なことだと思っているので総じて私の投げるルアーは浅い所しか引いていない。
 シーバス水面で餌追い回しているので、水面近くで食うだろうと思うし食わせようと躍起になるけど、明るい時間とか灯りの下とかでシーバスが餌の群れを襲うのを観察していると、ちょっと遠巻きにしたりやや下に位置して追跡して、襲うときだけ急接近して群れに突っ込む感じである。
 襲ってるドンピシャのタイミングでルアーをぶち込めたら水面直下で良いんだろうけど、それ以外の追跡中のシーバスが目の前に来たルアーを反射食いするのを狙うなら、ちょっと沈めて引けるというのも考えても良いかもしれない。

 ということで、大きく分けて2種類の作戦を考えた。
 一つ目は、大きめの水面直下を引けるおとなしめのミノーあるいはシンキングペンシル。
 本物のイナッコが右往左往している中である程度大きさで目立たせなければ食ってこないだろうけど派手な動きだと食わないかもという矛盾の中でとりあえずの選択。
 水面直下のおとなしめのミノーといえば、元祖のコモモ125で迷いはない。色をどうしようか迷って派手なのと魚っぽいの2本入れたけど派手なのメインで行く。色はたいして変わらないだろうとあんまり気にしない方だけど、1匹釣れるかどうかのギリギリではたいした違いではない部分も考えた方がイイのかなと迷ってみた。釣り場では迷ってる時間があるなら投げとけ、かもしれない。
 シンキングペンシルはワンダースリム110とラパラCD9リップレスを選んでみた。ワンダースリムは秋の河川では良い思いをしたルアーなので期待。

 もう一つの作戦は、ちょっと沈めて引けるおとなしめのミノー系。
 一番上のグラバーHi68は初めて使ってみるルアー。水面直下を高速引きするために低速ではあんまり動かないぐらいのバランスになってるらしいけど、それがちょっと沈ませてシンキングペンシル的にあまり動かさない使い方でも良いらしい、とかいう割と新しいルアー。
 ダイキリさんが湾奥の河川でハクやらイナッコやらのボイルをやっぱり狙ってて、苦戦されたりもしているけど、足繁く通ってキッチリ結果を出されている。最近好釣のようであやかりたく思い、ブログによく出てくるコイツとメガバスのトラヴィスというのが、ちょっと沈めて引ける系では良さそうなので近くの釣具屋に買い出しに行ったらグラバーの方が売ってたので買ってみた。活躍してくれると嬉しい。
 2番目は、これは割と信頼と実績あるローリングベイト77SSS。リップが頭上についてる変わったルアーでミノーっていって良いのか疑問だけど、全くといって良いほど横揺れせずローリングだけするという見た目以上に変わったルアー。でも釣れるので長いこと定番として売れ続けている。近所では投げたことないので投げてみよう。
 3番目は、オーソドックスな形のシンキングのリップレスミノー。九州男児御用達のハードコアTTシリーズのリップレスミノー90s。「ハードコア」ミノーネタを書いたときに物欲刺激されて買ったはいいものの蔵に眠っていたのを実戦投入。はたして関東のシーバスのお気に召すか?

 あとは、一応マッチザベイトっぽいサイズ感でフラットラップ10とサミー85。さんざんフラットラップ8とザラパピー投げて無視されたのにコレで釣れたら逆に驚く。
 飛距離が欲しいときもあろうかと鉄板、スプーン、クルクル系も入れてみている。クルクル系はリトルジョージで「明日はジョージか健忘か」。

 と、いろいろ妄想はかどらせて考えまくったけど、結局釣り場に行くとまたいろんな出来事があって、思い知らされたり発見したりと、いつものように楽しく苦戦させられるのだろう。
 苦戦しても、排水溝ポイントが割と手堅く釣れそうな感触を得たので、ボイル狙いは玉砕覚悟で突撃できる。手堅く釣れそうな感触なんて全くあてにならず、また甘さを表現する比喩を考えなければならなくなるのかも知れないけど、心の中にそう思って自分を鼓舞できる感触があるのは大事なことだと思う。

 ダイキリさんも書いてたけど、渋いボイルを目の前にしたら「とにかく持ってるルアー片っ端から投げるしかない」というのが、シーバスマンの正しい有り様だろう。
 切れる手札は全部切る。それでダメならまた次だ。良い潮はきっと巡ってくる。

2017年9月24日日曜日

異土のかたい

 近所ポイントのとある橋の下の住民が亡くなられたらしい。ご冥福をお祈りする。

 先日、ハゼ釣ってて常連のオッチャンと最近見かけないけどどうしたんだろうねと話していたら、次行ったときに、お布団セットやら生活用具一式が消えていて、行政による「撤去して一定期間預かっている」という貼り紙がペタペタと貼ってあり、焼香できるように線香立てが設置されていた。
 いつも一緒に寝てたネコが所在なげに顔を洗っていた。ご主人居なくなって寂しかろうと撫でてやろうとしたら逃げられた。都会の猫はけっこうクール。寂しくっても人に弱みは見せない。

 特に親しくしてたわけではないけど、挨拶ぐらいはする仲だったし「昨日その橋桁でスズキ釣れてたよ」とか情報もらったりもしてた。都会って物騒で人通りの少ない河原とか自転車駐めておくと盗まれるんだけど、一回盗まれてからは住民の寝てるそばに駐めるようにしてた。
 という感じで割とお世話になってた気がするので、線香の一本ぐらい上げさせてもらってもバチ当たらんな、と思ったら置いてあったライターガス欠だった。結構みんなお線香上げてたみたいだ。火が着いたつもりでエア焼香して手を合わせておいた。

 まあ、安らかに眠られてるんだろうと思う。橋の下のコンクリの上に簀の子敷いてその上に布団を敷いて寝るという、アウトドアというかノーガードな生活の仕方をしていた方で。普通ホームレスの人ってブルーシートとかで個室作って一応家っぽくするもんだけど、この人は生活全公開的な暮らしをしていた。
 冬とか「寒くないんですか?」と当たり前の阿呆な質問したら「寒いよ、猫と布団の中でお互いが湯たんぽ代わりだよ」と、厳しい中にも支え合う愛ある生活のようだった。
 水槽で季節の小魚を飼ってたりしてたのも風流だったし、「デキハゼ来たな」とか「今ハクのサイズはこんなもんか」とか参考にもさせてもらってた。
 楽な生活には見えなかったけど、くっだらねえ世間とは縁を切って、川の流れをそばに風をいつも直接体に感じながら生きていくのは、それはそれですてきに自由な生き方に見えて、正直羨ましくもあった。

 
 河原乞食って言葉があるぐらいで、昔っから大雨が降ったら水没するようなうち捨てられた土地には、世を捨てた人間やら社会からつまはじきにされた人間やらが住み着くので、釣り人は一般の人よりはそういった人と出会う機会は多いだろう。
 まあ見慣れてない人からすれば、身なりもボロいことが多いし、何考えてるのか理解もしにくく恐怖を感じるかも知れないけど、慣れてしまえば別にどうってことはない。
 河原乞食的なホームレスの人が社会的弱者で可哀想な人たちで、話してみれはいい人ばかりだなんてことは全く思ってない。仲良く会話できるような優しい人もいれば、中には人ぶっ殺して逃げてきてるような危ないヤツも混ざっているのかも知れない。
 でもそれは、都会じゃ隣近所の住人でも電車の中でも同じで、人間には良いやつもいれば悪いやつもいるってだけの話で、近距離で接触する機会がイヤでも多い電車の中で隣り合った人間の方が、たまにしか遭遇しないホームレスの人より間違いなく危害を加えられる可能性は高い。
 実際、私はホームレスの人にいままで危害を加えられたことはないけど、満員電車の中でいきなり殴られたことは2度ある。満員電車って隣に今から無差別で人刺しまくってやろうとしているヤツがいても逃げようがなく、正直正気の沙汰じゃないと感じている。知らない人間と相対するときは拳が届かない距離を取りたいと思うのは生物として当たり前の防衛本能だと思うのだが。
 とはいえ、ホームレスの人に危害を加えられることがないとも限らないので、不必要に怖がる必要はないと思うけど常識的な警戒はしておくべきだと思っている。
 基本は釣り場で会ったらとりあえず挨拶しとけ、だと思う。挨拶して黙殺してくれるならそれはそれで良し、世間話ぐらいしてくれて釣り情報引っ張り出せたらなお良し、あからさまに嫌がっているようなそぶりが見えたら、相手の体格とか地の利とか色々勘案して「いざとなったらヤれる!」と判断して釣りを続行するか、危うきに近づかずで距離を取るか判断する。いうても河原は広いので普通距離は取れる。
 まあ、普段の社会生活と基本一緒でしょ、まずは友好的に出て様子をみて、気があったら仲良くもするし、敵対的な相手なら打ち負かせる相手か逃げるべき相手かとか判断していくってだけのこと。


 だと私は思ってるんだけど、世の中にはホームレスとか大っ嫌いな社会正義の戦士様(SJW)がいらっしゃって、曰く、
 「公園でも河川敷でも不法占拠している違法なヤツらを許すな」
 「追い出されても行くところがないって、公的な避難所とか支援もあるだろう」
 「働け!」
 だそうな、おっしゃってることは正論でまさに「正義」なんだろうけど、オレの大っ嫌いな虫酸の走る「正義」の香りがプンプンと漂ってくる。

 違法とかいってルールをかさにきて、静かに住んでる人を追い出す必要なんて別にないことも多いんじゃなかろうか。確かに公園がブルーシートの家だらけで公園として一般の人が使えなくなったとかの場合、みんなが利用するという本来の公園の目的を逸脱して、特定の者が占有していることになり、行政による撤去もやむなしかなと思わなくもない。追い出されるホームレスの人が「これまで何年も住んできて黙認されてきたのに、いまさら酷いじゃないか」と嘆いている映像を目にしたことがあるけど、ようするに、あちこちの公園でホームレスの人を排除し始め、残った公園にホームレスがあふれて、黙認しきれない問題として表面化するようになってしまったのだろう。今時の公園のベンチにはことごとく横になれないように手すりとかが付いていて、公園からはホームレスの人をつまみ出そうとしている意識が目に見えて気分が悪くなるしろものだ。
 法とかルールって、それが金科玉条のようにそういうルールだからルールを破るのは悪だと、SJW様は断罪するのかも知れない。
 でも本来は法もルールも守るべき利益とか権利とかがあって、それを守るための不完全な道具でしかない。だから、ルールは、あまり利益などを害さない範囲で黙認する、とかある程度の融通が利くべきなのである。ルールなんだからそれに反したら罪だというのは建て前としてはそうなんだろうけど、そこで思考停止して杓子定規な運用になってしまっては非効率だし現実的でもない。
 道路脇などでの立ちしょんべんは軽犯罪法違反だけど、そんなモンをいちいち全部捜査してつかまえて裁判かけてたらキリがないって話だ。だからやって良いなんていうつもりはないにしてもだ。
 公園のホームレスも、茂みの奥にずっと1人住んでるとか、他の公園利用者が特に気にもせずに見過ごしてしまうような実態なら黙認されてきたことも多かったのだろう。人がいて人の目があるというのは防犯上の利点も確実にあったはずで、見逃されてきた背景には不利益ばかりでもなかったという事情もあったはずだ。時代劇で川に土左衛門が浮いたときに岡っ引きが河原乞食に聞き取りを行うなんてのは定番の話の展開だ。
 それが、景気が悪くなったときに職にあぶれた人が増えてブルーシート村が出来るような盛況になると、声のでかい馬鹿であるSJW様に目をつけられてしまうようになり、住むところをどんどん奪われていってその流れが今も続いている現状なんだろう。いやな「監視→通報」社会が現出しつつもある状況を表していると思えてきて薄ら寒くなる。
 公園が排除的になると比較的普通の人が利用しない河川敷にブルーシート村が増えることになる。河川敷の本来の目的なんて増水時に水が流れることだ。今時都会の河川敷は親水施設や運動公園になってることもあるけど、基本水が流れることを前提にした草むらだ。
 河川敷のブルーシートの家とかに、河川管理者から「河川水の流下に問題が生じ得るので占有許可の無いこの設備は撤去するように」と貼り紙が貼られていることもある。
 ブルーシートの家なんて、心配しなくても増水したら流れてなんの邪魔にもならないって。確かに不法占拠かも知れないけど、アンタに不利益があるわけじゃなし放っといてやれよといいたい。

 あんまり河原乞食を虐めてくれるなと思う。  

 規則だなんだかんだいってご託を並べるSJW様って、結局、ホームレスの見た目とかが不気味で気に入らなくて理解も出来なくて、町中とかにいるのをみたくないという、差別的で了見が狭く、困ってる人の気持ちとか鎖につながれない自由を愛する心とかを想像もしたことないような、あるいは想像できないような単純な正義しか頭に無い方々で、そういう想像力の欠如した人間だから、お気楽に下手すれば人の生き死にに関わるようなことを、快適な家に住みながら自分だけの正義に酔いつつ気持ちよく主張できるのだろう。
 駅前地下街の通路にホームレスの人寝ているのが景観を損なうとか言っちゃって、寝っ転がれないように石をボコボコと埋めた通路脇って、オレから見たらよっぽど醜悪な景観だと思うんだけどね。人の人に対する非寛容な悪意が通路の端に延々とずぅーっとボコボコと続いている。

 まあ、その程度の想像力というか、へたすると想像すらしない方々だから、公的な避難施設や自立支援制度を血税突っ込んでつくったんだから立ち退かせても文句言わせるなぐらいのことは、平気で仰られる。そんな制度がすべからく行き渡り、きめ細かく問題なく運用されていたら、世の中にこんなにホームレスの人いないって。
 自立支援受けて再就職できたらそれに越したことはない、でも実際には成功率一割とかだそうで、一旦就職してもすぐ離職してまた避難施設と自立支援という堂々巡りだったり、そもそも病気で働けず生活保護を受けるべきだという整理になる人もいるようだ。
 公的な支援制度をなるべく好意的にとらえたとしてもそんなに上手くいくもんじゃなさそうで、それがあるから今住んでいる場所を引っぺがしても問題はない、なんてとてもいえないと思う。
 さらにいえば、ホームレスの人には役所なんて全く拒否感しかなくて、身分証明だの書類だのうるさいこといわれてまで、職業訓練したり知らんヤツらと共同生活したりっていうのが全く出来ない精神構造の人もいるだろう。まあ、社会不適合っていわれればそれまでかもしれないけど、それが罪なのか?と問いたい。べつにそれで人様に実質迷惑かけずにホームレスしてたってかまわないじゃないかと思う。アンタに直接泥でも飛んでこない限りは黙っておいてやってくれないかと思う。
 自分の正義が正しくて、他人も同じように当然考えるべきだろう「なぜなら自分は正しいから」とお気楽に思っているSJW様には、面倒くせえ仕事なんかしたくねえ、最低限の雨風しのいで毎日縛られずに生きて行ければそれでいい、不法占拠?誰も使ってねえ土地使って何が問題なんだ?ぐらいに思って生きていく人や、今の社会制度やら「常識」にどうしてもついていけない精神構造の人やら病気の人やら個人個人いろんな理由でホームレスっていう生き方に行き着いている人がいるだろうことは理解できないんだろう。単にそいつの怠惰や犯罪行為がまねいてホームレスになってる場合もあれば、どうしようもなく今の社会や制度ではそうでもしなければ生きていけなくてホームレスになっている場合もあるだろうに。

 「働け!」にいたっては、それができりゃあホームレスになってないよって話。自立支援の制度は、制度ができたことによって抜け出したいのに手段が無かった人には救いの手となっただろうと思う。でも、働きたくない人間や働きたくても働けない人にとっては、前者には大きなお世話だし、後者にとっては画に描いた餅だろう。

 勤労は国民の義務かもしれんけど、働きたくないという思想の自由も許されてしかるべきではないだろうか。面倒くせえ社会の荒波に漕ぎだしていって苦労するのなんて、実際にやってる私がしがらみすべて断ち切って逃げ出したいと常々思ってるくらいで、そんなに珍しい考え方だとも思わない。
 でも働きたくないと思ってしまう人間を想定すると、働けるだけの健康な体を持った人間なら自立支援は受けられても、生活保護は普通受給できないはず。「働いたら負け」と考えるなら自立支援はそもそもケッてぐらいで受けないだろうし、働けそうにみえたら生活保護は受けられないだろう。「働きたくない」人がその思想信条に基づき生きる限り公的支援は受けられない。あたりまえだ「健康なくせに働く気もない」ような輩を行政が支援するシステムなんてあり得ない。あったら是非お世話になりたい。だから、そういう人は有り余る資産でもない限り、自前でホームレスとして生きていく術を得てゴミ箱あさって食べ物得るなりして生活していくしかないだろう。働かないので貧乏は生きるか死ぬかの領域に突入する。そんなときに河川敷に住むのが違法かどうかとか気にしてられるかっての。誰にとってもどうでもいい話のはずの河川の不法占拠と働きたくないという社会とある程度距離をとりたいホームレスの思想信条とどちらを優先させるかといえば、異論はあるかも知れないが私はホームレスの信条を優先したほうが実害被る人がいないだけ望ましいと思う。不利益被ってるわけでもなければ放っておけといいたい。

 後者の働きたくても働けない人だって、たまたまご立派なご職業に就いておられるSJWな方には関係ないことなので想像できないかも知れないけど普通にいるのである。
 病気とかはさすがに想像つくだろうか。その場合は働けないけど日本は社会福祉制度が割と充実しているので、生活保護とかが受けられる。体制側の施しなど受けたくないとかの主義がないのなら利用すれば、めんどくせえ手続きやら報告、監視とかはあるだろうけど経済的には助かる。でもそういうのが嫌いでホームレスやってる人がいて、その人が「自活」してくれているなら、その分で別の困っている人が生活保護受けられて社会的にも意義がある。
 でも病気じゃなくて、健康で働く意欲があっても、働けないぐらいの状況が今の日本にはある。景気も割と良いらしく、将来的にはまた不景気もくるかもだけど、働き口自体は少なくない。復興で景気のいい東北とか求人かけても人が集まりにくい状況もあるそうな。
 でも、その働き口が働いても貧困から抜け出せないような低賃金とか過労死当たり前の黒い職場とかだとしたら、仕事を探す側からみて就職先が沢山あると感じられるだろうか?「仕事なんてえり好みしなければいくらでもある」という言葉は間違いじゃないけど、働いても働いても我が暮らしが楽にならざるのなら「働いたら負け」と思ってしまうのもまた当然だろうと思う。働きたかったのに働きたくなくなってしまう現実だってあると思う。
 とある健康な男性が、仕事をする意欲はあるけど就職できなくて経済的に困ってしまい生活保護を申請したところ「健康なら働いてください」と却下され、このままでは死んでしまうと思い、いろいろあったんだろうけど審査が不当だとして役所相手に裁判で闘うことにした。
 結果はなんと「勝訴」。経緯だけでみるとイチャモンつけたもん勝ちのように見えるかも知れないが、弁護側の突きつけた証拠によると、この男性は数十回に渡って面接を受けるなど十分に働く意欲を持って就職活動を行っており、にもかかわらず採用にはいたらず生活に困窮している。自助努力は限界であり生活保護の対象とすべきであるという裁判官の判決。なるほどなという感じ。
 この事例で見えてくるのは、今の日本では働きたいけど働けないっていうのは言い訳じゃなくあり得る話だということと、役所仕事は杓子定規だし限界もあってきめ細やかな対応なんてあんまり期待できないってことだと思う。

 SJWの皆様がお働きになっている大企業さまとか、安定した雇用が約束された職場にいれば、ちょっと景気も良いとか聞くし就職先がないなんてわがまま言ってるようにしか聞こえないかもだけど、そういう職に就けなかった新卒就活失敗組、会社倒産・リストラ失業組などには厳しい現実があり、就業形態において安定雇用階級とそうじゃないあぶれた階級に分かれてしまっているかのような状況だと感じる。そういう状況が生じてきたのが最近の話なので、安定雇用階級にはその外でどれだけ苦しい状況が生じていても想像すらできておらず正しく認識できていないように思う。
 新卒で安定した雇用先に潜り込めなければ、特殊な技能も持たない普通の人間は、普通の事務一般とか接客一般とか単純軽作業の仕事ぐらいでしか働く能力はない。肉体労働だって頑健な体という資本がいるので普通持ってない。バカにしているわけじゃなくて自分を具体例に考えるとそうなんである。ちなみに私は接客業も無理。
 そうなってくると、そういうパートでも良いような仕事しかないので、高給取りは無理な相談になってくる。雇用形態も安定しない非正規雇用が多いだろう。その上そういう仕事は外国からの「研修生」とかと競わねばならない職種もあり、まともに生活できるような良い仕事というのは実は少なくて「働きたくても仕事がない」は、たしかに職を選ばなければ仕事がないわけじゃないけど、贅沢でもないだろう普通の条件で絞っただけで案外事実になってしまうように感じている。
 就職活動失敗続きでいやになって、裁判起こして生活保護受けるのも勝てる保証もなく、贅沢いわずにすぐ雇ってもらえる仕事に就いてみたら真っ黒で、こんな苦労して奴隷みたいに働くぐらいなら、ホームレスしてたほうがなんぼかましと思ってしまっても何の不思議もないように思う。オレがそうなったら十中八九そう考える。

 「役所仕事の限界」については「だから役所はダメなんだだ、もっと個々の事情に応じてきめ細やかに丁寧に対応しろ!」とか主張する気は全くない。そういう言うだけだったら誰でも簡単なクソみたいなお説教はSJW様のお仕事だろうから私が奪うつもりはない。
 役所は杓子定規で良い。だって担当者によって対応違うとか出たら不公平だし、客観的に外に説明できるような明確な基準を設けて、それに合致するかどうかを粛々と機械的に審査していけばいい。後ろに人も並んでるだろうし早くしろって話だと思う。時間と予算に余裕があるなら、個々の事情を聞いてやって、基準の中の裁量で最良の方法を検討してあげるのが親切というものだろうが、予算も人も限られてるのに自ずと限界というものがあるだろう。
 例えば事例のような件で、司法試験通った弁護人や裁判官が証拠集めて弁論聞いて時間をかけて出したような判断を窓口の担当者一人でできるわけがない。あんまり無茶振りしてやるなと。
 実際には基準を設けて、その上で可能な範囲で個々の事情も聞いて、なるべく困ってる人に受給させて、困ってないのに不正に受給しようとしている奴をはじこうとしているんだと思う。でも窓口の事務員にできる範囲は限られてて、書類で証明できるような困窮具合しか確実にはみることはできないだろうし、悪意ある虚偽の申請をいちいち探偵のように裏をとっていくわけにもいかないだろう。多くを助けようとすれば嘘つき野郎にまで金を撒くことになるだろうし、嘘つき野郎に金がいかないように厳しく絞れば本当に困っているけどそれを証明できない人が受給できない。そのあたりの限界はどうしてもあるだろうし、実際には金が無ければ基準を厳しくするか一人当たりの配分を減らすしかなく、予算というきわめて下世話な限界を決定する要素が大きくのしかかってくる。
 役所が支援する制度があるんだから、不法占拠している住処から追い出しても問題ないなんて、全く現実見てないタワゴトでしかない。


 今回、ホームレスの人の擁護を買って出たのは、誰でもホームレスになる可能性ぐらいあるんだし、ホームレスのような今の社会体制からはみ出した「まつろわぬ民」をつまはじきにするような非寛容な社会は生きにくいと思うからである。

 特に私にとってヒトゴトでなくなりつつある状況があって、今現在病気療養中で病気休暇とってるんだけど、いつまでも休めるわきゃなくて良くならなければ当然期限が来て退職となる。
 そんなに贅沢してきたわけじゃないので、それなりに貯蓄もあって10年や20年は食いつなげるはずだけど、20年たったらあてにしてた年金が受給年齢引き上げになりましたとか受給額減額になりましたとか、おもいっきり想定の範囲内のありそうな予想される事態で、お金を節約するならホームレスもありっちゃありだなと思うのである。
 なにをサラリーマンがホームレスの苦労も知らずにお気楽に、と思うかも知れないけど、オレってば実はガキの頃ボーイスカウトできっちり野外生活の基礎をたたき込まれてるから、ある程度お金があってテントとか寝袋とかの初期装備もある中で始めるホームレスぐらいわけないと思ってる。
 今時のボーイスカウトはたき火とか自然環境に悪影響があるとかでさせてもらえないとか、先輩としては嘆かわしい体たらくらしいけど、ワシらの時代はコールマンのツーバーナーとか格好いい道具達で武装したアウトドアマンを横目に、ナイフ一丁とマッチ3本で山ん中に放り出されても、飲んで食って寝て生還するだけの知識と技術を身につけさせられたものである。昔とった杵柄である。
 でも、道ばたでテント張ってたら通報されたり(経験あり)、良い場所見つけて定住しようとしたらつまみ出されたりするような社会では、私の楽しいホームレスな未来が実現できない。
 だから河原乞食ぐらい許してやれよと書くのである。

 今は景気の良い安定した職業に就けているSJWな輩どもは、もし今後日本がもっと経済調子悪くなって、デカい会社もつぶれてクビになり、年金なんて75歳からしか受け取れなくなって、生活保護も当然予算が少なく渋くなり、働こうにも経済界やら政治家やらは、また「研修生」みたいな移民とはいってない移民を雇い入れて年寄りには働き口もなく、住むところを失ったとしても、公園でも寝てはならぬし河原にも住んではならぬ。通路に座りこんでもならぬから死ぬまで歩き続けやがれ。
 その時になって、吐いた唾を飲んで泣いて許しをこうても、ブルーシート村には入れてやんねえから覚悟しておけと怒りを込めて書き記しておきたい。

2017年9月22日金曜日

緊急企画!岡見勇信選手を応援しよう!!

 最近毎日アベマTVで、過去の名試合やら今回のUFC日本大会に出場する選手とかの特集とか観て「予習」に余念がないところだけど、解説の大沢さんが「総合格闘技の最高峰であるUFCの日本大会をぜひ生で観戦して楽しんでください。日本の格闘技を盛り上げていきましょう。」という感じの営業トークを忘れず突っ込んでくるので、コレは明日23日格闘技の聖地、埼玉スーパーアリーナで行われる「UFCファイトナイト・ジャパン2017」のチケットあんまり売れ行き良くないのかなと、透けて見える大人の事情的な状況も興味深く見ていた。

 過去の試合とかもDVDとかの円盤売るにはタダで放映しちゃうのは不利益かも知れないけど、今回UFCとしてはなりふり構わず、過去の試合はおろか前座試合まで無料でネット配信しているアベマTVで配信させて、本興行を成功させようとしているのがうかがえる。アベマTVは有料契約結ばなくても配信スケジュールに従った映像なら無料で見られる。

 明日の大会の対戦カードも、日本人ファイターを数多くそろえ、メインイベントにはジュニアヘビー級という迫力ある階級のランカー対決、しかも片方の選手はリングネームからも想像つくように日本の格闘技団体で闘ったこともあって日本の格闘技ファンにもお馴染みで人気のあるマウリシオ・ショーグンをもってきていて、UFCの本気の営業戦略が見て取れる感じだった。

 実は格闘技の生の試合って、東北で観戦した「みちのくプロレス」ぐらいしか経験無くて、あの体育館に座布団敷いてお年寄りや子供と一緒に楽しめるほのぼのした地方巡業感も良いものだったけど、総合格闘技のビリビリくるようなビッグイベントであるUFCの大会も機会があれば生で観てみたいとは思っていた。VIP席とか売り切れてるみたいだけど、3万円の割と前の席とかいっそ遠くから双眼鏡で観戦するような安いB席とかまだ売れ残ってるようなので、小金ならあるし今回生で観に行こうかとも思ったけど、埼玉まで電車で行って総合格闘技生観戦して興奮して疲れて帰ってというのが、体力的に無事にこなせる自信がなくて、コナー・マクレガー対フロイド・メイウェザーの時に契約した有料配信のDAZNを引き続き契約更新してあげて、パソコンの前で観戦することにしている。


 まあ、粛々とネットで観戦しよう、日本人選手は応援してファンになってしまおう、と思っていたんだけど、昨夜タブレットで観戦しながら寝落ちしてしまった「岡見勇信 一挙放送!」が今日の午後にも流れているのを観て、ちょうど良いやン、続き観たろ。と観ていたら、噂には聞いてた岡見選手がこんなに強い選手だったのかと驚くとともに、なんで連日特集してるんだろうと思ってちょっと調べたら、なんとメインカード出場予定のマウリシオ・ショーグン選手が怪我で出場できなくなり急遽白羽の矢が立って、メインカードに抜擢されたようだ。


 正直いって岡見選手、既にUFCから契約解除された選手で過去の選手だと思っていた。失礼にも。
 日本の地上波で流していた格闘技団体がポシャって、ネット配信も今ほど一般的ではなく、総合格闘技の選手は日本で地道にチケット売って興行している老舗の団体で闘うか、世界に打って出てUFCに行くかという日本の格闘技ファンにとって不遇の時代があった。それでも「アメリカのUFCで岡見って選手が侍魂を見せつけてるぜ、UFCを観ろ!」という噂は聞こえてきてたのに、当時日本で映像配信していたWOWWOWが、映画とか他のスポーツ無くて良いからもうちょっと安くならんかな、接続も面倒くせえし、と見逃してしまっていた。反省すべきである。
 
 ここしばらく、アベマTVはUFCチャンネル設けて深夜除いて一日中総合格闘技流しているので、さすがに日程的に大沢さんがすべての番組で解説できやしないようで(大沢さんお疲れさまっス)、岡見選手特集も英語解説のまんまなんだけど、まあ強いのは見りゃ分かるし、英語実況の「ビューティフルニー(美しい膝蹴り)!」とか「パーフェクトコンビネイションッ(完璧な連携打)!」ぐらいは聞き取れるし、全く同感だ。
 軽量級で活躍することが多い日本人選手のなかでは例外的といって良いミドル級という重い階級を主戦場として、いかにもパワー有りそうな外国人選手相手に立ち技でも打ち負けてないし、倒して上からコツコツ殴るという得意の戦略はハメれば脱出しにくく実に渋い強さのある迫力有る格闘家である。
 なんでこんな素晴らしい選手が、日本ではコアな格闘技ファンぐらいにしか知られていない存在なのかと、時代に恵まれなかった不遇の天才なのかと思ったけど、ちょっと調べてみてこのまま「不遇」で済まして良いような選手じゃないと認識した。
 この人UFCで王者挑戦するところまで行って、ランキング上位のまま負けが込んでいるわけでもないのに、なぜか契約解除されている。
 玄人好みの渋い闘い方が地味っちゃ地味なのでUFCの営業方針的には日本の格闘技市場が冷えまくってたこともあり契約更新して抱えておく利点が少ないという判断だったのかも知れない。

 でも、契約解除当時より日本の格闘技は盛り返してきている。ここで、UFCをリリースされてもマイナーな団体で闘いながら機会を狙っていた岡見選手にビックチャンスが巡ってきたのは、単なる偶然じゃないモノを感じる。世に出るべき人間はどんなに逆風が吹いても切り裂いて世に出て認められるものだと、そういう美しい夢のある代打逆転の物語を期待せざるを得ないし是非見せてもらいたい。

 明日のUFC日本大会のメインカードは、日本の格闘技の歴史を語る上で大きな転換点となる大一番かも知れない。
 さいたまスーパーアリーナに行ける人は女房を質に入れてでもチケット買って行くべきだ。遠いし行けねえし、な人はDAZN契約して私と一緒にお茶の間で岡見選手を応援しましょう。

 DAZNは格闘技以外にも、テニスやメジャーリーグベースボールとか最近地上波放送減ったJリーグサッカーとかも充実していて月2千円弱という安さを考えるとお得でっセ。とDAZNの宣伝も頼まれてもいないのにしておく。
 
 楽しむ準備はバッチリ怠りなく、明日への期待でワクワクドキドキだ。胸のすくような活躍も天を仰ぎたくなるような苦杯をも、すべてを力一杯堪能させてもらおう。

2017年9月16日土曜日

表現の自由を規制するこの素晴らしい世界に

 ネットのスポーツ中継配信サービス「DAZN」を契約したら、もうすぐ総合格闘技のメジャーリーグ「UFC」の日本興行があるようで、なぜか「DAZN」とネット番組配信サービスの「アベマTV」が連携してるっぽくて、アベマTVで過去のUFCの放送とか特集番組とか流しまくっていて、連日格闘技観まくっている。
 UFCそれほど詳しくない私のような軽めの格闘技ファンにとても優しい感じの予習番組になっていて、いろんなスター選手とかの名前も結構覚えてきて、面白さが加速してきた。アベマTVの総合格闘技の解説は大沢ケンジさんという人なんだけど、元格闘家の解説って大物だと偉そうで鼻についたり、そもそも話下手だったりしていまいちなことが多いけど、この人はすんごく気さくで楽しい格闘技好きのニイチャンという感じで、かつ世界でも戦っていた経験をふまえて選手の心理とか玄人好みのする技術的な解説も分かりやすく紹介してくれる。
 格闘技でも野球みたいな球技でも何でもそうだけど、単に素晴らしい試合そのものが面白いというだけでなく、その選手などの戦歴やら得意技、豆知識的なものやら普段の言動から見えるキャラクターなど、背景もわかってくると、お気に入りの選手とかできてくるし、遺恨やライバル関係なんかも見えてきて、それは試合を盛り上げる楽しむための重要な要素になってくる。
 だから、格闘技番組では「煽り」と呼ばれる選手紹介の映像に結構力を入れているし、事前の記者会見とかではお約束的に一触即発の険悪な雰囲気を醸し出していたりする。
 いろいろとお勉強して、だいぶ楽しめる素養ができてきたように思う。
 
 最近というか、前々から薄々思っていたのだが、格闘技というのは、特に流血とか当たり前で関節が逆に曲がるような関節技も極まっちゃう総合格闘技は、観たい奴だけが金払って観る有料配信方式があってるんじゃないかと思うところ。
 総合格闘技も、黎明期の噛みつき及び目玉と金的攻撃以外何でもアリという無茶苦茶なルールじゃなくて、ヒジうちは頭に打ちおろしちゃだめとか、膝蹴りは立ってる相手にしかダメとか、安全性を確保するために改良されてきた細かいルールによって選手は守られている。
 とはいえ、逆にいうと固い膝やヒジを使った攻撃も許されているわけで、割と簡単に流血して、血みどろの相手をボコスカに殴りつけるような凄惨な場面も結構多い。それが迫力あって面白いと思う感性は残酷かも知れないけど割と普通なことだとも思っている。
 アメリカで試合ごとにお金を払うペイパービュー方式で配信されているのは、人気のある試合になると1試合1万円以上でも、ものすごい視聴者数稼げてバカみたいに儲かるからというのもあるだろうけど、向こうは暴力表現には厳しいので地上波では流せないという事情もあるのだろう。
 ネットでありとあらゆるエログロが閲覧できるこの時代に、地上波放送でだけ規制しても仕方ないと思うけど、家族団らんで観るような時間帯に相撲とかボクシングの中継見るつもりでテレビつけてて衝撃を受けるというのはありそうで、深夜アニメの乳首の規制なんて何の意味があるのかよくわからんけど、地上波で総合格闘技とか放送するときには配慮があってもしかるべきかもしれないと、表現の自由を尊ぶ私も思ってしまう。放送するなとはいわないけど事前に覚悟持って観られるように、見たくない人間は見なくていいように、とか考えるとアメリカ方式でテレビにも映画の「R-18」指定みたいな表示をつけるというのは、さすがエンタメ大国アメリカさんは先進的合理的だと思わされる。まあアメリカの、物語の中でさえ犯罪行為を規制するような規制内容については大いにFUCKだと思うけど。
 
 という、地上波で流すのはちょっとねぇ、という見方とともに、逆に格闘技団体はそろそろテレビという斜陽産業を見限って、チケット収入と有料配信でもうける方式に転換していった方がいいんじゃないかとも思う。
 最近、日本の格闘技団体の試合を見ていて、選手が体の一部に肌色のドーランっていうのかお化粧をしているのを散見する。最初はやけどの跡とか残っててそれを隠しているのかなと気にせず見ていたけど、複数の選手がそういうお化粧をしているのを見るにつけ「ああこれ入れ墨を隠してるんだ」と思い至った。
 なんじゃそれ?という感じである。主催する格闘技団体の自主規制なのか放映権もってる会社の指導なのかわからないけどアホかと。まあ、ふつうの机仕事のサラリーマンが入れ墨とか「公序良俗」に反するものを体に入れているのを不可とするのは、家畜のように従順に働く奴隷を選別する基準として機能してるんだろうなと理解できる。私もサラリーマンだけど、過去に乳首にピアスを入れていたということ(実話)を咎めたてられ、公序良俗に反すると首飛ばされてもサラリーマンだししかたないよねと納得する。イヤならそういう職業に就くなという話で裁判しても勝てないだろう。公序良俗ってなんぞって根本的なところはさっぱりわからんにしてもだ。
 でも、こういっちゃなんだけど総合格闘家なんて、腕っぷし一つで飯食ってく戦闘民族でっせ、公序良俗なんて求めてやるなよ。ルールに基づいて競うアスリートとしての一面もあるっちゃあるけど、闘争本能全開で相手ぶっ殺すぐらいの気迫で戦う、ローマ時代の拳奴から連綿と連なる系譜に属する由緒正しい荒くれの職業じゃないのか?入れ墨ぐらい好きに入れさせたれよ。それがパンツいっちょにグローブだけつけて闘う彼らの晴れの装束だろうし、相手ビビらすためという職業的に必然な理由もあるだろうよ。
 背中に翼の入れ墨とか外国の選手にみられる定番だけど、須藤元気氏とか同じ翼でもナスカの地上絵の鳥の図になってて、いかにも知性あふれる彼らしい入れ墨で、入れ墨込みで彼の総合格闘家としての個性や魅力は構築されていたように思う。解説の大沢さんは女性格闘家の入れ墨が好きっぽいフェティッシュな性癖が言動からうかがい知れたりする。自分の国の先住民族っぽい柄だったり、漢字間違えてたり、入れ墨見るのもまた楽しみの一つだと思う。
 ちょっと前の年末の格闘技のテレビ放送でも、山本KID選手がなんと上半身長袖のピチッとした服着たままで闘わされていた。彼の入れ墨まで含めたちょっと凶暴な個性に敬意を払う気があるのなら、そんなクソみたいな扱いはしないだろう。
 視聴者から「入れ墨の選手など公序良俗に反している、いかがなものか?」とかクレームが来たら「うるせえ、KIDに敬意を払って見とけや、いやなら見るな」と突っぱねろといいたい。タダで見てるくせに文句ばっかいう声のでかいバカのご機嫌をうかがうばかりのメディアなどに未来はない。

 地上波での限界を感じるのはもう一点あって、結局タダでだらっと見てる層に分かりやすいものを提供しなければならなくなるので、どうしても興行自体が見せ物的になりがちであるということ。格闘技が見せ物とは切っても切れない関係だとしても今のテレビの見せ物度合いはちょっとばかり気に入らない。
 有り体にいって試合が硬直すると素人目には面白くないので「かませ犬」を持ってきてスター選手にあてがって派手に勝たせたり、一線を退いたような日本の格闘技界が盛り上がっていた頃の有名選手を引っ張ってきたり。日本に泡々した金があったときには世界から現役バリバリの一流選手を引っ張ってきてたので、トーナメントが準決ぐらいから外国人選手だらけになってもさすがに面白かったけど、今ではUFCの上位の選手とか引っ張ってくるのは難易度が高く、あのころをもう一度というの夢のまた夢だろう。
 とはいえ最近の地上波の総合格闘技「RIZIN」は、素人が偉そうに書くのもなんだけどすごくがんばって盛り上げていると思う。新たな日本のスター選手も育てようとして那須川選手とか華々しく活躍し始めたし、UFCの軽量級のランキング3位につけてた堀口選手を呼び戻したりもしている。元大相撲のバルト関とかも見せ物的には迫力あって分かりやすく面白かった。でもそのバルト選手がUFCでも勝てなくなって引退した往年の名選手ミルコ・クロコップに負けるのを見たりすると、やっぱり金払ってでもUFC観たいなと思ってしまうのである。引退してるのにたぶんお金とかじゃなくて義理で日本の格闘技ファンのために闘ってくれたミルコ選手には感謝しかないし、久しぶりに伝家の宝刀のハイキックみられて嬉しかったけど、何というかナツメロみたいに感じてしまったのが正直なところ。
 選手はみんな、かませ犬だろうがなんだろが必死でやってて格好いいんだけど、作ってるテレビ側の視聴者におもねった姿勢にはどうにも苛つくのもある。地味な判定決着の日本人同士の試合、途中カットして放送してやがんの。たしかに総合格闘技で上にのっかって密着して地味にコツコツ殴って削って判定勝ちとかあんまり面白くない。でも、そういう試合でもアベマTVの大沢さん解説なら、派手な立ち技も関節技もない選手が、地味にしつこくタックルで金網に押しつけて倒す戦略を愚直に続け最後まであきらめずあがく様を応援しながら面白く視聴できた。アベマTVの総合格闘技放送は金払っても観る価値が充分ある。テレビ局はろくにコメントもはさめないタレントをゲスト解説に呼ぶぐらいなら、分かりやすくて面白い解説者を引っ張ってこいといいたい。まったく番組としての価値が違ってくるはずだ。
 地上波のテレビ放送に出ることによって選手が見せ物として消費されるだけだとしたら、あまりにも尊敬がなさすぎる。格闘技団体は自分たちで見せ方まで演出するぐらいの勢いで、テレビのいいなりにならず、選手とファンを育てていくべきだと思う。
 まあ世界一の大会であるUFC観たいっちゃ観たいんだけど、ホントはきっと世界一の水準じゃなくても、例えるなら日本のプロ野球だってメジャーリーグベースボールとはまた違う、高校野球時代から知ってるお気に入りの選手がいたり、ご当地チームを応援したりという楽しみがあるように、日本の格闘技団体は「日本独自の格闘技大会」として発展していくってのがむしろ健全じゃないかと感じる。UFCじゃなくったって世界最高水準じゃなくたって、割とご近所にジムを構えていたりする所英男選手とか出てる試合なら応援しながら観たいと思うもん。所選手、「闘うフリーター」のキャッチフレーズで、優勝候補の一角として呼んできた外国選手にあてるかませ犬的に出場した大会で、いきなり相手の代名詞的必殺技ギロチンチョークにとらえられ絶体絶命のピンチを、なんか知らんけどヌルッと抜け出して、やるやんけと思ってたらクルッと回転裏拳でブッ倒してタコ殴りTKOという衝撃的な最高の大番狂わせをやってのけて一躍人気選手になった。ジムも構えつつ今でもベテラン選手として日本で活躍している。アルバイトしながらひたむきに夢を追ってた若者が腕っ節一つで飯が食えるようになったとかいう物語を知っていると絶対応援したくなるというものである。

てなことも考えつつ、自主規制だらけでわけわからなくなってるテレビとか見てて、言論や表現の自由を制限しようとしやがるバカどもには、全方位的に噛みつかねばなるまいと思っていた。

 特にムカついているのが、表現・創作物の中であっても犯罪行為は許されないとかいい始める気狂いどもで、何を言ってるんだこいつらは?と思うんだけどどうなのよ。おもいっきり言論統制・思想統制の世界にテメエの浅はかな正義感で無邪気に他人を引っ張り込もうとしているような自分らの言葉の意味分かって言ってるのかと。やくざ映画とか悪漢小説とかエンタメではなくてはならないジャンルだと思うし罪と罰的な芸術作品まで、あらゆる表現媒体の物語で登場人物が犯罪ぐらい犯しますよそら。だって現実の世界にだってたくさんの犯罪があるのに創作物には犯罪がないとかあり得ないでしょ。創作物は全部真面目なお付き合いを描いた恋愛ものと日常ものだけとか、そんなクソつまんねえ世界になったらアタイ舌噛んで死んでやるッ!
 さすがにこんな底抜けの低脳の意見など黙殺されるだろうと思ってたら、あにはからんや結構影響出始めてて、ムカつくやら空恐ろしくなるやらでホントに声のでかいバカの主張が通る世の中って放置しておくととんでもないことになりかねないので、お気楽ブロガーとしても読者のみなさまにご注進せねばと書き留めている。

 具体的にはテレビっていってもアニメとスポーツ、動物番組ぐらいしか見ないのでまたアニメの話で恐縮だけど、地上波で深夜にやってるアニメでも、未成年の犯罪を助長する表現は不適切とされてしまったようで、タバコ吸うシーンとか黒く処理されている。こんな異様な表現の規制が現代日本でまかり通っているって信じられますか?
 そりゃアニメの中でも不良少年ならタバコぐらいくゆらしますよ。このあたりも行きすぎた嫌煙が現代の魔女狩りだなと感じて、自分ではタバコも吸わんのに、声高には抗議しにくいであろう喫煙者を代弁して擁護したくなる理由の一つである。ほっとくと阿呆がカロリーメイトみたいな健康に必要十分な食品以外禁止するところまで嗜好品=悪として突っ走るぞと。
 また具体的に目にしたアニメが、学生の頃から楽しんできたジョジョシリーズで承太郎がタバコ吸う例のシーンときた日にゃ、オレがポルナレフの台詞奪って「嘘だろ承太郎!」って言いたくなった。
 表現に対する制限ってホント不粋だと思う。

 それでも未成年に対する犯罪行為の結果生まれる児童ポルノの禁止というのは、さすがに私でも賛成する。今現在の「児ポ法」にも反対するつもりもない。表現の自由は守るべきだけど、表現の自由のためにという理由で犯罪を犯して良いとはならないのは自明だと思う。まあ、ロリータコンプレックスの人からすれば、大人の女性が合意のもとで出演したポルノが良くて、女児は合意があってもダメというのは不当だと主張するかも知れないかもだけど、今の社会制度は未成年は判断能力がまだ不十分なので、責任を免除するとともに保護されなければならないとされているので、私もそれはある程度妥当だと思いつつたまに疑問も感じたりするけど、不服な場合はそういう主張を訴えるなりすればいいと思う。実力行使は捕まるにしても、主張したい人を止める理由は私にはないのでご自由にだ。
 でもこれが、児童ポルノの禁止の議論の中で実写のポルノじゃなくて2次元の「絵」で表現するマンガやアニメについても児童に対する性的な表現は禁止するべきだというのを目にすると、それは違うだろと思う。
 なんでワシがちっちゃい女の子の裸に興奮するロリコン共の擁護せにゃならんのや?という気はする。タバコに関しては釣り仲間に愛煙家が結構いるので、彼らを想い描いて彼らの嗜好を尊重して闘っているつもりなんだけど、別に私はロリコンじゃないし周りにロリコンであることを公言している人もみあたらない。でもまあ、前回も書いたように深夜アニメの円盤を買って買い支えているパトロンである濃いオタク様は傾向として2次元美少女好きであり、エロい2次元美少女を必要とするロリコンの人とも重なる場合は多いと考えると、普段タダで深夜アニメ楽しませてもらってる分ぐらいの義理はあるのかなと思わなくもない。
 人の性癖なんて「変態」という言葉が陳腐に思えるぐらい多様性に富むことは、ネットの匿名の世界でいろんな人の欲望が露わに晒される状況下で明らかになっており、ロリコンぐらい別に実際に女の子にいたずらしたりしなければ、アニメやマンガぐらい自由に楽しませてやってくれよと思う。ロリータコンプレックスという言葉自体がナバコフの作品以降に生まれたのは確かなんだろうけど、ちっちゃい女の子が好きという性癖自体は源氏物語からイスラム教のムハマンドから古今東西普遍的な珍しくもない性癖であり、その持ち主をつかまえて、そのこと自体が犯罪的であるなんて虐めてくれるなよ、あんただって心の底には人にはいえないような独特の性癖の一つや二つ持ってるでしょ?
 そういう表現が犯罪を助長するとかいい始めると、じゃあ他の犯罪表現全部、同じように狩るのかって話でそれがいかにバカバカしいかを想像してもらいたい。
 禁止したっておおっぴらに売れなくなるだけで、需要があれば作る奴も裏で売る奴もいなくなりはしないので、ロリコンの人が本当に困るかといったら別にどうということはないのかもしれないけど、不合理な規制で犯罪者を作るなんてバカバカしい。
 児童ポルノの禁止とかは、とにかくアメリカ様並びでグローバルスタンダードなんだから、というならグローバルスタンダードが間違ってるんだから日本独自基準で行けば良いと思うのである。ガラパゴス化大いに結構。ガラパゴスコバネウの羽が小さいのにはガラパゴス島に適応した理由があってそうなっている。理由もなく感覚的にも受け入れがたい基準を押しつけられるのはまっぴら御免。

 という、規制なんてケッとばせフリーダム最高!!おかわり自由は基本的人権!!と表現の自由を含め自由を賛美してきた我が人生だけど、ちょっとその認識に亀裂が入る出来事があった。
 深夜アニメの円盤買った人のための特典映像なんだと思うけど「これって著作権とか無視して違法に上げてる映像か?」と思いつつもネットでチラッと見てしまったら、地上波放映時には自主規制がかかってて絶対描かれない乳首様が写ってらっしゃってこれが思いのほかエロかった。
 なんというか、ネットで世界中のエロ映像にアクセス可能で大事な部分おっぴろげた無修正画像だろうとそんなには興奮しなくなった寂しい40代が、たかが2次元の絵のオッパイにドキッとさせられた。
 普段隠されているからこそ、それが現れたときのありがたさが増すというのを明確に意識させられた。世阿弥の「秘すれば花なり」というのはこういうことかと勝手に変な解釈で納得してしまうぐらいに。
 深夜アニメの円盤買う人って収集欲か買い支えるための「お布施」と意識して買ってるんだと思ってたけど、円盤では地上波では「不自然な光」や「黒塗り」とかで処理されていた規制のかかった部分が無修正になるのが、意外とホントに特典として魅力で買っているのかもしれないと思わされた。乳首出るぐらいでそんなに違うかよと嘗めてました正直。
 規制もエロ方面に関しては、楽しみを増やすのに役立つこともあるんだとちょっと認識を改めるとともに、マンガ「地獄先生ぬ~べ~」の作画担当岡野剛先生が、世界各国で翻訳された際に、国ごとに規制基準が違ってて日本版では乳首とあそこにジャンプの海賊マークで修正入っているのに追加しての修正とかがあったのに対し「その国の規制ギリギリのところが一番おいしいんです。各国基準で規制おおいに結構」的なことを書いていたのを思い出した。プロはわかってらっしゃる。

 自由っていっても、不自由からの脱却とかがないと実感することは難しく、結局抵抗になる何かがあってはじめて感じることができるものであり、アホウ共のくっだらねええ主張と闘うことができなければ、言論の自由も表現の自由も自分の胸に感じることなんてできないんだなと、つらつらと書いてて再認識したしだいである。
 こうやって好き放題書ける世界というのは、きっとまだ祝福されているのだろう。



※ 文章中報道各社の自主規制において不適切とされる単語いわゆる放送禁止用語を使用していますが、今回言論と表現の自由を守るためあえて使用しているものであり、ご指摘等いただいても訂正も謝罪もいたしませんのであらかじめご了承ください。報道各社様にお付き合いせにゃならんよな義理もねぇしテメエの基準で好きに書きます。オメコ!!

2017年9月9日土曜日

アニメで学ぶ民主主義と多様性

 「多数決で物事が進められて、それが誰かの犠牲の上に成り立つものだったら、それはもう町おこしじゃありません!ただの開発です。だから押しつけではなく商店街の存続のためにひとりひとり何ができるのか、それをみんなで考えませんか?」
 こういっちゃなんだけど、かわいらしいオネエチャン5人組が活躍する深夜アニメのヒロインごときに、自分の積年の思いを、素晴らしく的を射た台詞で射抜かれて、オジサンちょっと感動で目頭熱くなっちゃったよ。

 以前にも書いたけど、私は多数決が嫌いだ。だって俺ってだいたい少数派になっちゃうんだもん。イヤになっちゃう。
 だから、前回そのあたりをグチったときには、選挙とかの多数決が、今の大きく複雑になった社会の中ではほかにあまり選択肢のない方法なのかもしれないけど、昔の日本には合意に達するまで、とことん集落内で話し合うなんていうのもあったんだよ。最後多数決にするにしても合意に達するまでの議論が大事なんだよ、てな説教クセえことを偉そうにいけしゃあしゃあと書いてしまった。

 そういう古きよき時代の民主主義が、実は少子高齢化、人口の都市集中とかで、過疎ってしまっている地方では今現在でも実はできるんじゃないかと、「住民が主役」とかいう極めて嘘くせぇ政治家の考えた安っぽいスローガンが、実は都会じゃ複雑になって時代が変わったなかでも、変わらず良くも悪くも「村社会」な地方では、やりゃできるんじゃねえの?とアニメ観てて蒙を啓かれる思いがしたのである。
 まあ現実は厳しくて物語の中のように都合よくはいかないとしてもだ。

 アニメの名は「サクラクエスト」。春から始まっていま2クール目で終劇に向かって俄然おもしろくなってきたところ。
 舞台はとある地方都市、観光協会の企画「チュパカブラ王国」の国王に就任した主人公と4人の大臣が町おこしのために奮闘する。という割と硬派な社会問題を題材とした「お仕事アニメ」。
 とはいえ、日本の深夜アニメの「とりあえず女の子はいっぱい出す」という伝統様式にのっとり、主人公たち5人は就活うまくいってなかったり、夢をあきらめかけてたり、ネット弁慶だったり、天然だったり、不思議ちゃんだったりそれぞれ一癖ある若い女性で、パッと見華やかで萌え萌えとした作品でもある。
 でも、ある程度物語に現実味を持たせるとなると、「町おこし」って、そんな簡単なら日本全国津津うらうら誰も苦労してないってぐらいで、序盤はなんか町の人ともうまくいかなくて失敗も多くモヤモヤとした感じで正直あまり面白くなかった。前半戦最後の山場の野外フェスに連動したイベントも、客観的には「上出来」という結果に終わるも、当事者たちには苦い思いを残す結末で、同じ「P.A.ワークス」制作の「お仕事アニメ」の金字塔「シロバコ」が前半山場、最終回のどちらも観てる人間ですら達成感と解放感を感じるような脚本だったのと比べて今一かと感じていた。
 まったくもってそんなことはなかった、後半、辛酸くぐって成長した主人公たちが、こつこつ築いてきた信頼関係を、地道にあれこれ失敗しながらもめげずに企画してきた取り組みを布石に、胸のすく活躍を見せ始め前半で切らずに視聴を続けてよかったと快哉を叫ぶ面白さ。

 冒頭の台詞は、町を出て成功を収めた洋菓子チェーンの経営者から、リスクは承知の上で故郷に店を出して恩返しをしたいという申し出を受けて、いわゆる「シャッター通り」と化しつつある商店街で、借りる店舗を探すなか、閉めてる店舗が多いから家賃収入が得られる渡りに船の話で簡単だろうと思っていたら、地方の商店街の店って店舗の2階が自宅になっているので、老後の生活に困ってもいないこともあり誰も貸したがらないという、たぶん現実にもあるんだろう問題に直面して、商店会の緊急会合に国王も同席したときのものである。
 会合で皆は、洋菓子店の出店は好機ととらえるも、実際に店を貸すのは渋りぎくしゃくとしたイヤな雰囲気に。
 つきあいの永い町の中なので、店と別の場所に家を建てて隠居している人物に対し皆が、直接、間接に「なぜお前が貸さない、町のためになるだろう」と重圧をかける。
 その中でのヒロインが国王として意見を求められての台詞。
 ヒロインの台詞を受けて、一人貸したくなくなる事情を知らされていた商店会会長が腹を決めてその話をする。
 皆その話で「それは仕方ない」と納得して、洋菓子店出店はあきらめるか、となりかけたけど「そういう事情なら仕方ない、自分が貸したくない理由なんてどうでもいいようなことだ」と一人が申し出て物語は大円団に向かうのである。
 一定の信頼関係の元に、皆で集まってあーでもないこうでもないと議論しつくして、皆が納得して物事が進む。実に美しいやり方だと思う。
 多数決で決めるのは効率的で合理的なのかもしれない、でも時間をかけて議論を深めるのは絶対無駄じゃない。たとえ結論を得られなくて最終的には多数決に頼るにしてもだ。と思う。
 ヒロインが意見を求められたときに、とにかく数の力をもってして、渋る人間を従わせるようにし向けることもできたように思う。「村社会」の怖いところで、同調圧力をかけまくって「村八分」的な制裁をちらつかせて承諾させてしまうことは、現実世界でも同じような場面ではあり得るように思う。
 それでも、結果は「町に洋菓子店が出店する」ということのみをみれば同じかもしれない、でもそのために誰かの気持ちを犠牲にするなんて美しくないし、わだかまりも残るだろう。議論に時間がかかってもみんな納得していったほうが美しく幸せだと思う。
 前回ボヤいたときに、良いリーダーに従うってのも、民主主義じゃないかもだけど、ありなんじゃないのか?とも書いた。
 国王の台詞もだけど、商店会会長の臨時会議を開いたり、黙っておいてほしいと言われていただろう約束を反故にして事情を説明したりした、タイミングの見極めというか政治的判断もなるほどなと思わされる感じで、やっぱり良いリーダーは重要だなと思ったり、深夜アニメみていろいろ考えさせられた。

 生きていく上での主義主張や哲学について、表現者が世に問う。なんていうのは、古くから文学が担ってきた役割で、戦時の国威発揚なんてのに見られるように近代では映画なんかもそういう役割も持った媒体として機能してきた。
 今の日本では、アニメ観て育ってアニメを作る技術がある表現者がいて、当然のごとくアニメでそういう硬派な題材に挑戦する場合もあるということなんかをご紹介しておきたく、サイトの方の「アニメ・映画など日記」の出張版でお届けしております。

 とはいえ、深夜アニメがそんな挑戦的・実験的なものばかりというわけでは全くなくて、くそバカバカしいネタアニメやら「また主人公が異世界に転生するのかよ!」というマンネリ定型的な作品もごまんとある。まあ異世界転生ものの「ナイツアンドマジック」とか観てるし面白いけど。
 今放送している深夜アニメだけでだいたい毎週10本以上観ている。テレビで毎週放送しているアニメは新作だけでたぶん50~60本あるといわれていて、どっかの大学にアニメを専攻する研究室ができて、そこの先生が担当する講義に出席するには最低週20本は視聴するようにとのことである。私ぐらいのニワカオタク程度では「アニメ学」落第するようである。
 ってぐらいに、いろんなアニメがたくさん作られてて、劇場公開アニメや最近ではネット配信のみ、なんてのも出てきて、ありとあらゆるジャンルや作風のアニメが作られている。
 ネット配信アニメってどんなもんかいな?と「ガンダムサンダーボルト」というのを観てみたら、なるほどこれは地上波じゃちょっと無理、という感じの「R指定」な感じのグロい描写があって、パイロットの四肢切断して切断面から直結した神経やら筋肉で直接モビルスーツを操縦するというのとか、昔の名作横スクロールシューティングゲーム「Rタイプ」の設定を思い出してウヘェとなったけど、でも面白かった。
 
 この玉石混交ありとあらゆる作品がある多様性こそが、とっても大事だというのは、たくさん作品を見ていると何となく感覚的に分かってくる。
 これだけ沢山作られてると、どうしようもなくお粗末な作品もあったりするし、ぜんぜん良さが分からん何をいいたいのか分からん作品もある。でもそういう作品を評価している人もいたり、逆にすごい自分の好みで面白いのにぜんぜん人気がない作品もあったりして、評価自体が完全に客観的なものなどなく、観る人の数だけ楽しみがあってしかるべきだと思えてくる。「クールジャパン」とかワケ分からんこといって、世界市場で戦えるように市場分析とかして戦略的にとか狙い始めると、たぶんハリウッド映画の2番煎じみたいなのとかディズニーアニメの劣化版みたいなのとかに成り下がるのが目に見える気がする。
 制作者たちがオノレの信念にもとづいて、面白いと思うものをとにかく作って世に問うというのが何度も繰り返されていく中で、結果としてヒットするものもあれば、誰かの心に響くものも作られるということだろうと信じる。

 日本のアニメは、ネット有料配信とかの重要性が増えてきて転換期にあるのかもしれないけれど、たった3000枚、コアなオタクにブルーレイ、DVDやらの円盤を売れば採算がとれるとかいうショボ目の小商いなビジネスモデルが成立していて、スポンサーの意向やら売り上げ至上主義的な重圧から比較的逃れられ挑戦が許されているという、いまだ健全なサブカルチャーの側面を残していると思う。思うんだけど、とはいえやっぱり商売として成り立たせるための大人の事情やら制約やらはあるようで、「日本の深夜アニメのとりあえず女の子はいっぱい出すという伝統様式」にのっとって作れというのは、企画を通したりスポンサーを説得したり、売り上げを伸ばしたりするのに直結してるようで、まあ最近は腐女子受け狙って男の子をいっぱいという作品もあるけど、基本深夜アニメには萌え萌えとした美少女が目立つのである。
 円盤買うぐらいの、アニメのパトロンたるコアなオタク層が総じて二次元美少女好きなのでいたしかたあるまいて。
 実写映画にアイドルが出るのと同じような大人の事情で、それでもそんな制約のある中でも面白い作品は面白いので「なんかアニメって意味もなく女の子が多くて気持ち悪い」と敬遠される貴兄のお気持ちは全くよく分かるのだが、その辺を「お約束」だと割り切ってとにかく沢山観ていると、美少女出てくるけど「萌え」だけじゃないという作品にも必ず出会えるし、だんだん慣れてくると、むしろ「萌えって結構重要なことだと思うのよね」という気持ちも湧いてくるというものである。
 脚本はよく練られてて上手いし、作画は流麗で美しいし、演出はスタイリッシュで格好いいし、その上美少女が可愛いとなったら、何を文句をいう必要があるかというものである。

 今期まさにそう思って視聴しいているのが、美少女スパイアクション「プリンセス・プリンシパル」。東西に分断された架空のロンドン舞台に、今作でも女の子5人が活躍します。
 スパイものなら普通にオッサン出したらどうなの?というご意見もあろうかと思うが、そういう貴兄には「ACCA13区監察課」という作品をおすすめしておきつつ、何が良いかって語らせてもらうと、なんちゅうか「キノの旅」の黒星紅白先生のキャラクター原案によるちょっとボーイッシュでキリッとキュートな主人公のアンジェがハードボイルドで格好いいんである。
 「嘘つき」というのが重要なキーワードになっていて、亡命を希望した科学者を匿っている時に、科学者に「嘘をつくのはスパイだから?」と聞かれて、「本当のことは面白くないもの」と答えてたりするんだけど、科学者も嘘つきで実はスパイをあぶり出すための敵側の罠だと判明して銃で殺すことになる。
 アンジェは「殺すのか僕を?」と聞かれて、
 「いいえ」バンッ・・・「いいえ」バンッ「いいえ」バンッバンッ
 と、実に嘘つきでクールな仕事ぶりなんである。
 痺れる第1話のこのシーンで「アッこれは当たりかもしれん」と感じたんだけど、想定以上の当たりっぷりで後半第8話でびっくりする嘘が明らかにされると、いやはや脚本の上手さにメロメロお手上げ降参脱帽状態。
 内容確認するために第1話をもう一回観たら、もう、気づいてなかった伏線だらけでプリンセス最後の「嘘つき」のつぶやきにはそういう意味もあったのか!とか鳥肌もの。
 やばいぐらいに面白いのに、それほどにはネット上とか盛り上がってはなくて、まあサクラクエストの方はちょっと堅くて難しい題材なのでそれほど人気爆発はしない作品だと思うけど、プリンセス・プリンシパルはエンタメアニメとしての完成度高くて、人気爆発してくれなきゃ嘘だろと思うのだが、人様の評価と自分の評価とはまた違うものだと思い知るところである。

 深夜アニメは爛熟期を迎えていて、沢山作られてるけどつまらなくなったとかいう意見も目にするけど、そんなこたなくて面白い作品はいっぱい作られていると感じている。
 最近は放送時視聴し損なっても、ネットで一定期間見逃し配信とかしてたりして、話題になってきた作品でチェックし損なってるのがあってもDVD出るまで待たなくても最悪1話300円ぐらいの有料配信ですぐ視聴できる。
 紹介した作品とか興味を持っていただけたなら、ネットで検索して観ていただけるとうれしい。ハマれば膨大な「お楽しみ」の鉱脈が眠っていることに気づいていただけるだろう。
 今の日本に生きて、アニメ楽しまなっくてどうすんの?TV放送時に観るか録画しておけばタダでっせ、もったいない。ぐらいに常々思っている。
 タダで視聴できるのは誰のおかげかとつらつら考えると、円盤買ってる現代の王侯貴族である濃いオタク様たちのおかげであり、パトロンの嗜好にあわせて多少オタくせぇ萌え萌えとした作風になってるぐらいは至極まっとうなことであり、ありがたく拝見させていただくことが民草の喜びというものではないだろうかと思ったりするのであった。