2014年12月27日土曜日

今年のベスト3(釣り編)


 好釣だった今年の釣り。でもまあほぼ1匹で勝負あった気がします。

○魚:1位「ロウニンアジ30キロUP」、2位「ホンコンオイカワ他」、3位「近所オイカワ」
 1位は、年頭当ブログで「ともかくクリスマス島で決着をつけろ!」と書き、昨年ベスト3ネタの最後に「来年も、苦戦して、そしていい釣りをしたい」と書いた、まさにその通りの結果。まあ、グチャグチャ説明しなくてもわかりますよね?
 今死ぬとしても「我が生涯に一片の悔い無し」と拳突き上げることができる気がする。気がするだけで来年は来年でまた釣りたい魚がいっぱいあるし出てくるというのは、これまた説明しなくても分かっちゃいるんです。
 ホンコンオイカワはニジカワムツもナナツボシもツルギメダカも含めて、江戸前小物釣師としての海外遠征という、まあ実にらしい釣りで、関係者巻き込んでずいぶん楽しんだのでこれも文句なし。
 3位は何にしようか、普段のホームグラウンドの釣りでも良い釣り色々あったので悩んだけど、GWのホンコンオイカワからフライでオイカワ釣りたいという思いが頭にあって、自転車で行ける範囲でも釣れる場所がとりあえず確保できて、さらに湧水のポイント開拓にも手を染めちまったりしており、いま自分の中でオイカワが熱い釣りモノになっている。敗戦転戦の中で渋く拾った釣果ということもあり近所ポイントで釣ったオイカワを3位とした。来年2月ワカサギ終了した感じになったら、シーバス早期のバチパターンと並行して湧水ポイントのオイカワをちょっと攻略してみようなんてことを考えている。

○残念だった釣り:1位アカエイ「ビックリアワセ」、2位無し、3位無し
 伝家の宝刀「ビックリアワセ」は今年も切れ味抜群。アカエイせっかく見つけたのにあわせが早いって。まあ早いあわせはワカサギ釣りでは効果的だったので、デメリットばかりではない。
 あとは春のバチパターンが苦戦したとか、秋の近所ポイントシーバスがあんまり手を出してる暇がなかったとかは、残念というほどのこともなく通常営業のうちなので、今年は全体的に満足のいく釣果がえられたと思う。ありがたいことである。

○釣り具:1位「GTANT86T」、2位「3番フライタックル」、3位「フラットラップ」
 1位はGT20キロオーバーをPEライン使用で狙って獲るというコンセプトで設計された名竿GIANTの実力をやっと発揮させることができました。2位はオイカワ関係で活躍、今は無きウエダのスーパーパルサーとフルーガー・メダリストのフライタックル。こいつらとのつきあいも大学生の頃からだから既に20年以上になる。フライロッド振って20年以上のキャリアがあるのに相変わらずキャスティングのレベルとかがインチキフライマンレベルなのはまあご愛敬というところか。3位のフラットラップはもう私のシーバス陸っぱりにはこのルアー無しでは始まらないぐらいの信頼感。ラパラの歴史の中で「ラパラショック」というのが2回起こっているといわれていて、1回目がアメリカに進出したオリジナルフローティングが起こし、2回目はシャドラップが起こしたとされている。今の時代、ルアーも多種多様な選択肢があり3回目のラパラショックは起こっていないが、世が世ならそうなってもおかしくなかったぐらいの突き抜けた釣れっぷり。見た目はたいしたことなさそうだし特別な機能が付加されているわけでもない。でも使えばわかるラパラの血統。

○スピンフィッシャー:1位「7500SS」、2位「430SSG」、3位「4400SS」
 1位はここでもクリスマス島で活躍してくれた一台。実用性十分のドラグと堅牢性、メンテのしやすさ、こいつが相棒で良かったと心から思う。2位はいつもお世話になってます、陸っぱりシーバスのメインリール。メイドインチャイナの第4世代スピンフィッシャーはたまに油差すだけの簡単メンテで快調にもうすぐ7年目突入。4400SSは香港でなにげにサクッとアフリカンクララゲット、6LB巻いてのシーバス後半戦導入の結果は来年出す予定。

 ここ数年、良い釣りしている実感があるが、来年も引き続き良い釣りできるような気がしている。実際には今年だって、春のシーバス不調時には「釣り方を誰か教えてくれ」と血を吐くような台詞を吐いていたぐらいで、釣りだもん、良いときもあれば悪いときもあるというのはよく分かっているつもりである。
 それでも次の釣りに向かうにあたってウハウハの妄想しか湧いてこない「めでたいオツム」が我ながら頼もしく感じる。来年も妄想全開で釣りに向かいたい。

 皆様、よいお年をお迎えください。

今年のベスト3(エンタメ編)



 仕事は一応来年にまわせる仕事は来年まわしの、いつもの、未来の自分に苦労をかけるパターンでなんとか正月休みに突入しました。明日から気仙沼です。さすがにもう釣り船も年末年始予約いっぱいでとれず、今年はオカッパリのみとなりそうですが、まあ、港でのんびり根魚やらチカやらとたわむれるのもまた楽しからん。

 その年のベスト3を選びつつ、こうやってブログで1年を振り返るのも3回目となりました。いろんなことを思い出しながらの作業は、わりと楽しいです。皆さんも今年1年、いろんなモノのベスト3など思い出してみると楽しいと思うので暇ならやってみてください。

○本:1位「フライ・フィッシング」、2位「シャンタラム」、3位「渚から来るもの」
 昨年はマンガばっかり集中して読んでたけど、今年は活字本も普通に読みました。やっぱり活字も面白い、やめられん。グレイ卿との時空を超えた釣り人としての連帯感、シャンタラムの長編小説読む醍醐味、久しぶりに味わう開高節に覚える「そうだ、開高先生の小説ってこんなに面白かったんだよ!」という再認識の喜び。その他にもオレ的出たら買う作家トリオの池澤、梨木、高野3先生が精力的に書いてくれているのも心強いし、若い桜庭、西尾両先生あたりの才能も要チェックだし、元祖全作品は読み切れない系作家の獏先生、椎名先生あたりも若い作家に負けない「生産力」でゴリゴリ書いてくれているのも頼もしい限りである。紙でもデータでも「積ん読」状態の本がまだ何冊もあり嬉しい悲鳴をあげつつ端から読んでいる状態である。

○映画:1位「電人ザボーガー」、2位エヴァンゲリオン新劇場版「Q」、3位「フルメタルジャケット」
 「アナ雪」なんぞはベストに数えてやんないよ、って具合のサブカル親父チョイスになっている。「電人ザボーガー」は、たぶん40代、50代のオッサンって、今会社とかで一番権力があって発言力がある世代だと思うけど、そういう世代のオッサンが好きなように企画して作って楽しんだというのがありありとわかるオッサンホイホイな特撮モノ。B級な感じは出しつつも割とまじめに手を抜かず作っている感じが良い。「エヴァQ」はネットのオタクどもの評判は今一だったが、地上波でみたら面白いジャンよ。来年は新作公開されるみたいだし映画館で観ようかな。「フルメタルジャケット」は各種パロディーに親しんできた身としては、ネタ元を確認する楽しさも堪能したが、ベトナム戦争ものとして映画としても純粋に面白かった。映画はまだみたい作品あるんだけど、2時間なり3時間集中する時間がなかなか作れない状況。まあ急ぐ必要もないさというところ。

○マンガ:1位「それでも町は廻っている」、2位「極黒のブリュンヒルデ」、3位「ましろのおと」
 正月休みの帰りの新幹線の中で「それ町」夢中で読んで「年の初めからこんな面白いマンガにあたるってことは今年はマンガは豊作かも」と思った。豊作だったのは間違いないが、結局一番本作が面白かった。どうってことのない日常系+ミステリ+その他なんだけど抜群の面白さを醸し出すセンス。最近知ったマンガ家ではこの石黒正数と「空が灰色だから」の阿部共実が異質の才能をみせつけている新しい世代のマンガ家だと感じているが、阿部共実は「このマンガがすごいオンナ版」で1位とって、世のマンガ読みどもも私と同じように驚きを持って読んでいるのだなと思ったところである。
 「極黒」は、エロ有りグロ有り萌え有り何でもありの力一杯のてらいのないエンタメ作品だけど、これがなかなかどうして、超能力バトルものとしての面白さも超一級品、ジョジョシリーズと比較しても遜色ないと太鼓判を押す。いよいよラストかと思ったら、第2部突入らしく、人気作なのでスッキリ終わらせてもらえないのはジャンプ系のさだめか?グダグダになるもよし、さらにヒートアップすればなお良しである。
 3位を何にするか、面白いのいっぱい読み過ぎたので迷った。最後自分の心に「お前が今次巻を一番楽しみにしているのはどれだ?」と問うて「ましろのおと」という答えが脳内スクリーンに浮かんだのでその答えを採用した。表現者の苦しみや情熱を描いた作品などこれまでもいくらでも書かれてきたはずだが、それでもなおやっぱり面白いものは面白いと思わされる「津軽三味線」マンガ。他人様にすすめるなら本作か。
 マンガは面白いのが書かれ続けて活況のジャンルとなっておりこれからも期待しまくり祭りである。惜しむらくは昨年からイチ押ししている「ヒナまつり」がいっこうにブレイクのきざしがないところだが、はよみんな気づいてやってくれと願うばかりである。

○アニメ:1位、「シドニアの騎士」、2位「スペース☆ダンディ」、3位「のうりん」
 上位2作品は宇宙モノだがまったく味わいや趣は異なる。でも、どちらも極個人的に好みのツボにはまりまくって1位、2位は迷う必要がなかった。3位に何を持ってくるか、今年はアニメも面白い作品が多かったので悩んだ。「ジョジョ3部」や「寄生獣」も今時の映像技術で素晴らしいアニメになっているが、こんなもん普通にまじめに作れば面白いのはわかりきったような傑作マンガが原作であり、今さら褒める必要もないのかなと思い、常々「深夜アニメには深夜アニメならではの馬鹿臭い作品も必要である」と思っているので、そういう馬鹿アニメ枠から1作品選んでみた。同時期農業高校ものとしてはこれまた傑作マンガのアニメ化である「銀の匙」が放送されていてこれも文句なしに面白かったが、オレ的には「のうりん」の馬鹿馬鹿しさのほうをより高く評価したい。他にも面白いのはいっぱいあったけど、あんまりアニメ観ないような非オタなこのコーナーの読者に1本お勧めするなら迷わず良作「ばらかもん」。30分が15分に感じられる時間をねじ曲げる面白さ。

 「ナニが自分にとって面白いか」ということを、今年はよく考えていた、結局はどこかに書いたことの繰り返しだけど「オレが面白いと思うことだけがオレが面白いと思う作品の共通点」という、答になっていない答が正しいような気がしている。好きな作家の作品でも今一つまらないときもあれば、全く興味の無かったジャンルの作品がビックリするぐらい楽しめたりもする。他人の感性と自分の感性が違うのはもとより、今日の自分と明日の自分の感性すら違っていたりする。
 だから、面白い作品を探すのは片っ端からあたってみるしかなく、手間は食うんだけど、それでももう、絶対に一生かかってもすべてを楽しむことはできないくらいの沢山の作品が作られ続けていて、私は一生楽しい作品に困らないだろうことは間違いなさそうで、面白い作品作ってくれる表現者達に最大限の敬意と感謝を感じているところである。
 
 来年はまたどんな作品に出会えるか、楽しみである。

2014年12月20日土曜日

約1ポンドの福音


 医者に禁酒を宣言されるなどして、酒が飲めなくなると口寂しくて甘い物に目覚めるという話は聞くが、私はドクターストップがかかる前の酒が飲めた昔から甘い物もいける口だった。

 甘い物にあわせる飲み物としてはちょっと渋いか苦くて口中をさっぱりさせるものが好まれ、和の甘みには渋めの緑茶、ケーキなんかには紅茶、ドーナツにコーヒーなんかが定番だと思うけど、私は「じゃあほろ苦いビールでも良いだろう」ということで、ビールをグビグビいきながら、ケーキ食ったり大福食ったりしていた。
 習慣とは恐ろしいもので、今でも甘い物食うのにビール的な味のものが無いと寂しく感じてノンアルコールのビールテイスト飲料を飲みつつ甘い物を食べたりしている。
 我ながら味覚がおかしかったのかもしれないと思うし、今もおかしいような気もするが、結構いけた記憶があるし、今も炭酸入り麦茶のようなビールテイスト飲料を結構飲んでいる。私の食い物の話はその程度の舌の持ち主の戯れ言と思って読んでいただけると幸い。

 というわけで、昔から甘い物は好物であり、プリンなんていうものも結構食してきたわけだが、プリンって冷やして食べるので、あるいは形からもゼリーの仲間というイメージがあるかもしれず、実際プリンといいながら、製法的には「焼かない」プリン味のババロアというべき製品も多かったりするが、基本的には卵のタンパク質を熱して固めた焼き菓子の一種であり、製法的に一番近い料理は「茶碗蒸し」である。と理解している。

 なので、「戦え!軍人君」だったかで、戦場で飯ごうでプリンを焼く話とか出てきたときに、プリンが焼き菓子だと承知しているあたり吉田戦車はさすがだなと妙なところで感心した記憶がある。わりとプリン好きは「デカイ容器で作ったプリンを食いたい」と考えがちなようで、他のマンガでもバケツプリンとかのネタはみた記憶がある。
 飯ごうプリンが吉田戦車であっているかググって確認したところ、どこかの牧場でリアルに「飯ごうDoプリン」という製品が売られていてちょっと笑った。吉田戦車のパクリだと書いている人もいて、飯ごうプリンは吉田戦車ネタで正解のようだ。

 というようなプリン好きな私だが、同居人もプリン好きなので、デカイプリンが食いたいという話はいつかしたらしく、「売ってた」ということで写真のブツを買って来た。
 「俺のプリン」455グラムとまあ1ポンドクラスのブツである。

 食ってみた。味はババロア系の安っぽい味で、嫌いじゃないというか割といける味。しかし、プッチンプリンだのがこれの1/5くらい、100gとかのサイズである理由がよくわかった。
 半分ぐらいでいい加減飽きて食うのが苦痛になった。

 2日に分けて食ったが、過ぎたるは及ばざるがごとしという言葉の意味を味わったところである。

2014年12月14日日曜日

忘年会

 土曜に名古屋で、末席汚させていただいているチーム「coolbeans」の忘年会に参加させてもらってきた。
 我がチームいくつか日本記録も出している結構気合いの入ったチームなのだが、まあ、飲み会ではどうしようもなく良い感じにバカな話でグダグダに盛り上がる素敵なオッサン達+紅一点であった。今回家族サービスで不参加のケン一除き、Oニーサンとマコちゃん以外は初対面のメンバーだったけど、まあ、釣り人同士であり、もう挨拶すんだら即アミーゴな感じで私も酒も飲まんのにテンションMAXで馬鹿話に突入して堪能した。

 ゲストに名古屋在住の、われわれ世代の釣り人にとって大先輩と言っていいNさんが参加されていて、親しくお話しさせていただいてうれしかった。しかも、私の「ナマジ」というハンドルネームもご存じで、釣行記も読んでいただいていたようでこれまた嬉しい限りである。

 私のこのブログ、週末顛末記の名に恥じない程度には週末毎に律儀に更新していると自負している。だいたい日曜の夜には新しい記事がUPされるので、アクセス数解析とかたまにチェックすると日曜の夜から月曜の昼休みにかけて一定数の人が定期的に読んでくれているようである。

 今読んでいただいているあなたもそうですよね。

 その人数が、まあマニアックで偏った内容にふさわしいといえばそれまでなのだが、世界中に公開しているにもかかわらず50人ぐらいのようなのである。われながら不人気さにはどうにかならんのかと思わなくもないのだが、「そこが良いんだよ!」と熱烈に支持してくれる極一部のマニアックなアナタのために、これからも変な感性で真面目にどうでも良くてたまに役に立ったりするネタをお届けしていきたいと思っている。

 その50人の何割かと昨夜は直で話ができて、凄く歓迎していただき、GTゲットのお祝いの言葉も皆さんからいただいてありがたいとしかいいようがない。
 私が結構楽しかったので、皆さんにも生ナマジを楽しく味わっていただけたようにも思うのだが、そうであればまた嬉しい限りである。
 特に寄生虫ネタが炸裂して、展開して、ホーキング博士の最近の「人工知能」に関する発言ネタから我々は1000年生きるとしたら、飽きずに釣りを続けられるかとかあたりまで、なかなかに一人でパソコンの前で考えているときとは違うブースターの効き方で良い感じに遠いところまで想像の羽を羽ばたかせることができたように思う。

 料理も旨かった。釣り人御用達の店だけあって、魚が旨い。タケノコメバル久しぶりに食ったけどやっぱり旨い。カゴカキダイなんていう渋いところが出てくるのが憎いねこのという感じ。
 カゴカキダイってナニに近い魚って聞かれて、見た目は黄色に黒縞のチョウチョウウオみたいだけど、チョウチョウウオじゃなくて別の仲間なんだよな、というのは憶えてたけど、何の仲間だったか忘れてて「フエダイじゃないよな?イサキに近い仲間だったと思うたぶん・・・」と答えてしまっていたが、ここに間違いを訂正してお詫びしておく。図鑑とウェブで調べたら一番近いといわれているのはメジナでした、でも「カゴカキダイ科」という日本にはカゴカキダイ1種しかいない割とナニの仲間と聞かれて答にくい個性派でした。
 
 所用で、日帰りしなければならず中座するのが後ろ髪引かれる思いだったけど、続きはどこかの水辺でということで、皆さんまたお会いしましょう。ありがとうね。

2014年12月7日日曜日

教えて!TAKE先生!!

 「本のページ」出張版です。
 気づけば師走で、今年もあっという間に終わりそうですが、今年読んだ釣りの本は「当たり」連発。エドワード・グレイ卿「フライ・フィッシング」に始まり、獏先生の「大江戸釣客伝」も良かったし、久しぶりに読んだ開高先生の「フィッシュオン」とかもう至福の読書時間であった。

 でもって、竹中由浩著「タックルスタディー」「マイナーリールの紳士録1、2」。
 著者のサイト「TAKE’S REEL ROOM」のファンなので、ルアー雑誌に書いた記事を集めた書籍がKindle版で出ているのを見つけて早速買ってみた。
 元シマノのリール開発担当の知識は半端でなく、主にトラウトねらいのルアータックル中心に分かりやすく道具の知識が解説されている。スペック至上主義の弊害を説き、実用性というのを釣りの現場視点から重視しつつも、好みや味わい「らしさ」や挑戦性といった視点もふまえた独特の感性で時に辛辣にこき下ろし、ときに愛あるコメントや時代の綾で消えたものへの哀切をも語る。
 インスプールのミッチェルがものすごく好きだというのがありありと伝わってくるのだが、どこかの偏狭なペン使いのように今時のリールを否定するようなことなく、今の高性能なリールをもたらした先人たちの苦労、釣り人たちの洗練をリールの機能に読みとり讃える度量の大きさ、好みは主張しつつも公平な視野。

 リールについて学びたければまずはTAKE先生の書いたものから始めればいいと思う。アンティークタックルから最新鋭の高級機種まで様々な道具がある中で、こういった識者の解説というのは迷える子羊たちを導く福音である。
 インスプールのリールについてベールを手で返す当方のような釣り人には向かないしラインをかむトラブルも欠点だが、プリミティブ(原始的)な機械でシンプルでコンパクトで釣り具として好ましいという考え方はなるほどなと思わされる。
 中古のインスプールのリールにベールを無理に起こして故障しているものが多いという指摘はケン一のミッチェル壊した前科持ちとしては耳が痛い。

 スピニングリールの90度回転方向を変えるギアの各方式の解説も大変勉強になった。なにげに使っているPENNスピンフィッシャーが採用している「ハイポイドギア」方式は、スプール軸のピニオンギアもハンドル軸のドライブギアもギアの山を斜めに切削して作られているという独特の凝ったもののようだ。今時主流のハイポイドフェースギアに比べ製造コストのかかるギアらしい。
 そう聞くと何となく手間暇かけた逸品という気がしてきてスピンフィッシャーがさらに好きになる。コストが高いイコール高性能ではないとしてもである。TAKEさんはハイポイドギアの写真を撮るためだけに750SSを買う羽目になり採算とれないとサイトで嘆いていた。サイトの方ではスピンフィッシャーを研究室で耐久性テストにかけるといつも弱くて、実際のユーザー評価では海水使用での耐久性に大きな支持を集めていることとテスト結果があってくれないと、面白いぼやき方をしていた。テスト結果より現実が正しい、あるいはテストではうまく実際の使用を再現する条件が与えにくいということなんだろう。

 海の釣りをあまりされないようなので、スピンフィッシャーについて詳しく解説してはいないけど(サイトでは第2世代の渓流用インスプールとハイポイドギア撮影用に買った750SSについて解説している)アメリカで海用の道具として愛されているという位置づけに敬意を払ってくれている書き方になっており、スピンフィッシャー好きとしても誇らしい気がする。
 
 ほかにも当方も大好きなスプーンのバイトやフライリールのメダリストが高評価なのもうれしい。渓流トラウトルアー中心の筆者と塩水系の多い私との違いで、道具に求めるものが違ったりもすることはあるが、違いをふまえればそれは当然であり、やはり良い道具というのは絶対がある世界ではなく、人と道具との関係性からしか生じ得ないのだと再認識した。よい先生は人生を豊かなものに導いてくれる。
 TAKE先生これからも面白い記事書き続けてください。

2014年11月30日日曜日

奥様ッ!ブリがお安くなってますわよ

シーバス取り込んだネットに銀杏の黄色い葉が入っていて「枯れ葉よ~」って口ずさんでしまう秋のオッサンですが、皆様いかがお過ごしでしょう。

 食欲の秋ともいいますが、最近、平日は職場でコンビニ飯が続いているので、家では魚とか食いたいと思い、魚屋チェックをしておるわけですが、今年は三陸モノとか太平洋産のブリが安い!
 写真でもちょっと分かるかもしれないけれど、巻き網モノで活き締め処理とかがされてないので若干血が身に残っていたりもするけど、まあ鮮度良ければ気にならない程度だし、何しろ2切れ300円台とかで結構脂ののったブリがゲットできるのなら文句言うほどのことではない。

 例年、もっと小さくて脂も乗ってないイナダは安く売っていて、脂がのってないと美味しくないという評価なのかなと思っていたが、今年の状況見ると結構脂乗ってても太平洋で巻き網でドカッと獲れると値段が付かないようだ。このあたり、日本海の氷見産ブランドのブリとかとの違いは、品質なのかブランド力なのか漁獲後の処理の仕方なのか値崩れなのか謎なところだけど、安くて旨いとなれば食うしか無く、さらに安い気仙沼産モウカザメ(ネズミザメ)の切り身と共に煮たり焼き物にしたりと重宝している。

 海の魚って、結局は予測不能なところがあって、今ブリが湧いているのもナニが原因なのか今一よく分からない、漁業でも資源管理の取り組みは大事なんだと思うけど、資源の予想とかが完璧にできる、理屈どおりに管理できるという幻想を抱いている人も結構いるようで、正直おめでたい人達だなと失礼ながら感じたりする。

 種親まで取り尽くしたら、次の世代が育たないとか、まあそのあたりは正しいんだろうけど、じゃあ種親残したら未来永劫利用できる資源なのかというと、それでも勝手に増えたり減ったりするのが海の魚である。
 漁師が「親の仇と魚の群れは見つけたときにとっておけ!」というのもわかる気もする。

 21世紀にもなって大規模な産業として残っている狩猟採集は漁業ぐらいである。
 予測不能な自然の魚を相手にしている限り、湧いてるヤツを獲って上手く利用するしか無く、そのためには沢山獲れてて安い魚は積極的に利用するべきだと思う。

 餌もやらずに勝手に増えている魚を獲ってくるだけという産業が儲からないのはおかしいという、乱暴な説を聞いたことがあるが、獲ってくるには船や漁具の設備もいるし燃油も炊けば人件費もかかるのが実態だが、それでも上手くやれば儲かる方法はあるのだと思いたい。

 最近、ちょくちょくニュースでも日本の漁業者は小型魚まで取り尽くすので値段の良い大型魚が育たなくて経営的に間違った獲り方をしているという論調を聞くが、値段の良い大型魚はマーケットが小さいから沢山獲れても売りようがない、適度に小さいと加工用でニーズが大きいので売れるという実態やら、そもそも魚は多くは小さいウチに他の魚に食われて死ぬ運命なので、適度に小さい魚も利用して間引いて、全体的にバランス良く利用するべきだと思うのだが、そのへん大型に育てれば値段が上がるという1面のみ強調している論者はどう考えているのだろうか?
 そもそも値段が上がるというのさえブリの安さを見ていると確実ではないように思う。

 釣りも漁業も、結局は完全には予測することができない魚という自然の生きもの相手であり、どうしても出たとこ勝負にしかならない部分はあるのだと思っている。
 それを頭の隅っこに置いておいてからじゃないと、どうも論理が机上の空論の空回りに終始するように感じる、というとお叱りを受けるだろうか。
 

2014年11月24日月曜日

プランB

 プランBって「プランB、戦略的撤退!」とか、日本のサブカル由来のネットスラングだと思ってたけど、今ググったら「次善策、次の手」という意味でアメリカ英語でも使うそうな。

 魚釣りって、魚の機嫌しだいの部分が大きいし、気象条件にも左右されることが多いから、次の手的「プランB」は是非用意しておきたいモノである。
 秋のカヤックシーバスにおいて「プランB」である橋の下パターンや灯りの下パターンの運河の釣りが手堅く面白いので、一発大物狙いで凪でないと出られないカヤックの釣りにも、ためらいなく出撃することができる。カヤック出せなくてもオカッパリで運河で釣っときゃ充分楽しいはず、と思うから悩まずアクアラインを越えられる。

 ただ、釣りにおいてはプランBも駄目で、さらに次の手、また次の手が必要な場合も出てきたりする。
 最初は志高く大物狙いの予定が、とりあえずオカズ確保できればイイやになり、さらには「何でも良いから釣れてくれ!」という血を吐くような台詞を吐くハメにもなりがちである。

 過去の記憶の中に、そういった敗走、敗走、また敗走という釣りは少なからずあるが、たぶん一番酷かったのは、就職してすぐの頃のとあるゴールデンウィーク。
 いっちょサクラマスいてコマしたろうぜと、ケン一とテント車に積んで乗り込みましたは聖地九頭竜川。雨後の濁りの中、橋桁裏の流れの緩くなっているポイント、よっしゃ来ましたとファイトするも魚が根がかってしまい、今思うと死んでても文句言えない蛮行だったと思うが、濁流へ躊躇無く飛び降りて幸い股ぐらいの深さなのでジャブジャブと根掛かり外しにいって、つり上げました60UPの立派なサイズ。
 「ニゴイやんけ!」
 ニゴイ嫌いじゃないけど命がけで獲りに行かんでも良いだろと正直思う。

 その後は、九頭竜サクラはもう時期遅いのかもしれん、木曽川サツキなら5月だしバッチリやろと転戦。サクラだろうがサツキだろうが、難しいのは一緒でこれまたかすりもせず。
 「Y川って長良川水系の有名どころがあって、雑誌で佐藤セージが40のアマゴ釣ってた。40は無理でも30くらいは俺らでもいけるんちゃうか?」とオノレの技量も把握できてない若いバカ2人は近いからという安易な理由もあってまた転戦。
 だがしかし、ケン一フライでチビアマゴ数匹、もう1人の方のヘタクソに至ってはハスルアーでウグイ1匹のみ。

 「俺らでも釣れる魚って、一体どこに行けばおるンやろ?」と途方に暮れたすえに、若いバカ2人が出した結論が、「帰って、いつもバス釣りしてた野池でギルでも釣っとこか!」というモノであった。
 ギルは釣れた。手のひらサイズの良い型のが釣れた。下手くそな釣り人にも優しく、チュボッとルアー・フライあまりえり好みもせず食ってくれるギルが結構実は好きだったりする。

 この3連休もプランB、C、D、Eぐらいまでいったった。最後のどうしようもない時は「プランZ」近所のコイ釣りだと思っていたが、そこまで行かずにオイカワが釣れてくれた。
 敗走しながらも、何とか拾える釣果は拾ってというのもなかなかに味わい深いモノである。

 大物ゲット!とか、爆釣!とか、そんなんじゃないけど、苦労して釣った小さい魚にも苦労した分の価値があると、そう思って楽しめる釣り人になったことが、若い頃と比べて成長したところかなと爺臭く思ったりもする。

 「一匹釣らな気が済まん!」という釣欲が、若い頃と比べても遜色ないレベルで胸にあることはこれまた喜ばしい限り。  

2014年11月16日日曜日

PCチェア探偵「ツチノコ」編

 NHKの「幻解!超常ファイル」という番組で先週今週とツチノコの謎に迫っていた。
 
 先週は、「横幅の広い爬虫類」という目撃証言について、良くいわれている「ヤマカガシ説」と「アオジタトカゲ説」を有力な説としてピックアップして解説していた。

 ヤマカガシ説は私もたぶん目撃情報のいくつかはこれだと昔から思っている。ヤマカガシと聞いてどういう生きものかイメージできる人なら「あんな細長いヘビのどこがツチノコなの?」と思うかもしれないが、ヤマカガシのある行動を目にしたことがあればきっと同意してくれるだろう。
 ヤマカガシは水辺でカエルや魚を食べている割とカラフルな毒蛇なんだけど、毒牙が膨れたカエルを割るためとかいう説もあって口の奥にあるので人間はかまれても毒牙が届きにくく、私の子供の頃など無毒のヘビと考えられていたので、結構つかまえて遊んでいた。その頃には「ある行動」を見たことがないので、個体差や地域差があるんだと思うけど、大学生の時に静岡出身のアユ君に「ヤマカガシには真っ黒なのがいるだよ。そいつはクチバミっていってコブラみたいに体の前半を平たくして威嚇して毒を飛ばしてくるっけ。」といわれても民間伝承の類だと思っていたのだが、東北で岩の上でひなたぼっこしているヤマカガシを接近して写真撮ろうとしたら上半身を平べったくして左右に振って威嚇してきたので、アユ君の言ってたことは本当だったんだと理解したしだいである。アユ君信じてなくてゴメンね。ついでに真っ黒なヤマカガシも実在するし、クビの後ろあたりから毒を分泌するのも今では常識となっている知識である。あんまり信じてませんでした。重ねてアユ君ゴメン。
 そのかなり幅広になった上半身?が本体、後半がシッポとか考えるとかなりツチノコっぽい。少なくとも良く知っているヘビじゃなくて別の生きものだと思うのは無理がないぐらいの異形な感じを醸し出していた。

 ただもう一方の「アオジタトカゲ」などの足が短く胴体が太い外国産のトカゲを見間違えた説は、単に見た目が似ているだけで、日本の冬を越えられないしペットじゃなく自然にそんなモンがいるとは考えられず自分の中では却下していた説であった。でも今回番組では、外国木材の輸出の増加ピークの時期とツチノコブームの盛り上がった時期が一致しているというデータを出してきていて、一部目撃証言は木材に紛れてきた外国産トカゲの見間違えではないかと解説しており、なるほどなと思わされた。そういうことがあったとしても不思議ではないぐらいには納得している。

 今週は、ツチノコのルーツと思われる江戸時代ぐらいの文献に出てくる「ノヅチ」を取り上げて、ヘビやトカゲなどの見間違いでは説明できない、2mもジャンプするとか山の斜面をコロコロと丸くなって転がる、毛がはえているという目撃情報や言い伝えについて解析していた。
 ノヅチはもともと縄をなうために稻藁を打ち据えるための、木槌が妖怪変化した怪異で、コロコロと転がるという説と一致することを軸に、ノヅチという草木の精の神様が神話には出てくることなどから、日本人が心の中に持つ自然に対する信仰や恐れ、そこから派生した怪異伝説が、ツチノコの正体の一つであろうとしていた。
 なかなかに面白い説でそれもあるのだろうと納得したが、「毛が生えている」の答がどこにも出ていない、とパソコンの画面前で、もう一つのツチノコの正体に関する説を持っている私は突っこんでいた。

 ツチノコの、毛が生えて飛んで斜面をコロコロと転がるという目撃情報や伝承を体現する生きものを私は知っている。ツチノコ界のビックネーム山本素石さんと各地のツチノコの話を集めて廻った方に番組ではインタビューをしていたが、そのなかで各地のツチノコのイメージが千差万別であることを語る中で「ある人はツチノコはそんなに怖いモノではない。畑仕事をしているとそのあたりをコロコロと遊んでいてかわいいものだと言っていた。」と例があげられていて、自説に確信を持った。
 ツチノコの目撃情報のうち、毛が生えていて、ジャンプしてコロコロ転がるものはイタチかイイズナかそのあたりのイタチ科の小動物であるというのが今回の私の推理。

 毛が生えていて超絶身体能力が高くジャンプできるし、ピョンピョン転がるように走り回るし、ネズミをつかまえたりすると一緒になってゴロゴロ転がりまわったりもする。そして見た目は、小型だけど凶暴な肉食獣のくせして、とてもラブリー。
 今巷間に流布しているツチノコの想像図からイタチは想像できないが、毛が生えて高くジャンプして跳ねるように移動しコロコロ転がるツチノコに近い体型の生きものという目で冷静に見るとイタチの仲間が素直に思い浮かぶはずである。
 「足はどうした、足は!」と思うかも知れないが、ちょっと遠目で見るとイタチの足はあるんだか無いんだかわからないくらいに短い。ウサギのアナに潜るためにダックスフントの足が短いようにネズミの穴に潜るためにイタチの足は短い。実家で兄の友人が窓の外の柿畑を見て「なんかソーセージみたいなのがピョンピョン跳んでるけどあれなんなの?」とちょっとおびえた声で聞いてくるので見てみるとイタチがピョンピョン跳ねるように走っていた。私が「あれはイタチだよ」と教えてあげたから「イタチなんだ!」と思って済んだと思うが、教えてくれる人がいなかったら彼は「ソーセージみたいな形したヘビより短いピョンピョン飛ぶ謎の生きものがいた、毛も生えてた!」と吹聴してツチノコ伝説に拍車をかけていたかもしれない。
 イタチは田舎だと割と身近な動物で、側溝の中で激しくドブネズミを追い回して、川に飛び込んで泳いで逃げるネズミを追ってイタチも追撃して華麗に飛び込んで器用に泳ぐのをみたこともあるし、朝早く下宿のゴミ箱をあさってる猫がいるなと思っていたら、ひょっこり顔を出したのがラブリーなイタチだったというような経験もしている。かわいい方のツチノコはたぶんイタチ系だ。

 じゃあ「ツチノコ」が全く未知の新種の爬虫類という可能性はないのかと聞かれれば、まずは無いと思う。「悪魔の証明」で、いないことを証明することは難しいし、大型の爬虫類の新種発見が全く例がないかというと、21世紀に入っても東南アジアの密林で樹上で果物主食にしているオオトカゲが見つかったりしているので無いわけじゃないと思う。でもこれだけ人が沢山住んでいる日本で未確認生物が発見されるというのは無いんじゃなかろうか?
 未確認生物(UMA)なんていうロマンは陸上にはもうなくて、ヒマラヤのイエティも熊説で決着が付きそうな雰囲気になっているし、いるとしたら深い海の底だろうと思う。
 海の底には伝説のUMAシーサーペントの正体として、首長竜が現存していても私は驚かないだろう。あんな大型の生物がいたら、既に死体が発見されていてしかるべきだという賢しらな意見は、1970年代まで全く知られていなかった大型のサメであるメガマウスの存在が完全に打ち消す。
 それでも、爬虫類なら卵を産みにウミガメのように上陸するはずだという賢しらな少年だった日の私の認識は、「遠い海から来たCOO」を読んだ時に「その可能性があったか!」といたく納得して打ち消された。

 ナニが棲んでいるかわからない水の底に恐れを抱きながら糸を垂らす面白さ。
 UMA、一度で良いからお目にかかってみたいモノだ。

2014年11月9日日曜日

大事なものには予備が必要だ

って、落合が言ってた。

 落合って誰や?と思うかも知れないが、SFマンガ「シドニアの騎士」に出てくるマッドサイエンティストである。この作品世界では、人工脳やクローン技術が実用化されていて、人工脳にバックアップされていた自我を、培養槽で育てたクローンに移植する方法など、不死の技術が確立されている。

 その世界で、主人公ナガテのジイちゃん(実際はクロ-ン元の本人)の斉藤は、自分が歴戦の英雄であり皆に「不死」を望まれていたにもかかわらず、それを拒否し、本人の許可無く培養されていた自分のクローン個体である幼いナガテを強奪し、地下に隠れて孫として育てる。
 アニメ化したときナガテ強奪エピソードで研究者に刀突きつけて脅して培養槽に案内させたときの「オレの所につれていけッ!」という台詞はカッコよくて痺れる名シーンだった。

 生物の進化のメカニズムを鑑みると、一般的には斉藤が正しい。進化は生物が永遠に生きる一つの個体として存在することを否定し、多様性をもち短命で変化し続ける多くの個体たちという存在の仕方を選んだように見受けられる。

 斉藤は自己のクローンを培養槽で育てることについて「そんなことでまともな人間が育つわけがない」と否定しているが、さらに言うなら遺伝的には自分と同じクローン個体であっても、新たな危機に直面して自分以上の存在に育ってくれることを期待して、あえて自身の自我を植え付けることは良しとしなかったのではないか、そういうことが理屈ではなく直感的にわかっていたから、自らの死期を悟って、自分は老衰で死ぬことと、次の世代に新たな可能性を持った新しい人間を残すことを選んだのではないかと勝手に解釈している。

 でも私は、マッドサイエンティスト落合と同意見で大事なものには予備が必要と思うタイプで、スピンフィッシャー7500SSの予備を買ってしまった(買ったのは正確にはJAPAN仕様のSSJ)。ちょっとだけ違う750SSは既に2台もっていて7500SSと多くはパーツも共有できるけど、7500SS自体はクリスマス島で活躍した一台だけだったので、新古でエンブレムがはげ落ちていたらしいエラー個体が中古屋に格安で出ていたこともあり、パーツ取りなどのために一台予備を確保した。
 変わり続けることが進化として正しいのなら、予備など買わずに、ダメになったら新商品を買えばいいことになる。スピンフィッシャーも既に第5世代の「V」シリーズが出ているので次壊れたらVか、7500SS壊れる頃にはさらに次の第6世代が出てて、そいつでも買うのが良いのかもしれない。

 でも、私は必ずしも変わり続けるその流れに乗ることだけが正解だと思えない。
 進化の議論で繁殖機会を廻る競争、捕食者と獲物、寄生生物と宿主の関係で攻める側も守る側も次々と速いスピードで変化し続けないと取り残されてしまうので、外から見ると異様なまでに達した進化の流れから逃れられなくなるということをさして、「その場にとどまるためには全力で走り続けなければならない」という「鏡の国のアリス」の登場人物の台詞から「赤の女王仮説」なんていわれる理論があったりするのだが、今の釣り具の進化は、まさに止まれば他のメーカーにおくれをとるから「走り続けなければならない」状態に陥っているように見受けられる。
 これは釣り具だけに限った話ではないように思う。家電でもパソコンでも車でも全く新しい機能がいらないぐらい充分な性能の製品が既にあるのに、次々新製品が出る。パソコンソフトなど新しいのが出る度にいらん機能が増えてジャマで不便になっているようにさえ思えるのだが、それでもオオツノジカの巨大な角や、剣歯虎の下顎突き抜く牙のように無駄に進化しているように私は思う。

 でも一方で、進化という観点でみて生物の世界でも、速いスピードで変化し続けるのが必ずしも勝者の条件ではないようにも思う事例も見受けられる。
 例えば、成体が幼体に若返りをおこし「永遠の命を持つ生物」というキャッチコピーのついたベニクラゲのように、「ボク進化とかもういいわ、適当にプカプカ浮いて暮らします。」という生き方もあれば、原型は4億年前に出現、ほぼ今の形になったのさえ1億5千万年前のジュラ紀とかいわれているサメの仲間のように、改良する余地無く完成されていて古い形のまま一大勢力として君臨している例もある。

 格闘家の前田明が中島らも先生との対談で言っていたと記憶しているが、総合格闘技の技の進化も、打撃をかわして関節技で対応する方法が確立されると、今度は関節技対策で打撃が進歩して、というように技の進歩はグルグルと同じ所をまわるように見えてちょっとずつレベルが上がっていく螺旋のような感じで進化をすると説明していて、なるほどと思わされた。
 ルアーでもなぜ今時、私がFマグ出してくるのか?圧倒的な飛距離で優位を誇った重心移動搭載型ミノーが、それが標準装備になってみんながそれを使い出すと、みんながロングキャストして狙うような釣り方ばかりになる。そこに近距離で良いのでキッチリ泳いで食わせる能力が高いFマグの生きる隙間が生じているのだと思う。ついでに重量アップさせてちょっと進化させている。まさにグルグルと螺旋状に進化している感じだ。

 私は釣り具の進化について、赤の女王に付き合って走り続けるつもりはない。
 サメのように進化の選択を生き延びて「使える」ことが歴史上証明されたような道具を使って、ベニクラゲのようにプカプカのんびり楽しみたい。

 多様性というのは、そういう戦略もまたあり得るということも含んで「多様」なんだと思う。一つの確かな正解があると思うことだけは、気をつけて避けていきたい。

※ Googleブロガーの不具合が続いているようで、昨日から表示できない状況がつづいてますが、とりあえず「予備」的な措置はとってあるようでURL末尾を「.jp」から「.tw」に変更すると閲覧可能となりました。しばらくリンクはこちらに張っています。復旧しだい戻そうと思ってます。

2014年11月2日日曜日

祭りだ!祭りだ!シーバス祭りでいっ!

という感じの好釣である。

 この秋、春シーズンの大苦戦をおぎなってお釣りがくる感じで釣れている。

 去年はイワシ祭りに遭遇したが、今年はシーバス祭りだった。釣りってのはこういうこともあるから、やめらんネェんである。リリースして次のキャストでもうヒットとかもあって、Y君と二人して堪能してきた。

 シーバス、釣れない時は釣れないもので、バッチリ条件読んだはずが、あたりもかすりもしないときもあれば、かけてもかけてもバラしまくる日もあり、釣れない日には「どうやって釣れば良いんだろう?」と釣り方忘れた状態に陥るが、釣れるときは適当にルアー投げて巻いてればそれだけで釣れるんである。高度な技術もいらんし、ルアーだって昨日調子よかったのは私がフラットラップでY君アスリートというド定番で別に特別なものを使っていたわけじゃない。

 こういう他人の好釣情報読んで、始めて間もない釣り人とか「そんなオイシイ状況に出会ったことがない」とか、苦々しく感じる人もいるかもしれない。
 そういう人には、是非一度、乗り合いでもチャーターでも良いのでシーバスボートに乗ってみて欲しいと提案する。
 特にこの時期10月11月は、まだそれほど寒くないので快適な気候で釣りができるうえに、とにかく数を釣らせてくれる。プロの船頭さんは、毎日のデータの積み上げで、かなりの確率で簡単に釣れるようなポイントに連れていってくれる。釣れれば楽しくなる。いろんな意味で。

 それで、シーバスボート気にいって毎年通うようになっても楽しいし、私のようにポイント探しから自分でやりたいと思い始めたなら、塩辛い水を舐め、底の見えない深い海に沈むことになると思うけど、その分の深い深い楽しみが待っていることは保証します。

 とにもかくにもシーバス野郎なら、スカをおそれず釣り場に向かおう。良いこともあり悪いときもあるけれど、すべてはそこから始まります。

 

2014年10月26日日曜日

気持ちの問題

昨夜、アカエイ釣りの際に、ラインの先が蛎殻に擦れてザラついていたので、20mほどカットして結び直した。

 切った後のラインゴミはクーラーバックに回収していたつもりだったが、帰宅して捨てようとしたら無いことに気がついた。

 「誰か心ある人が拾ってくれるだろう」、「次回まだあったら拾っておこう」と寝たが、起きて釣行記書いても、頭に引っ掛かってスッキリしない。良い釣りした想い出にケチが付いた感じがつきまとう。

 我々のやっている釣りという遊びは、エコでもロハスでも無いと思っている。
 思いっ切りナイロンだのポリエチレンだのプラスチックだのの石油化学製品を使って、ガソリン炊いて釣り場に行く。

 自分のラインゴミを放置しようが回収しようが、水辺にあふれるペットボトルやらビニールやらのゴミの量を考えれば、今さら何か変わるわけではないのかもしれない。

 ラインゴミに関して、根掛かりするようなワームの釣りでは、リーダーを生分解性のラインにしたり、ワームフックに結ぶ結び目をジャンシックスペシャルノットとかの、安定してライン強度の80%とかになる「弱い」ノットにして結び目から切れるようにしたりとか、工夫はしているがそれでも根掛かりで水底にラインを残すことはあり、ラインを自然界に残したくないなら釣りなどするなというのが理屈である。

 それでも、釣りを止めることなどできないし、かといって、ラインに絡んで悲惨なことになっている鳥とかを見たことがあれば、可能な範囲でラインゴミだけでも回収したいと思うのが普通だと思う。
 さすがに水辺のゴミ全部を拾っている余裕はないが、ラインゴミはなるべく他人のモノでも回収するようにしている。それが自己満足でしかなく偽善かもしれないとうすうす思っていてもである。

 「オマエは釣り場にラインゴミを捨てるような最低の人間になりたいのか?」と頭の中で攻める声が止まないので、いっちょ昼のアカエイポイントチェックも兼ねて回収に行ってきた。

 無事回収してスッキリした。

 釣り場にゴミ捨てないなんてのは理屈じゃなくて、釣りに向かう当たり前の心構えとして当然あるべきだと思うのだが、なぜあれほど釣り場に明らかに釣り人が捨てたとおぼしきゴミが多いのだろうか。
 自分が捨てたゴミで汚れた釣り場で魚釣って面白いのか?と問い詰めてみたい気がする。他人の気持ちは良く分からん。

2014年10月19日日曜日

橋の下をたくさんの水が流れた

昨夜は、最初に橋の下パターンがはまる橋を見つけた運河に久しぶりに行った。工事が入っていて流れが変わっていたりしたが、魚はあいかわらず入っていて嬉しかった。

 最初、この運河の橋以外にパターンが成立するぐらいに釣れる橋が、あちこち探しているつもりだったが見つからなかった。10年以上あちこちの運河やら小河川やらで投げていたが、それらしい反応は得られないでいた。

 それが、2011年の秋シーズン終了間近になんとなくそれっぽい条件が見える釣果があり、2012年の6月に条件の検証をやりに行って、コレが条件だと確信する釣りができた。
 当時は、「ユーリカ!!」と叫びながら風呂から裸で通りに飛び出したというアルキメデスの喜びに例えたが、むしろ、永年疑問に思っていたツチハンミョウの一生の謎がとけたときのファーブルの喜びの方が近いのかもしれないと思う。

 ツチハンミョウって乾いた河原の道とかを低く飛んで逃げる様から「ミチオシエ」とか呼ばれる綺麗な甲虫であるハンミョウとはちょっと違う仲間の虫で、むしろハネカクシの太ったヤツという印象の虫である。ハネカクシの仲間は毒があって、アリガタハネカクシの類とか触ると腫れたりするらしいけど、ツチハンミョウもカンタリジンとかいう毒をもっていて、触ると水ぶくれできたりするらしい。色はクロっぽい色だけど金属光沢があって毒虫独特の美しさがあると思うが、ハネカクシとは違うのは、お腹がぼってりと大きいところである。

 このお腹の大きさが、実はこのツチハンミョウの謎に深く関わっているのである。ツチハンミョウはとても沢山の卵を産むそのためのボテ腹なのである。

 ファーブル先生は若い頃に、ツチハンミョウが数千にもおよぶような同じような昆虫と比べるとべらぼうに多い産卵数について疑問を持ち、一体どういった一生を送るのか調べようとした。
 しかし、土の中の卵からかえった幼虫が、歩いて草の花に登るところまでは突き止めたが、そこからが全くわからなかった。花と共に持ち帰っても、様々な餌を与えても成長することはなく、一定の時間が経つと幼虫は死んでしまった。

 その続きをファーブル先生が知ることになるのは、だいぶ後年、歳食ってからの話。ハナバチの仲間が土中に土で貯蔵庫を作って蜜や花粉を貯めて幼虫の餌とするということを突き止めている時に、どうもハナバチの巣のなかにハナバチの幼虫じゃない変な幼虫がいることに気がつく。そいつは一旦サナギ(偽蛹)になったかと思うと、また幼虫に戻ったりとフェイントかけたうえで、ツチハンミョウの蛹になり羽化した。

 ツチハンミョウは最初の幼虫は歩いて花まで登り、そこでとにかく来た虫につかまるのである。その虫が運良く巣を作っている最中のハナバチだと、ハナバチが子供のために用意した蜜と花粉とハナバチの卵を食って育つのだそうだ。何という複雑かつ運任せの方法だろうと驚くと共に、なかなか「当たり」はひかないので沢山卵を産まなければならないことにも合点がいくのである。

 自然はどこまで調べてもわからないことだらけである。ファーブル先生も頭のなかにはいつも解けていない謎がいくつも引っ掛かっている状態だったのだろうと想像する。

 私の頭の中にも、今現在アカエイの釣れる条件だとかはじめ、ほかにもさまざま引っ掛かっている謎がある。ファーブル先生をならって、いっぱい謎を頭に引っかけて気にし続けるというのが、わりと大事だと感じる。

 生きものの世界って、というかそれも含んで森羅万象は結構どこかでつながっていて関係があったりする。ファーブル先生がハナバチ調べてたらツチハンミョウにつながったように、私が昼間の橋の下パターン追っかけていたら派生して運河の灯りの下パターンにつながっていったように、いろんなモノが関連して明らかになったり、現象が生じたりと、面白いことになっていったりするのである。

 「知りたい」という欲求は人の根源的な欲求の一つだと思う。それは終わることはなく一つを知ればその次がまた知りたくなるもので、永い時間、死ぬまで楽しんでも終わりはないのだと思う。

 久しぶりに橋の下パターンに最初に出会った運河に行って、工事で流れも変わったし、橋の下をたくさんの水が流れたと、感慨深く思うと同時に、それでも橋の下に水が流れ続ける限り、魚がいて、釣りの楽しみが終わらない事にちょっとした喜びを感じたところである。

2014年10月11日土曜日

私の私のリールは左利き

ロウニンアジ狙いのルアーキャスティングを念頭に、左手サミングでベイトリールを使う練習がてら、秋のカヤックシーバス釣りに左手サミングの竿を用意してここ数年使ってきた。

 今回遠征でロウニンアジのそれなりに良い型を釣って、じゃあもっとデカイのをベイトリールで狙うか?と自問すると、あんまりそういう気持ちが自分の中にないことに気づく。
 もっとデカイのをという強い気持ちが、それなりに自己満足するサイズを釣ってシュッとしぼんだのもあると思うけど、それ以上にベイトリールでロウニンアジ用のポッパーを投げ続けるのは、しばらく左手サミングでシーバス釣ってみたけど、ちょっと技術的に難易度が高いように感じてもいる。
 シーバス釣りでもたまにバックラッシュしたりしているが、ロウニンアジ狙いの時合いが来てる時にバックラッシュとか、まあスペアタックルは持っていくので竿ごと交換すれば良いというのはあるけど、イラッとしそうなことは目に見えている。

 で、左手サミングはお役ご免としても良いのだけど、ちょっともう少し左手サミングを追求してみたいという気持ちが芽生えている。
 使い始めた当初から感じていたのだが、左手でサミングして右手を上にしてロッドを握って振ったときに、右手巻きではなくそのまま左手巻きだと、右手を持ち替えずに済むので一連の動作が格段にスムーズになる。
 左手サミングでスムーズにキャストができると、ちょっと面白い使い勝手の道具立てになるような気がしている。
 普通のボートロッドクラスのベイトリール仕様の竿なら右手で振って右手でサミングするので、リールはあまり重いと塩梅が悪い。太い糸を沢山巻きたくてもリールサイズをあまり上げられない。
 でも、左手サミングなら多少重くてゴツいリールでも、それほど苦にならずに振れる。ロッドが軽く振りきれるかどうかに、全体のタックルの軽さ以上に「バランス」は大事で、あまり振り回さない支点にちかい左手のところにリールがあればバランス的に振るのは軽い。

 想定しているのはABU7001Cあたりの男らしいリールで、ルアー連投する釣りにも使えるようになるんじゃないかなどと思っている。例えばライギョ釣りとか遠征で行くアマゾンなんかである。アマゾン行く予定無いけどイメージ的にね。
 別に普通の右手サミングのロッドで右巻き6500という選択肢もあるけれど、6500番台と7000番台には設計思想上のラインが引いてあると感じていて、大物をドラグ効かせてやっつけるときとかには7000番台以上がふさわしいような気がしている。まあライギョは6500でドラグ滑らないようにガッチリ締めてやれば良いんだけど、国内でハマりそうな魚種が他にないので虎ファンさんが九州にいる間にトライできたらしてみたい。

 ということで、とりあえず左巻きのリールである6501C3を中古で安くゲット。しばらくこいつと左手サミング用のアグリースティックでシーバス狙ってみてどんな塩梅か見てみたい。
 良い塩梅ならライギョロッドクラスの左手サミング仕様に魔改造した竿を用意することにしよう。

 大型のベイトリールをキャスティングに使うイシダイ釣りだの遠投カゴ釣りだのでは長竿で左手サミングが当たり前だけど、短めの7とか8フィートのロッドで大型のベイトリールを使う釣りで左手サミングのロッドって最近は見ない気がするし、右手巻きだと持ち替えが生じるので近距離キャストが多い釣りには、正直シーバスに使ってみても感じたけど、あんまり向かない。
 けど、左手サミングで左手巻きにしてしまうというのは意外に盲点になってるのではないかと思って、ちょっとトライしてみようと思うのである。

 道具について、最新の道具っていっても別に使い方が変わる訳じゃなくて、せいぜい使い心地が良くなってるぐらいのモンだと思っているので、スピニングならPENNでいいやと思っているけど、こういうあんまりやられてなかった「新しい使い方」のための新しい道具には、求める気持ちはまだ枯れていない。

 明日はカヤックシーズンスタートするか、ちょっと腰の具合と風に訊く。

2014年10月2日木曜日

大苦戦!大勝利!!

 無事帰ってきました。

 前回クリスマス島釣行記で「負けじゃなくて勝ちの持ち越しだと思う」と負け犬の遠吠えをかましていたけれど、その持ち越した「勝利」をガッチリ手中に収めてきました。

 腰は痛いし、風は止まんし、エンジントラブル頻発するしで、想定してないぐらいの大苦戦でしたが、一発なんとか来たチャンスを逃さずものにできました。
 
 ナマジのくせに生意気だ!とお叱りを受けそうな渋い勝利だったと思います。しびれました。

 うれしいです。

 自分とペンスピンフィッシャーの実力を証明できたと偉そうですがここに書かせてください。

 神も仏も信じてないので、なにに感謝するべきかよくわかりませんが、とりあえず読んでくれている釣り仲間のみなさんに感謝を。
 それから旅先で宿が同じになったAさん、心強かったです。ありがとう。
 旅行の手配でお世話になったフリーライドアングラーズのKさん、旅の手配はもちろん餞別にいただいたダイビングペンシル、大活躍してくれました。ありがとう。
 JOSさん、ケン一、「いいかげんそろそろ釣ってくれば?」「おれのフロリダの分までデカイ魚いわしたってくれや!」などと厳しく優しくプレッシャーかけてくれたおかげで、しぶとくもう一頑張りのところができたと思います。ありがとう。
 クリスマス島のガイドもデッキハンドも宿の人もありがとう。

 みんなみんなありがとう。

 顛末記は週末書く予定ですが、まずは帰国報告まで。

 良い報告ができて、本当にうれしい。

2014年9月22日月曜日

死を目前にして見るという走馬燈になるべくたくさんの楽しい釣りのシーンがでてくるように

 同居人の母方の祖母が先日亡くなり、私も昨日通夜に参列お別れをしてきた。終電で東北からとんぼ返りで帰ってきて疲れたけど、出発前にお別れをすることができてよかった。

 94歳まで長生きし、子や孫、曾孫に恵まれた、幸せな人生だったのだと思う。思って、あんまり悲しんだりするのもちょっと違うようにも思うのだが、やっぱりどうしても寂しい。

 同居人のお母さんの実家は、川沿いのリンゴ畑を挟んだ山道のそばの大きな昔風の家で、お爺さんがご在命のころは前の川の「入漁券」を売っていたこともあり、釣りの行きしな帰りしな、「お茶ッコ飲まいん(飲んでいきなさい)」と、掘りごたつによばれて漬け物食べたり、オニヤンマも周回コースにしている庭に面した廊下で風に吹かれながら昼寝したり。
 いつも楽しい休みの日にしか行っていないということをさっ引いても、良い思い出しかない場所である。

 その、玄関はいってすぐの部屋の掘りごたつ(夏には布団はかかっていないので「堀座卓」か?)にいつもいて、にこにこと我々客人を迎えてくれて、あれこれ世話を焼いてくれたのが、故人の思い出。

 なぜか、孫である同居人やその兄弟にも「ばあちゃん」ではなく「かあちゃん」と呼ばれて慕われていた。

 かあちゃんは掘りごたつの奥の席にいつもいるもんだと漠然と感じていたが、もういない。

 いつも優しくしてくれてありがとう。心からご冥福をお祈りします。

 今日の夕方部屋を出発。日付変更線を行ったり来たり、遙か遠くキリバス共和国クリスマス島まで、20キロUPのロウニンアジを求めて行ってきます。

 腰は痛みはなくて「違和感」程度に収まって、道具も何とか最終的に収まって、後は行って結果を出すだけ。

 勝負は終わってみないとわからない。未来予想は不可能。

 そんなの関係ないじゃんよ、今は完全勝利を確信して行くじゃんよ!

 昔、部屋のパソコンのスクリーンセーバーは釣った魚が数秒単位の切り替えで次々現れる設定になっていたが、それをみて同居人が「あんたが死ぬ間際にみる走馬燈みたい」と言っていた。

 いまわの際に脳内スクリーンにドアップで表示されるような、とびきりの1匹を釣るじゃんよ!

2014年9月14日日曜日

敗者復活戦

いよいよ来週22日からに迫った、人生2度目のクリスマス島遠征。

 準備はバッチリのつもりだったが、実際に荷物を詰めてみると、削りに削った精鋭チームのつもりだったがルアーがやっぱり多すぎる。

 S-POP、ロングペン、GTP、ブルポッパー(及び旧サーフェスブルGT)の4種の色違いサイズ違いがほとんどで、加えてダイビングペンシル系がいくつかと、いただき物のお勧めルアーでなんだかんだで30くらいあるだろうか?

 木製ルアーはカップが欠けたりするので基本大型ボックスに入れて背中に背負うか長モノはロッドケースの隙間に入れる。

 ブルポッパーは発砲樹脂製で丈夫なので、現地で使う布製タックルバックに収納してリュックにぶち込めばOK。こういう点でも優秀なルアーだ。

 写真は断腸の思いで、精鋭部隊からさらに削って置いていく候補だったのだが、何とか持っていく方法がないかと、「手荷物に入れて機内持ち込みってできる?」と旅行会社勤務のケン一に相談したら「基本デカいジグとかでもフック外してあれば持ち込みOKやけど、GT用のペンシルはちょっとした棍棒やし微妙やな、重量オーバーで追加料金食らってもいいから預けるバックに詰め込んだ方が良いんとちゃうか」とのことであった。

 確かに、フックが付いていなくとも30センチの木の棒に鉛が付いているモノは、少なくとも爪切りとかよりハイジャックする役に立ちそう。

 今のところ、左端のガンズシンキングはこのタイプは他に持っていかないので復帰、黒のサーフェスブルGTは3個を2個に減らすつもりだったがやっぱり3個で、そして30センチ近いレッドヘッド黄色のロングペンが、なんだか「オレを連れて行ってくれたら良い仕事するゼ」と訴えているように感じるので、この3個は何とか持って行くべく隙間を作ろう。

 敗者復活組のこいつらが良い仕事してくれるとネタ的には面白いのだが。さて。

 ノットも河原の木相手にファイト練習して良い感じに煮詰まったと思うし、筋トレと素振りで肩も良い感じにできあがってて、試し投げの時は結構竿を振り切れていて良い塩梅である。

 良い塩梅なんだが、腰が痛い。

 先週、出張で現場で立ったり座ったりの仕事と、電車で飛行機でと移動が多かったせいもあって、おもいっきり腰に来た。土曜は尾てい骨にズシンとした痛みが居座っていてかなりヤバ目な嫌な感じだったが、今日は普通の腰痛レベルに戻った。今日明日釣りも控えておとなしく養生して、万全の準備としたい。

 いま、パソコンのUSB端子から充電していたキンドル用の予備バッテリーも充電完了となった。

 ケン一と話したときにも話題になったが、年々体力は衰えていくので、そろそろ体力勝負なハードな釣りモノはやっつけておかないと、タイムリミットが迫ってきたように思う。

 ロウニンアジ20キロアップ釣れるまで、毎年クリスマス行脚だと心に決めているが、今年決めてしまいたいし、それなりの体調で現地につければ、いつもの何の根拠もない自信だが、絶対釣れると自分の中で確定している。

 釣りに絶対など無いと知りすぎているぐらいに知っているが、それでもなおあふれ出る絶対感!

2014年9月6日土曜日

錦織圭を肯定する

 クッソ地上波で流しやがんねえんでやんの、どっかネットで有料放送とか探すか?

 四大大会の一つ全米オープンで日本人男子90うん年ぶりだかで準決進出とかで盛り上がっているが、こういう突き抜けてくれるやつが出てくる度に、「体格で劣る日本人はテニスでは世界のトップとは戦えない」とか言ってたヤツら全員並べて反省の言葉を述べさせたいと激しく思う。

 野球でもメジャーでは日本の「野球」は通用しないとかいってたら、別にそんなことなくて野茂が投げれば大丈夫だったのに、次は野手はパワーヒッターの多いアメリカでは通用しないとか言い始めて、それも嘘でイチローがこれでもかっていうぐらい通用してしまったり。

 何でそんなに一生懸命否定しなければいけない理由があるのかよく分からないぐらいに、自分の事ですらない他人の可能性を否定するような台詞を吐きたがるやつがいるのか理解に苦しむ。
 そんなに簡単に他人に成功されたら、ショボイ自分の価値がさらに下がるからとか、そういうくだらねえ了見の狭さがあるように感じて聞く度に気分が悪い。

 サッカー日本代表の本田が「ワールドカップで優勝する」って言ってるのを、日本のレベルでは無理に決まってる大口叩きやがってとかいう意見も目にするが、じゃあオマエは自分の国の代表チームのエースが「僕らベスト8ぐらいが精一杯なんでそのぐらい目指します」とか言っちゃう腰抜けで良いと思うのかと問いたい。結果がショボかったので戦犯扱いされてるけど勝負に参加するのに優勝狙わんでどうするよと思うのだが。
 昔アジア予選勝ち抜けなかった「ドーハの悲劇」とか見てる世代としてはアジア予選勝って当たり前なんてずいぶん強くなったと思う。マスコミがさも本戦勝ち上がって当たり前みたいに煽るからガッカリするかもしれないけど、グループリーグ敗退でもそんな悪くはないって正直思う。
 サッカーもそのうち欧州勢、南米勢に勝てないとかいう状況をぶち破って目にモノ見せてやってくれと思う。勝負なんて時の運もあるし可能性はあるんだからぶちかましてくれ。

 まあでもとりあえずぶちかまして欲しいのは、数時間後に世界ランク1位のジョコビッチとやる錦織君にである。
 ジョコビッチ、「本場の選手が勝てなくなる」という意味を表すのに「ウインブルドン現象」とか言われちゃってたぐらい、永く勝てなかった英国テニス界の77年の呪いを解いて好調な英国テニス界の王子様マレーをぶっ飛ばして勝ち上がってきていて絶好調っぽい。コテンパンにされてもおかしくないけど、勝って欲しい。勝負は終わってみなきゃわからない。終わって朝起きたら決勝進出のニュースが見たい。

 私は軟式庭球モノだったので、それほど硬式テニスは熱心に見てきたわけではなかった。伊達公子選手の若い頃とかはさすがにTV放送も多かったので見てたけど、男子は当時はレンドルとか速いサーブ打つ高身長の選手がサービスゲームキープで勝っていくようなイメージがあってラリーが少なく正直女子の方が見ていて面白かったように思う。ちなみに伊達選手のランキング自己最高は4位!当時の女王グラフとかとも良い試合してたし日本人で伊達選手以上っていうのはもう無いのかなと思ってしまっていたが、錦織圭選手はもっと行くような気がしてきている。

 跳び上がって高い打点で打ち込む「エアケイ」ひっさげて、ツアー初優勝とかして注目されだしてぐらいから、TVでもちょくちょく試合の様子が放送されるようになったので、たまに見ているが、テニスの進化に正直驚かされる。速いサーブ打ってエース連発でおしまいというようなのは少なくて、リターンが物理的におかしい感じがするぐらいに凄い角度で凄いスピードで決まる。
 錦織選手、コイントスで勝つとリターン取ったりすることもあって、サーブ有利というイメージがあったのでナンジャそれと思わされるが、リターンを順回転のドライブで落としてるんだろうけどあり得ないぐらいクロスに絞って厳しくたたき込んで決めてしまうのとかみると、昔みてたのとは違う競技にさえ感じる。

 体格に恵まれてるわけでもないし、怪我にもよく泣かされているように見受けるが、凄いのは怪我でしばらく休んで手術とかした後復帰すると、あからさまにレベルアップして好成績をたたき出してくるという事実。マンガの主人公のピンチのあとの覚醒のようなことを現実でやってくれる。そこに痺れる憧れるゥ。

 若い頃、フロリダのテニススクールで修行したらしいのだが、そのスクールにはシャラポア選手もいて、錦織君いつもナイター使って遅くまで練習しているシャラポア嬢に感心したとかいうエピソードを読んだことあるが、つまりようするに同じだけ遅くまでコートに錦織君もいたということだろう。

 私は錦織圭選手の可能性を肯定する。

 そしてきっともっと世界中のテニスファンが彼の強さを肯定するようになるだろう。

 

 

 

2014年8月31日日曜日

魚釣りでゴミしか釣れないという描写で釣れるゴミの定番は長靴と手袋だが私は手袋しか釣ったことがない

15年以上前、ロウニンアジを釣りに行こう!ということになって、ロッドとリールを手に入れた。今も使っているGIANT86Tと7500SSである。PEラインも巻いて早速海岸にキャスティング練習に出向いた。
 小1時間も投げただろうか、手の平の皮が豆がつぶれてベロベロに剥げた。

 釣り用のグローブについては雑誌の釣行記やビデオなんかでは、フィッシャーマン社製のとかを使っているようだったが、ファッションで格好いいからしているだけで意味はないのかと思っていた。手の皮剥けまくって、GTタックルクラスを扱うにはグローブが必須だと理解してフィシャーマンのグローブをとりあえず買った。

 結構丈夫で、甲の部分がメッシュになっていて汗かいても蒸れずに良い塩梅だったが、いかんせん高かった。他の釣り具メーカーのものもそうだが、まともなメーカーの釣り用のグローブは3000円以上とか割と高価であった。たまにしか行かない遠征用なので多少の出費は良いかとも思うのだが、「割と軍手でもいけるし、ホームセンターで売ってる革手袋はもっと良いよ」という話も聞いて、フィッシャーマンのグローブは同居人用にして、革手袋を買ってみた。これが思いのほか使い心地が良かった。通気性、通水性がイマイチだったけど「しっとり」とちょうど良い塩梅の滑りにくさでロッドやリールを握れて、耐久性もかなり良く丈夫。何年も遠征を友にした。だんだんくたびれて穴が繕っても追いつかなくなって、新しいのに買い換えた。
 ところが、買い換えたのが失敗で、つかみやすさとかの性能は問題なかったけど、オレンジ色のを買ったのだが、その皮を染める染料が人の皮もよく染めてくれて、濡れると特にひどく、使って2,3日手がオレンジ色に染まった。
 
 再度、染色していない革手袋を買いに行くと、ちょうど良い製品が棚に無く、隣に合成皮革の日曜大工用グローブコーナーというのがあって、はめたままでもボルト拾ったりできるフィット感とか書かれている商品があって、耐久性はともかく使い心地は悪くなさそうなので、ものは試しと買ってみた。
 写真で確認すると2007年から使っている。遠征とカヤックの釣りに使っているが、6年以上使ってやっとラインを引っかける右手人差し指に穴が空いた。
 耐久性も充分である。
 空いた穴は繕ってしばらく使うが、そろそろ崩壊するのも見越して、次のを買っておくべきと思って、似たようなのを買って来て、遠征前に試したのだが、これが意外に同じような感触ではなく、グリップが良すぎて滑らず逆に回転するスプールに巻き込まれそうで怖い。

 意外に微妙なものなんだなと認識し、まあ1000円しない程度の安い製品だし、もう売ってないかもとは思いつつも、検索かけてみたらヒット。やっぱりいい製品は売れ続けるということか。
 MITANI社の「Mテック」というシリーズである。
 実用品なので黒しか色がラインナップされていないけど、ちょっとコジャレたカラーで釣具屋で売り出したら席巻しちゃいそうな品質。値段と性能のバランスが良い塩梅。

 見た目にこだわらないのなら「Mテック」お勧めします。
 こういう実用品っぽいオシャレっぽくないのが逆に男臭くて一周回って格好いいような気も若干してます。

2014年8月24日日曜日

足もとをかためる

  渋谷のハチ公前のスクランブル交差点は、初めて来たときも衝撃だったが、その後もいつまでたっても田舎者には慣れることがないというか理解できないぐらいに人が多い。
 普段利用している渋谷の釣り具屋群はハチ公前と逆側なので、そこまで人が多くない。人混み苦手な私としてはハチ公側には行きたくないのが正直なところ。

 だがしかし、土曜は意を決して渋谷センター街に突入して来た。
 靴屋が何件もあって靴を探すならここか神田のスポーツ店街だと思う。

 最近は何でもネットで売ってて通販利用が多くなっているが、先日、懸案の船の上で履く用にボート用っぽいアディダスの靴を通販で買ったら、ちょっと履き心地に不安を感じるところがあった。最近は履いてみてサイズが合わなかったら返品や交換可能なネットショップも多いが、履き比べていいのを探すにはやっぱり実店舗が話が早いだろうということで行ってきた。

 写真のニューバランスのは、足の幅が広い私にもちょうどいい形で、裏面のパターンも滑りにくそうだし、濡れてもメッシュで乾きやすそうなのでいくつか試し履きしたなかから一番良さげだろうと買ってみた。これと、先日買ったのと両方試してみたい。
 靴底にゴム系の素材が使われていた昔は、黒の靴底は甲板上に黒い跡がつくので船の上では履かないのがマナーだったけど、最近の素材はあまりそういうことは気にしなくていいのか靴底の色がどうこうという話は聞かなくなった。

 これまで船の上で履く靴はずっとキャンパス地のデッキシューズを愛用していた。安いし、ぺったんこにしたら持ち運び楽だし、木の板やFRPの甲板上で滑りにくいし結構乾くのも早いしで、デッキって甲板のことじゃないかと思ってるんだけど、だったらデッキシューズでイイじゃんと思っていた。

 ところが、ここしばらく遠征時デッキシューズを履いた後に靴ズレがひどい。親指の付け根のあたりと親指の爪が痛くなる。昔同じ靴を履いていても平気だったので足の形が変わったのかもしれない。
 ということで代わりの靴を探していたが、なかなかにこれが悩ましい。
 滑りにくいことだけを考えれば、テニスシューズとか底のパターンがあまりデコボコしていないスニーカーが良いと思うけど、濡れることを想定すると乾きにくそうでいまいち。
 いっそサンダルというのも有りかとも思う。沖縄で漁師サンダルとか呼んでるタイプのゴム草履でもクロックスでも涼しいし、滑らないし、濡れても大丈夫。
 ただ、漁師サンダルは指が外にでているのでぶつけたり、魚が船上で暴れたときとかに怪我する可能性はちょっとある。まあ気にするほどでもないけど。あと、玄人っぽいアイテムなので私ごときが履くとちょっとあざといというか生意気な気がする。
 クロックスは性能的には問題ないと思うんだけど、なぜか生理的にだめだ。玩具っぽい見た目がイヤなのかなんなのか、人様が履いている分にはなにも感じないが、自分が履いているところを想像すると嫌悪感が走る。ややこしいオッサンである。

 で、今回買ったような水遊び用の靴を選んだのだが、水遊び用のでもちょっとした磯遊びを想定した物だと、靴底のデコボコが大きくて甲板上で滑りやすいのがある。カヤック乗るときに使っている物は、試しにシイラ釣りで使ったときに波で揺れる船上で滑って踏ん張れずに転んでいる。

 足の形さえ幅広の変な形でなければデッキシューズ履き続けて悩まずにすむのだが、靴は足にフィットしていないと結構地味に靴ズレでダメージを食らうので悩むのである。いっそ裸足でやるか?とも思ってしまう。

 でもって無事靴をゲットした後は、Tベリー、J屋、Sスイと釣具屋巡りをし105LBのショックリーダーをゲット。ついでにJ屋の隣のドラッグストアでフェイタスを買っておいた。

 遠征の旅では毎日ひたすら釣って、帰ってきたら飯食ってストレッチして湿布貼って寝て、という日程を繰り返す体育会系の合宿みたいな日々が続く。最近湿布はフェイタスがお気に入りである。腰が痛い手首が痛いとぼやきながら、毎日漁に出てしんどい漁労作業に従事する日々。
 仕事であれば結構な給料もらえるようなハードワークだが、釣り人は金払ってやっているのである。

 いい加減疲れて船上で転がって寝てるのに、「いいジアイだからサボらず投げんかい!」とたたき起こされたりすると、南の島にバカンスに来ているのに「ここは蟹工船か?」とか頭によぎるのであった。

 そういうのも含めて、遠征の釣りは楽しいんである。

2014年8月17日日曜日

GTチャーマス90H

 チャーマスこと北村秀行氏が愛用していた、その名を冠する今は無きザウルス社製のジギングロッド。
 ジギングロッドはショートロッド派が多いと思うけど、チャーマスはジャークスピードを稼ぐためにロングロッド。今もCB-ONEから出しているロッドはセンター2ピースの長めのものだったと思う。自分の確固たるスタイルがあるっちゅうのは渋い。

 で、この竿で何を釣るかというと、実は釣り場に持っていく予定がない竿なのである。
 でも、すごく重要な竿だと思い初めている。筋トレ用に使ってます。

 最初買ったときは、遠征用メインロッドのGIANT86が穂先も折れたし、後継のロッドというか当面のサブロッドが欲しいと、いくつか候補を物色していたときに中古で見つけて安かったので確保したものである。センター2ピースで携行が楽でジギング用とされているけど持って行ける竿の本数が限られる遠征先でキャスティングの釣りもこなせちゃうような汎用性もある。
 結局後継のロッドは3ピースで良い塩梅のゼナックのルーフ83に落ち着きそうなので、必要なくなって中古屋に売りはらうかと思っていたが、そういえばダンベルつるして筋トレする用のバッタモンの中華ジギングロッドがしばらく前に永年の酷使に寿命が切れたのかポッキリいったので、その代役にちょうど良いと使い始めた。

 魚かけてリフトアップする筋力を鍛えるために、まあ普段はダンベル10キロ両手に持ってスクワットしてたりするのだが、実際にタックルセットしてジンバルも付けて筋トレするのが実戦を想定したトレーニングとしては望ましいように思っている。
 ので、9月のクリスマス島行きのチケットもおさえた6月頃から、月曜V字腹筋、火曜日ダンベルスクワット、木曜膝曲げ腹筋の通常メニューに加えて、水曜グリップにリール付けてキャスティング素振り、金曜にこのロッド使ってのリフトアップ練習を追加している。

 実際に使う竿でトレーニングすればいいんじゃネ?と思うかもしれないけど、6キロドラグとかでぎっちり曲げて毎週リフトアップ練習すると、遅かれ早かれカーボンの繊維が切れていって折れる。さすがに遠征用のメインロッドを折れるまで練習に付き合わせるわけにはいかない。
 ということで、先代は折れてもかまわない安竿を使っていたし、今回もだいぶバットの塗装にクラックはいっているようなくたびれて値段の安い中古竿にトレーニングに付き合ってもらっている。

 しかしながら、多少くたびれているとはいえ良い竿は良いと感じる。
 6キロドラグでティップがまっすぐ入って、バットが曲がって負荷を受け止める感じとかに痺れる。ちょっとダンベルトレーニングでは無いような興奮を覚える。デカイ魚がかかってこうやって、ぎっちり竿が曲がるのを腰を入れて腕を伸ばして耐えて、魚がこっち向き始めたらバットに重量を乗せて運ぶ感じで寄せてくる、なんてイメージが勝手に湧いてくる。ロングロッドの気持ちよさがこのロッドにはあると感じる。トレーニングも楽しくて捗る。

 私なら、塗装にクラック入るような激闘を友に闘ったロッドを中古屋に売り払ったりしないと思うが、まあ縁あって我が家に来たからには、折れるまでトレーニングに付き合ってもらおうと思う。

 機会があれば実際に魚も釣ってみたいと思いはじめるぐらいに気に入りはじめてもいる。

 ここ数日寝込んでいたので筋トレサボってしまっていたが、だいぶ復調したのでとりあえずこのロッドを使ったトレーニングから再開した。竿握ると、ちょっとアドレナリンも出る感じで良い塩梅である。

2014年8月10日日曜日

無人島の課題図書

先日、無人島に一冊だけ本を持っていくなら何にするか?という話題を書いたすぐ後ぐらいに、「無人島に一冊だけ本を持っていくなら何にするか?というよくある質問はくだらない」という意見を目にした。
 まあ、あんたがそう思うんならそうなんだろうな、あんたの中ではな。という感じだが、こういう他愛もない問いに、切り返しで面白い答えが聞けたりする妙味というのが分からない人間を私は哀れむ。
 実用性のない遊びを楽しむ素養が欠けているか、まわりに面白い答えを返してくれる人がいないのだろう。
 読んでる本がビジネス書とか実用書ばかりで、気の利いた答えを読んだことがないのかもしれない。

 前回もらったコメントにあった「有毒植物図鑑」というのも、生き延びるために実用的だと思う反面「絶望して死ぬときにも実用的だ!」と物騒な連想をして暗い笑いを楽しんだが、この問題の答えで記憶に残るぐらいの名作は、開高先生と中島らも先生のが双璧である。私の中ではな。

 開高先生は「旧約聖書」だそうである。開高先生無神論者で葬式も宗教色を廃したものだったと記憶しているので宗教的な理由ではない。あらゆる物語の原型が読み取れる、しかも2000年を越えて読み継がれるだけの「面白さ」があるというところが選定の理由だろうか。もし旧約聖書が面白くなかったら、2000年を超えてキリスト教は布教できなかっただろう。基本宗教の教え的なモノは信者獲得できるぐらいにスペクタクルやドラマに溢れた面白いモノでないとダメだと聞いたことがある。
 海を割って歩いたとか、ライオンを素手で引き裂いたとか、どこの少年漫画の主人公や?というぐらいに中二病的な活躍をしてくれる登場人物続出の冒険の書。

 開高先生は「一冊」縛りでは他に、旅の友の一冊として百人一首をあげていて、若い頃は「一首ごとに言葉ごとにいろいろと連想して楽しむことができる」という選定理由にもイマイチよく分からんと思っていたが、歳くって田辺聖子先生の百人一首の解説本など読むと、開高先生ぐらいの知識人だと、一首読めば、関連して想起される事項は物語を形成するぐらいに沢山あって、そういうふうに文字を追いながら連想を楽しんでいたんだろうなとなんとなく納得がいくようになって味わい深い。
 その開高先生の小説を「日本語の語彙が豊富だから」という理由で、持って行ける荷物に限りがあるカヌーツーリングの友に野田知佑先生が選んでいたなんていう連想も楽しい。

 らも先生は、いろいろと候補を並べて悩んだあげく結局「何も書いてない原稿用紙」という回答だったと記憶している。物書きとしての矜持が感じられる回答でこれまた味わい深い。物書きだから、本なら読むより書いた方が暇がつぶせるという意味だと思うが、オレが書くのが一番面白い、という思いもチラリと見て取れる気がする。

 私はこういう面白い回答に出会ったので、無人島本問題はたしかに「くだらない」かもしれないが「つまらない」とはまったく思わないのである。

 で、写真のブツであるが、キングジム社製「ポメラ」である。折りたたみのキーボードにディスプレイが付いた「電子メモ」とでもいうようなものである。らも先生に倣ったわけじゃないけれど、南の島でものを書こうと購入した。
 文字読む機械としては既にキンドルを愛用していて、何十冊という本を旅の友として持って行ける性能には非常に満足しているが、移動時間や待ち時間の時間を潰すのにどうせ帰ってから書くことになる「顛末記」を書く機械があると良いなとは感じていた。

 最近物忘れが激しくて、昔は釣りの記憶なんてのはその日の釣り全部後から詳細に頭の中で再生可能で、釣りから帰ってきて同居人に「まず一匹目は、最初の流れ込みのぶっつけのあたりにルアーを投げて・・・」とか語り始めて極めてウザいと嫌がられていたものだが、最近は遠征先で毎日メモしないと、写真見ても上手く記憶と繋がらない時もある。まあ忘れてしまうようなことは重要ではないということかもしれないが、寂しさを否定できない。

 ということで、遠征先でもメモを書いているのが常であるが、これを帰ってから打ち直すのがけっこうめんどくさいので、始めからデータで入力できないかと考えて、最初はキンドルに打ち込める外付けのキーボードとかがないか探したが、良さそうなのが無く、かつキンドルで書名検索とかするのに慣れないタッチパネルで文字を打っていて思うのは、馴染みのATOKが漢字変換ソフトとして入っていないと使いにくくて我慢ならんといこと。

 いっそ軽量小型のノートパソコンを1台買えば本も読めれば文章も書けるし他にもいろいろ便利ということで、ちょっと検討したが値段が高いうえにバッテリーでの駆動時間が短くて旅に持っていくのには電源確保が悩ましい。
 ということで悩んでいろいろ調べていたら、この「ポメラ」はテキストデータの文字打ち込みだけに機能特化しているけど、ATOKが入っていて、単4電池2個で20時間駆動と電源問題もクリアー可能で、値段も安売りだと大1枚チョイで試しに買ってみようと思えるぐらいの値段。USBでパソコンに接続して打ったテキストデータのファイルを吸い出し利用。
 実際に打ち込みしてみると、ちっちゃいタッチパネルではなく折り畳みとはいえキーボートが付いているのは非常に使いやすい。

 最近、考えを整理して書くには、推敲するための編集作業が楽なパソコンが必須になっているのだが、ポメラを使えばその作業を旅先の膝のうえでできそうである。
 キンドルとポメラで合計すれば今時の薄いノートパソコンぐらいの重量にはなると思うが、それぞれ別に使えるというのは実際には悪くない選択だと思う。キンドルは片手で操作できるのでベットのうえで寝そべってでもどこででも本読むのには便利だし、ポメラは長いフライトの時間を楽しい旅を振り返りつつ思索にふけり有意義につぶせそうな機能をシンプルに持っている感触である。

 世の中には便利な機械が溢れている。便利さと引き替えにナニかを失いそうな気もするが、とりあえず試してみたい。

2014年8月2日土曜日

となりのサイコパス


 秋から2期目が始まることもあって、今深夜にアニメ「サイコパス」1期の2話分を1時間に編集しなおしたバージョンが放映されている。設定のややこしいSFものなので2期が始まる前に新規視聴者を獲得するためと、私のような忘れっぽい人間のための「おさらい」的な放送だと思うが、1期は昨年のアニメベスト3に入れてるぐらい面白かった作品なので暇があると見ていたが、例の高校生女子による同級生殺人事件を受けて4話目が放送を取りやめとなった。

 ネットでも「放送中止になるんじゃネ」という声が大きかったので、最近のTV局始めメディアの「クレームあったらめんどくせえので自主規制」という傾向からして、少なくとも4話は放送できない、下手すると5話以降も中止となるかなと思っていたが、4話だけ中止のようである。まあ、去年放映時に録画してたヤツはすでに削除しちゃってるけど、地上波中止になっても見たければ有料ネット配信とかあるし、ぶっちゃけサブカル野郎どもは困らない。

 しかし、実際の殺人事件とこのタイミングで放送されたアニメの内容の一致には「意味のある偶然の一致」を感じるぐらいでとても驚く。最初に書いておくが、こういうアニメの内容に影響されて殺人が起こるなんてことはあんまり考えても仕方ないと私は思っている。人が人を殺す話なんて今さら規制したところで、これまでもカインとアベルの昔から古今東西いくらでも書かれていてありふれている。面白い作品を削るに値するほどの効果が規制で期待できるとは思えない。
 作中では女子高生が自分の芸術作品として同級生を切り刻み、生物標本のように樹脂包埋(作中「プラスティネーション」と中二な感じに英語表現を使っているが理系の人間なら普通は「樹脂包埋」という言葉を使う)したうえで、街なかに飾り付けた。
 現実では女子高校生が同級生を「解剖してみたかった」と道具買いそろえて切り刻んだ。

 自分を慕っている友人を自分のやりたいことのために手をかけて殺して、殺したことにまったく反省も罪悪感も後悔も感じていない様子が、まさに「サイコパス」という感じで共通している。
 報道されたことが正しいとは限らないので現実の方の女子高校生が本当にサイコパスなのかどうかはわからないが、報道どおりなら、人を殺してもまったく罪悪感やら感じない精神構造を持つ冷酷な殺人者というサイコパスの一般的なイメージにぴったりはまる。

 報道見てかわいそうだなと感じたのが、まあ被害者が一番かわいそうといったらそうだが、「この十年の「命の教育」は届かなかったのか」と嘆く教育関係者。カッターナイフで同級生を斬り殺すというこれまたショッキングな事件を受けて教育の現場で命の大切さについて教えてきたのにこの事件である。無力感と後悔と自己批判にかられたことだろう。
 決して無駄になっていなくて、そういう教育をしていなかったらもっと「痴情のもつれ」的な情動的な普通の人にも理解できるような殺人事件、人を傷つける事件が生じていたかもしれない。きっとそれは防いでいたと思いたい。
 でも今回のような、「普通の人」といわれるような大多数の人間から見ればある種異様な精神構造を持つサイコパスが起こす事件を「教育」で防ぐのには限度がある。無理と理解してことに当たらないと「話せば分かるはず」という認識ではまったく防ぎようがない。

 「普通の人」の話せば分かるだろう、みんな同じように考えるだろうと無邪気に信じている感覚は、多少人と違う考え方をすることもある私もうんざりさせられることが多い。
 いわゆるサイコパスだとされるような人間だって決して珍しくはなく、人殺すほどに特殊な人間はまれだとしても、平気で嘘ついて何の罪悪感も感じない程度の人間ならきっとみんなまわりに思い当たる人がいる程度には存在するだろう。
 なんで嘘付いて平気でいられるのか理解に苦しむところだが、そういう人間がいるのである。ゲーム理論なんかでも嘘つきはある程度の数であれば、まわりを食い物にして生き残っていくという説明がされていて、まあ嘘つきばかりの集団じゃ社会的な生物である人間の集団として非効率で他の集団に駆逐されるので、嘘つきばかりが増えることはないけれど、集団が内包を許容できる程度の嘘つきは常にいるということらしい。

 人はなぜ人を殺してはいけないのかという問いに、「人の命は尊いものだから」という答えがてんで答えになっていない、と書くと「普通の人」は面食らうだろうか?
 人の命を無条件に「尊いもの」としてそれが殺人が罪である根拠とするならば、戦時の殺人が英雄視されることや、海の向こうで餓死する人を知っていながら美食に飽く行為なんかはその根拠と矛盾しており、許し難い大罪であり、実際そう感じる人も多いだろうし、私自身そう感じることもある。
 でも、戦争の時は人を殺しても良い、海の向こうで餓死する人がいても食べ物を粗末にしても罰せられない、ということなどから考えて、極めて現実的に人が人を殺すことが罪になる理由を突き詰めると「それがルールだから」でしかないと、いろんなところで書かれているし私もそう思う。

 人は人を殺して良いというルールだとすると、自分が他人を殺すことができると同時に、他人も自分を殺すことができる。そうなると自分という個人も困るし、自分が属する社会集団も機能しなくなる。だから、少なくとも同じ社会集団の中では「人を殺してはダメですよ」というルールが作られ、皆がそれに従っている、それは社会の「常識」としてもそうだとされているし制度的にもそれを裏打ちしている。従わないものには社会として「死刑」なんていう人が人を殺してはいけないというルールに例外を設けてまで従うように仕向けている。
 社会集団が生き延びるためのその集団内のルールだから、極論すると戦時に他の社会集団の人を殺すことは罪にならないという整理が成り立つし、海の向こうの社会集団の人が餓死していても関係無いという整理が成り立つ。

 なんてことを書くと「普通の人」から私もサイコパスだと思われてしまうのだろうか。しかしもうちょっと極論を書いていくと、日本の警察は優秀だし罰則は厳しいしでヒトゴロシなんて割に合わないとは考えているが、私は人を殺すこと自体を特別視する感情があまりないと自己分析している。魚をしめるのや焼き肉食うのと他者の命を奪うことに本質的な違いがあると思えない。自分が殺されそうだとかそういう自分を納得させるだけの理由があり、かつ正当防衛とかで罰から逃れられるなら、人殺しても、後悔しないだろうし罪の意識に苛まれないんじゃないだろうかと思う。むしろ何の罪もない魚をしめて食うことの方が罪悪感がある。弱肉強食は生態系のならいだとはいえそう感じる。

 という私のような人間が、普通に、なのかどうか不明だが社会生活をおくっていることから分かると思うけど、たぶんいろんな考え方、精神構造の人間がいて、それでも廻っているのが、社会というものの現実だと思う。
 多くの素直な人間には「命は尊い」という教育が十分に功を奏するだろうし、そう思わない私のようなひねくれ者にも、たぶんサイコパスにも、ルールをきちんと作って運用して、人を殺せば高確率で捕まって、重い罰を受け、社会的にも実名顔写真さらされて抹殺され、家族も親戚一同も街を職場を追われるような制裁をうけるということを、きちんと理解させれば、相当な抑止力が期待できるだろう。

 それでも、今回の件がそうかどうかは別として、「自分の欲求」が上回ってしまい、人を殺してしまうようなサイコパスが出てくるのを完全に防ぐ手立てというのが、正直あんまり無いような気がしている。

 「そういうサイコパスはあらかじめ診断して社会から隔離しろ!」というヒステリックな意見がでてくるのは目に見えているが、それをやった近未来の社会の気持ち悪さを描いたのがアニメ「サイコパス」である。予防的に「潜在犯」という犯罪おかしそうな精神状態の人間を管理下に置くシステムを構築した世界。
 まだ罪を犯していないのに、例えば犯罪被害にあって恐怖や憎しみで精神状態が不安定になっただけで「潜在犯」認定を受けてしまう理不尽。サイコパスを取締まる診断方法に引っかからない二重のサイコパスの存在が巻き起こす犯罪の理不尽。

 犯罪をまだ犯していないものを隔離なり監視なりするシステムって、自分がその対象になったらと考えたら、納得できないでしょ?あなたが「普通の人」だっていう保証がどこにあるんだ?といいたい。それは現実にはあり得ない。刃物持って暴れまわってるような放せばすぐにでも他人や自分を傷つけるのが明白なぐらいの状態であれば現在でも「措置入院」という制度はあるけど、それ以上の予防的な措置は難しい。やれるとしたらヤバそうなヤツには関わりあいにならないという自衛策程度で、強制力を持ったルールとした場合にはあまりにもいびつだ。今回の事件でも医師から父親に対策とるよう助言があったように報道されているが、父親が監視したところで目を盗んででもやってたかもしれないし、逆に医師が警告するような人間でもナニも起こさないことも多いだろう。結果論で後からご高説を垂れるのは簡単だが、正確に未来を「診断」するのは不可能である。

 じゃあどうすれば防げるんだ?と問われると、根本的な対策が思いつかない。
 でも、まあそんなにレアなケースを全部防ごうなんて考えなくて良いんじゃないかという気がする。今までどおり、教育もすれば犯罪起こせばつかまえてしかるべき罰を与える。
 それで防ぎようのないものをどうこうできるとか、するべきと考えるのが思い上がりで、しょせん他人というのは何考えてるか分からないということを頭に置いて社会的にも個人としても気をつけて生きていくぐらいしかないと思うのだが。

 「尊い命」がそれによって失われるのを防がなければ、というのであれば、まずは交通事故死とかもっと沢山人が死ぬことの対策を先にやった方が効果が上がるんじゃないのと、人の命が特別には尊いとか思っていない私など思うのである。
 交通事故死者は何万人か知らないけど、自殺も年間3万人とかで、大人が起こす殺人事件も普通にある中で、センセーショナルだけど未成年の殺人だけが特別問題だと考えるべきじゃないように思う。

 人の命はそこそこ尊いけど、それなりに脆く儚く死ぬときはあっさり死ぬ。気をつけていても災害や交通事故に巻き込まれたら死ぬ、病気で死ぬ、隣のサイコパスに切り刻まれても死ぬ。寿命で死ぬ。だからこそ今生きているということには価値があるし、その分ぐらいは命は尊いと思う。

 「罪と罰」について、私はドストエフスキーにではなく虚淵玄に考えさせられる。

2014年7月27日日曜日

黒く塗れ

暑い、暑いといっても涼しくなるわけじゃないとよくいわれるが、それでもこの暑さには文句の一つも言いたくなる。

 昨日は日中クソ暑い中テナガ釣りにいったが、3時間ほどでグッタリするぐらいに疲れた。今日はちょっと買い物に出かけた以外は部屋でウダウダしている。

 マコちゃんから、遠征の報告のメールが来ていて、昨年辛酸をなめたフロリダターポン見事リベンジ成功して巨体を浅瀬で抱いている写真が添付されていた。我がことのように嬉しい。

 まあ、我がことといえば、遅めの夏休み、9月にクリスマス島遠征が控えているので、そちらでキッチリ結果を出さねばなるまいという気がしてきた。オレも負けてはおれんぞと気合いも入る。

 ボチボチと日程表、持ち物チェックリストなどを作って準備を始めているが、道具的にはもう買うモノはほとんど無くて、昨年のフロリダで履いてたデッキシューズが靴擦れ起こしたので、ボート用の靴を買うのと、100LBのショックリーダーと大型ルアー用のスプリットリングが切れていたので買い足すぐらいである。

 ルアーについては、準備はルアーを買うのではなく、大量にあるルアーの中からどれを持っていくか選択することという状況になっている。ルアーは生産されて店頭にあるときに買っておかないと入手できないこともあるので、例えばサーフェスブルGTあらため「ブルポッパー」なんかはサーフェスブル10個以上持ってるのに思わずブルポッパーも新色買っちゃってるので全部は持って行けない数になっちゃってるし、フィッシャーマンのロングペンとかよく売れたヒット商品なので中古屋で目にする機会も多く、これまた全部は持って行けないぐらいの数が「蔵」にある。
 まあ、あれこれ悩んでルアーを入れたり出したりというのがタマラン楽しい時間だというのはご理解いただけるだろうか。

 ロウニンアジ用のルアーで一番好きなカラーは黒である。スレたポイントでは黒が効くという説もまことしやかに書かれていたりするが、色は正直そんなにこだわっていない。2番目青系、3番目黄色系ぐらいで、適当にローテーションして投げているが、ぶっちゃけ釣れるときは何色でもつれる気もする。あんまり凝ったカラーリングはルアーの値段が高くなるだけでそれほど釣果に影響してないようにも思っている。光をよく反射するのでクロームカラーやアルミ貼りには意味があるとは思うが、でも鱗まで描いてあってもそれを魚がいちいち確認しているとも思えない。

 黒が好きなのは、ブラックマジック的な漆黒の闇的な中二病的な格好良さが好きなのである。
 
 黒いルアーの一部を並べてみたが、なかなかにやってくれそうな雰囲気醸し出している。
 黒くて長いロングペンが断トツの私的「これで釣りたい」ルアーである。竿先で弾くような高速連続ポッピングとか疲れる動かし方でしか釣ったことないけれど、長いボディーでバシャーっと水を切らせる感じで、竿をあおってユルユル巻いてまたあおるオッサンポッピングでも充分以上にいけるんじゃないだろうかと思っている。
 30センチを超える長いペンシルポッパーなんてロウニンアジ釣り以外ではまず使わない。ロウニンアジに向かって投げるためにあるルアーとしての本懐をとげさせたいものである。

 ノットの強度チェックも今回電車FGノットメインでいこうと考えているので再度やっておきたいし、キャスト練習や筋トレも暇を見てやっておかねばである。

 良い塩梅に盛り上がってきたが、まあとりあえずは暑くてバテてるので体調管理をしっかりとという感じである。

 忘れられない夏にしたい。

2014年7月24日木曜日

霹靂

 窓の外の景色が、一瞬真っ白になって、ほぼ同時にもの凄い音というか衝撃が胸に響くように襲ってきて空気が衝撃波で震えた。バチバチバチーッというような音が後に続き窓の外でナニかがスパークしている。
 たぶんとなりの棟の避雷針に雷が落ちた。人生で一番近距離に落ちた雷。

 雷が電撃の枝を飛ばしたのが誤作動させたのか、衝撃波の振動を拾ったのか、駐車スペースの車の防犯ブザーがしばらく鳴り響いた。

 ちょうど雨がやんでいるときに帰ってきて飯食ってるときだったが、帰り道で近距離であんなの落ちてたらちょっとチビッたかもしれない。

 今時珍しくもなくなった都会のゲリラ豪雨いついては、ネットでも結構短時間の予報が出ていて帰りの時間帯は上手く豪雨を避けることができた。

 なかなか恐ろしくも、ちょっと美しく神秘的でもある夜の落雷だった。

 直撃したら余裕で死ねるというのが感覚的にも理解できた。くわばらくわばら。

2014年7月19日土曜日

夏の夜の羽音

先週はヒグラシという、夏らしい虫の音をピックアップしたが、ヒグラシのカナカナと聞きなされる鳴き声が主に「もののあわれ」に関わるような好意的にとられる虫の音なら、その対極の嫌な虫の音としては、蚊の羽音がダントツの存在ではないだろうか。

 夏の夜、ただでさえ暑苦しいのに、呼気の二酸化炭素に引かれてやってくるらしいが、顔の周りをウロチョロと飛び回って、たたきつぶそうと灯りを点けるとどこかに隠れてしまい、灯りを消して寝入ろうとすると、タイミングを計ったかのように耳元でまた「プーン」と音がする。心の底からブチ殺したくなる存在で実際見つければパンと叩いてブチ殺すのであるが、まあむかつく存在である。

 なぜ、蚊はあんなに嫌な羽音をたて、なぜあんなに痒くなる刺し方をするのか、もっとおとなしく静かに飛んできて痒くならなかったら、血の一滴やそこらくれてやっても良いのにと思うかもしれない。
 逆である。蚊が「やばい存在」だから、蚊の羽音を人間は警戒し、刺されたときに反応して痒くなるように体の仕組みをつくってきたのである。
 蚊の何がやばいって病気の媒介である。これに尽きる。日本脳炎なんてのはワクチンのおかげでほぼ日本では根絶されているが、まだ世界には流行地がある。蚊の媒介する病気の横綱はなんといってもマラリアで、デング熱が古参の大関、西ナイルウィルスが新進の大関というところか。

 そのマラリア(マラリア原虫)を媒介するハマダラカを駆除する画期的な方法が開発された、と英国ロンドン大の研究チームが発表した。ネットニュースで紹介されていたので読んだ人も多かったのではなかろうか。
 遺伝子操作でメスの蚊が生まれてくるのに必要なX染色体が正常に働かなくなる遺伝子を組み込んだオスを使うという方法。メスが生まれなくなる遺伝子を持ったオスが世代交代を経て増えてオスばっかりになって絶滅するという、技術の概要だけちょっと読むと、ナニがそんなに画期的なのか、これまでの例えば南西諸島のウリミバエを根絶させた、不妊個体をバラまく作戦とナニが違うのか、イマイチすごさがわからなかったが、紙に実際に♂♀マークを書いてみて、自然環境に少数バラまいた時を想定してどうなるか考えてみると、鳥肌が立つぐらいによくできた「駆除方法」だと理解できた。

 この駆除方法の肝は、致死的な遺伝子の利用や「不妊」といった直接的にその次の世代を殺す方法ではなく、オスが増えるという、駆除のための因子が自ら増える方向に一旦進行するところにある。
 オスばかりになって繁殖できなくなるというのが何世代後になるかは環境によっても違うんだろうが、真綿で首を絞めるような「悪魔の遺伝子」を自然界でも増やしながら「駆除」が進行していき、その進行を止める方向に働くブレーキであるはずの「淘汰」が「子供にオスが増える」という要素が必ずしも繁殖に不利な要素でないことから、どうもかからなさそうなところが悪魔的だと思う。
 1匹自然界に放り込んだら、そのオスと交尾したメスが産むのはほとんどオス、オスだからといって生存に不利な点はなく、普通に育ったとして2匹の親からは2匹が育つとして、2世代目に「悪魔の子」は2匹でどちらもオス、次の世代では4匹、次の世代は8匹というのをやっていくと、将棋のマス目の数だけ倍々ゲームで米粒をもらったら81マス行く前に蔵が空っぽになった昔話のように、世代を繰り返すと等比数列的に途中から爆発的に数を増やし、「悪魔の子」が「普通の子」と同数ぐらいになったあたりで、完全に個体数が減る方向から逃れられなくなり、メスがいなくなりジ・エンド。

 ウリミバエの根絶に使った不妊個体の生産なんてのは、一人一殺方式で天然個体と同数ばらまくぐらいの勢いで大量生産していて、はっきり言って先進国で金持ちの日本で、かつ島という閉鎖環境だからできた技術で、マラリアの流行しているような、医療も不十分な国でまねできるわけがない。そういう国ではDDTとか先進国では使用禁止になった殺虫剤について、虫が媒介する伝染病被害の方が残留する殺虫剤による影響よりはるかに大きいので、DDT使おうゼという動きが実際あると聞く。
 そういう地域でも、研究機関からハマダラカの「悪魔の子」を間違いなく増えてくれる程度の数買ってきて撒くのなら十分可能だろう。

 素晴らしい技術ジャンよ、ほかの害虫にもジャンジャン応用すればいいジャン、という賞賛の声もネットニュースでは紹介されていたが、反対意見も多数紹介されていた。代表的なのは、生態系への悪影響を懸念するもの、自然界では実験室のようにいかないのではという懐疑、人工的につくり出した遺伝子を自然環境へ放つことの危うさ、の3つ。

 まず最初の生態系への悪影響だが、「蚊は生態系の低次の生物で他の生き物の餌となっていたりするので生態系への大きな影響がある、蚊にだって役割があるはず。」「蚊が媒体しているマラリアがほかの動物の個体数に関係しているかもしれない、そういう動物の数が増えてしまうかも。」とかいう一見もっともな耳障りのよい意見だが、往々にして科学の進展を妨げるのはこういう耳障りのよい無責任な意見である。まず蚊の1種が絶滅したぐらいは、すぐに別の種の蚊が同じようなニッチを埋めて大きな影響は出ないだろう。そういう柔軟性が生物の多様性というものの性質の一面である、後者はマラリアと関係する動物ピンポイントでもう少し影響は出てもおかしくないが、マラリアで人死にが出るのが防げるなら我慢するべきレベルでおさまると思う。

 2つめの実験室での研究どおりにいかないのではないかという話だが、たいした費用もかからないだろうから「やる」という方針が出せるのなら、実地でやってみればいい。自然や生物はうまくできているので、絶滅するような方向に進み始めたらそうならないように上手く適応するので失敗するだろうという意見も紹介されていたが、子供がオスばかりというのは個体としては生存や子孫を残すのに不利ではない、個体としては不利にならないでコピーである子孫を残しまくるのに種としては絶滅に向かわせるという「悪魔の遺伝子」を防ぐ手立てが生物にあるのか?なさそうに思うが、あるとすれば正常な固体が周りから補充される状況とかか?

 3番目のそういう「悪魔の遺伝子」を自然界に解き放って大丈夫なのかという心配。結局この点がクリアされないためにこの技術は日の目をみないのではないかと思う。遺伝子組み換えの作物なり生物なりを利用するときに必ず議論になるが、実際にはすでに遺伝子組み換え作物は生産されている。詩人のアーサー・ビーナードがブッシュは科学より神を信じるような保守的なキリスト教徒で科学音痴だから遺伝子組み換え作物なんかを作らせると手厳しく批判していたが、いろんな問題点の指摘や切り口があるけど、最終的に決定的に遺伝子組み換え作物や生物のリスクは、やばい遺伝子を持ったクリーチャーが生まれてしまわないかという部分につきる。

 安っぽいB級SFのようなクリーチャーではなく、実際にこれまで私が想定していたのは自然界に出たときに、他の生物、既存の種に圧倒的に勝ってしまうような生物の誕生である。
 その点、今の遺伝子組み換え作物自体はリスクが低い、そもそもが畑で管理しないと生きていけない作物品種だし、持っている特性が農薬への耐性とかなので、もの凄い低い確率で想定される遺伝子の水平伝播で農薬耐性の強い雑草が生まれてきても、そもそも自然では農薬使わないので被害は畑の中だけで完結する。
 これが最近農作物だけでなく畜産や水産の世界でも遺伝子組み換えで高成長な品種とかが話題になり始めていて、ちょっと待てと声を上げておきたい。畜産でも豚などは野生化してイノシシと交配することはあり得る。実際日本の自然のイノシシには多産系の豚の遺伝子が既に組み込まれているというレポートも目にしている。遺伝子組み換えの化けモンみたいな豚とか生産し始めたらイノシシなんかわけわからんクリーチャーになってしまうかもしれない。魚はもっと危ない、養殖池なり生け簀から台風で逃げ出したなんていうのは、はじめっから想定されるリスクである。遺伝子組み換えの魚はダメ!絶対!の世界である。

 そういう最強クリーチャーができてしまう反対の、その種を絶滅する方向に持っていく「悪魔の遺伝子」を自然界に出して良いものなのか。ハマダラカだけがいなくなればOKと私は思う一方、少ない確率とはいえウイルスの媒介などにより遺伝子が親から子へと受け継がれるのではなく、違う生物に水平伝播するということがどうもあるらしいといわれており、そういう可能性がある限り、さらにいうなら予期しないような結果が無いともいえない限り、やっぱりこの技術はお蔵入りさせるべきだと思う。
 昆虫のような沢山子孫を残して世代交代のサイクルも早い生きものの場合、もしそういうやばい可能性が0でないのなら、下手なテッポも数打ちゃ当たるで起こってしまうと私は思う。人間が想像できる程度の最悪の事態は「まさか」なんて思っていても割と普通に起こるモノである。

 一つの種を滅ぼしてしまえるような優れた技術が「やばくない」わけがないとまずは警戒すべきだと思うし、こういうのが「やばい」と直感的に避けられるぐらいに慎重に人間は生きていくべきだと思うのだが、往々にして「まあ大丈夫だろう」と便利な技術には飛びつきがちである。途中で止めることができるならまだしも、1回使ってしまえば後戻りできないような技術は特にそうだと思う。
 個々の状況において便利だったり幸福だったり不利益を生じていない要素が、全体的には避けられない破滅に向かっているという状況は、実験室の「悪魔の子」を混ぜられたハマダラカじゃなく、我々人間に既に起こっていそうな気がそこはかとなくいつもしている。

2014年7月13日日曜日

蜩の鳴く頃に

我が家の近所には学校があって、敷地内にけっこう大きな林がある。
 割と街中なのだが、ヘビがいるという話も聞いたぐらいで、春にはホーホケキョとウグイスが鳴いていたりするのだが、昨日、暑い中テナガを堪能して帰ってきてシャワー浴びて夕方麦茶飲んでいたら、「カナカナカナカナ~」とヒグラシの声が聞こえてきた。

 ツクツクホウシやアブラゼミは毎年聞いているが、近所でヒグラシは初めてのような気がする。
 「日本人に郷愁という感情を植え付けたのは実はヒグラシなのではないか」と誰かが書いていたと記憶しているが、さもありなんと思うぐらいのもの悲しげな鳴き声で、夕方に鳴くこともあり楽しかった夏の一日が終わる切なさを感じずにはいられない。

 漢字1文字で書くと「蜩」だが、こういう難読漢字ってオタクなら知っているというものが結構ある。蜩くんという超能力バトルモノの登場人物がいて、彼の能力は「代謝加速」でもの凄いスピードで動くことができる設定。セミの短い命の暗喩かなと思う。
 サイボーグ009の「加速装置」と似たような超能力だが、もう少しリアルに寄せた設定で、加速中も通常の物理法則が適用されて、運動する物体のエネルギー量は速度の2乗に比例するので、加速中のパンチとかの破壊力はデカイけど、自分の体へのダメージも大きく諸刃の剣になるという描写になるほどなと思わされた。SF要素のある作品はそういう科学考証も味わい深い部分である。

 別の漢字だがジャンプ長寿連載漫画「こち亀」のオリンピックのある年だけ登場する両さんの同僚である「日暮」さんは今ウィキったら既に11回登場したとかで笑える。何回かはリアルタイムでジャンプで読んでいたが、2回目登場時には「そういえば4年前に、そんなネタあった、あった!」とウケた記憶がある。
 なにげに日暮さんも超能力者で犯罪予知かなんかの能力がある設定だけど、長い時間を寝て過ごせるというのは、「加速能力」の逆の「減速能力」という時間操作系の超能力者とも考えられる。

 釣りやっていると、瞬間的なアタリにアワセが遅れたときなど、誰でも「もっと早く反応できたらな」と思うぐらいで「加速能力」はあったら便利だと思う。
 しかしながら実は釣りには逆に「減速能力」があれば、非常に便利かもしれないなと思ったりもするのである。
 ようするに、潮が引くのをまって渡るポイントとかライズ待ちとかで、今か今かとイライラしながら待つ気の短い多くの釣り人なら、「自分の時間を減速させる=まわりの時間が早く進む」能力があれば、まわりの時間を録画したTV番組の宣伝を早送りですっ飛ばすのと同様のことができるということである。
 自分の都合で時間を早くしたり遅くしたりというのは、所詮、超能力モノの作品中だけの絵空事だと思うかも知れないが、実はまわりの時間がゆっくり流れて自分が早く動ける「加速能力」も、周りの時間がアッちゅう間に流れて自分があまり動かない「減速能力」も現実にある程度持ち得る能力だと私は思っている。

 そんなアホなと思うかも知れないが、加速能力の端的な例として、さきほども「素早いアワセ」を出したが、アタリがあってアワセるまでの反応速度は、初心者とベテランとでは桁が一つ違うぐらいに差がある。常々、アワセのタイミングについては「素人はとにかくなるべく早く、玄人はとにかく落ち着いてゆっくり」が大事だと思っている。昔、毛鉤に食いついたヤマメが吐き出すまでの時間は0.2秒という有名な実験結果があって、当時は人間が目で見て反応するまでには0.8秒(自動車教習所で習う)かかるので、実際にはラインの弛みとかの分も遅れるので1秒程度はかかる。よって、ヤマメの反射速度に人間が勝つことはできず、アワセが素早く決まっている達人はヤマメの行動を予測したり泳ぎ上がってくる姿を見つけてアワセていると解説されていた。

 当時はそういうモノかと納得しかかっていたが、早撃ちのガンマンがリボルバーの劇鉄を手で押し込むようにしてぶっ放して点灯した電球を0.1秒台とかで打ち抜いているのとかを知って、もっというなら自分が明らかにヤマメ釣りでもアワせが早すぎてすっぽ抜けを繰り返しているようにしか思えない状況が生じるにつれて、どうも納得できないと感じざるを得なかった。定説に反して人はヤマメが毛鉤を吐き出すより早く反応デキる、それは間違いないがまだ説明されていないだけと思っていたら、割と近年になってそのメカニズムがスポーツ科学的な研究で解明された。

 簡単に説明すると、反復練習などにより、大脳が認識してから反応するという通常の反応経路ではなく、小脳経由で反射的に反応するショートカットした回路が形成されることがあると明らかになり、今までの通説では説明できなかった反応速度もそれで充分説明できるとのこと。やっぱりそうだったんだと納得したしだいである。
 10年20年と早いアワセを修練してきた釣り人は、明らかに素人とは異なる時間の中でアワセをキメられる「加速能力」を手に入れているのである。
 アドレナリン出まくっていると、脳内の「思考や知覚が加速する」というのも良く耳にする話で、事故とか起こしたときに周りの景色がゆっくり動くように見えるというし、魚がドカンと出たシーンをあとから思い出すと食って右向いたか左向いたかまでスローモーションで見えていたなんて経験は、ベテランの釣り人なら結構あったりするンじゃなかろうか。

 「減速能力」の方は、釣り人はもっと簡単に手にできる。ようするにじれったい時間をつぶす能力だと考えればいいので、今からの釣りをイメージトレーニングしても良いし、鳥でも眺めてても良い。でも、じれったい時間を感覚的に早く過ぎるようにしたいのなら、まあ「楽しいときはあっという間に過ぎる」というぐらいで、楽しいことをすれば良いんだけど、釣り場に意識は置きながらも楽しくできることといえばある程度限られていて、釣り仲間と与太話しながら待つなんていうのが理想だが、最近の私は電子書籍キンドルに面白いマンガ詰め込んで釣り場の待ち時間に読んでいることが多く、キンドルが私の「減速装置」となっている。

 楽しくてアッというまに時が過ぎてしまうという点を考えれば、魚釣りそのものが最強の「減速装置」なのかもしれない。
 思い返すと少年の頃の夏休みもいつもアッという間に終わったものだ。

2014年7月5日土曜日

ハイシープミクロ、カーボネックス、アカエム

「すまない、軟式庭球経験者以外は帰ってくれないか!」
 という感じですが、まあバドミントン経験者も前2つは分かるのかな。
 軟式庭球なんて呼称もすでに「ソフトテニス」になって久しく今は昔の話だけど、中学、高校、大学と10年くらいやっていたスポーツなのでたまに懐かしく思い出したりする。

 写真はサメ釣り用にPENNセネター9/0に巻こうと思っている80LBナイロン1000mのボビンだが、このド太い蛍光黄色のラインのたたずまいを見て、ゴーセン「ハイシープミクロ」を思い出してしまって、懐かしくなってしまったのである。

 ハイシープミクロはテニスのラケットに張るガットの銘柄で、私が軟式庭球部員だったころの一番ポピュラーなガットだったと思う。
 ガットという呼び方は、英語だったかで腸の意味で、その昔はテニスラケットのガットは羊の腸から作られていたらしい。それでガットと呼ばれて、1商品名に「シープ」が入ってくるのである。
 ナイロンなど化学繊維が出てくる前には、鯨ヒゲでもガットは作られていて「鯨キン」ガットと呼ばれていたと記憶していたが、鯨キンの漢字を調べようとして、実は鯨ヒゲではなく鯨の頭かスジの繊維で作っていたらしいと初めて知った。漢字は「鯨筋」。
 私の中学生時代には商品はもう無くなっていたけど、兄にもらったラケットには鯨筋ガットが張ってあって、玉を打つとポンポンと独特の響く良い音がしたのを憶えている。

 テニスのガットはバラ売りだと、ラケット一本分をフライのリーダーのようにクルクルと巻いて、プラスチックのパッケージに入って売られていた。ただ、大きなスポーツ店にいくと、ハイシープミクロあたりはデカいボビンで用意されていて、量り売りでやや安かったように記憶している。
 そのデカいボビンにガットが巻かれている様を、今回買った80LBの太いナイロンラインを見て思いだしたのである。それぐらい80LBは太い。テニスのガットはやや大げさかもしれないが、バドのガットくらいの太さは本当にある。

 ハイシープミクロあたりのガットはモノフィラ(単繊維)じゃなくて、ナイロンモノフィラのコアをブレイデッドのナイロンで包んだ構造をしており、今思うとモノフィラのナイロンだと伸びが大きくてイマイチなのを、ブレイデッドと複合させることで低伸度のガットに仕上げていたのだと思う。

 同じような、単繊維をブレイデッドで包んだ構造のハリスが一時期デュエルから出ていて、ブランドはデュエルだけど製造はゴーセンではないかと、軟庭モノの私は思ったものである。

 カーボネックスは同世代の軟庭モノとバドモノなら懐かしい名前ではないだろうか。新潟の優良スポーツ用具メーカー「ヨネックス」のラケットで、たぶん今でもあるんだろうなと思ってググったら、残念ながらソフテニ用のラケットには既に「カーボネックス」の名前は無くなっているけど、バド用ラケットでは健在。最近は自転車のフレームも「カーボネックス」で出してるようある。

 私はロッドの素材がグラスからカーボンに移行する時代にも立ち会ったが、軟庭のラケットが木製からカーボンに移行する時代にも立ち会った。
 グラスの竿を知っている人間が、キンキンのカーボン素材にイマイチなじめなくて、グラスを混ぜてマイルドにしたフェンウィックのHMGブランクスを気に入ったように、木製のラケットを知っている人間としては、出始めた当時の100%カーボンのラケットにはなじめず、カーボンの芯材を木で挟んだカーボネックスはしっくりきた。
 テニスのラケットは軽すぎてもボールをはじき返すパワーが不足すると私は感じていたので、それなりに重さが欲しかったのである。
 カーボネックスはその点、芯のカーボンの反発力は生かしつつ、木製同様の重量感があって木製から買い換えた人間にも使いやすかった。出始めた当初はカーボンラケットというと軽さを重視して作りがちでイマイチだったが、大学生のころには仲間が使っているカーボン製のラケットを借りてみると、重量も適度に与えつつ、カーボンならではのフレームの形状の工夫で振り抜きも良くなっていたりとかなり進化していて、これなら木製にこだわる必要は無いと感じるぐらいであった。

 結局、カーボンというと、軽いのと高反発ということが素材的には売りなので、それを前面に出すと軽くてキンキンのロッドやラケットになるけど、ロッドが必ずしも高弾性が万能ではなくて、わざわざ低弾性のカーボンを採用する竿もあるように、ラケットも軽いだけじゃ使いにくいので、使いやすいように適度な重量バランスを持たせて設計するのが当たり前の結果ということである。

 ロッドもラケットも単純にスペックでは計れない、「使いやすさ」というのが重要だと、ロッドについてはいつも書いてるが、しつこくまた書いてしまうのである。

 ちなみに「アカエム」というのはボールのブランド名で、今も昔もこれはあんまり変わらず単なる「ゴムマリ」のようで安心する。それでもカラーボールとかがあるのを見ると、柔道の道着や卓球の球と同じように、時代が巡ったのだなと感慨深い。

2014年6月29日日曜日

会うは別れのはじめ

人でも物でも永遠に一緒にはいられないと、どこかに書いた気がするけど、そうなんだけど、だからといって「はいサヨナラ」とは言いたくないあきらめの悪い性格。
 
 脳内で薬師丸ひろ子もサヨナラは別れの言葉ではないと歌っている。

 ということで、今日は昨日コケて、前回コケたとき竿をかばって腰を打った反省を生かしたつもりもないのだが、とっさに竿を持った手をついたことにより、ポッキリいってしまったパックロッドの修理などしております。割と上手くいきつつあって竿をいじれる技術は身につけておいて良かったと思うところです。

 ついでにもう一本、棒のような、竿にあるまじきアクションの先代パックロッドも使いやすいように改造したりして、ガイドをナニにしようかとかあれこれいじり回しつつ、ガイドについて書きかけて放置してあった文も完成させて、「工夫」に「ガイドの案内」としてUPしました。また読んだってください。

 写真のツバメたちは、駅の通路の防犯カメラの上に巣をかけたツガイがいるなと思っていたら、アッちゅう間にでっかくなって旅立ちそうになってます。同じツガイかわかりませんが、去年はコンビニの防犯用回転灯に巣をかけてました。防犯グッズが好きなツガイなのでしょうか。ツバメの子供の数が都会の方が少ないという報告を先日目にしましたが、都会でも林などが近いと餌の虫が多くて多くの子供が育つんだとか。近所に学校の敷地の林があり川もあるので比較的恵まれた子育て条件であり毎年帰ってくるのかもしれません。

 いろいろと未来の話も進行中で、夏休みは9月22日から10月1日まで、キリバス諸島クリスマス島に一発勝負かけにいってきます。一人で6日投げ続けるのはしんどいので、一緒に行きたいという方がおられましたらご連絡ください。若干1名募集中(知人向けの業務連絡でツアー募集とかではないです。すいません悪しからず。)。

 それから、パックロッドを急いで直しているのは、風雲児さんとメールのやりとりをしていて、「近所の川でギギが良く釣れる」という部分にバイトしてしまい。7月に仕事と絡めていってしまおうと計画しているので「出張ロッド」が必要になっているというところです。風雲児さんよろしくです。

 「デカいサメ、沖縄で釣れるよ!」という情報を沖縄の釣り人さんからいただいているのですが、メールを返信しようとしても、セキュリティーにはじかれているのか上手く送信できていません。無視してるような形になっていたらすいません。基本もらったメールには迷惑メールじゃない限り返信してます。
 デカいサメを釣るタックルとして1セット20キロのドラグ値をかけられるスタンダップタックルを準備していたのですが、20キロドラグは道具か体が壊れそうで正直ちょっと怖いです。ということでまだいつ釣りに行くかもしれないサメのために、もう1セット買ってしまいしました。80ポンドタックルで20ポンド(10キロ)ぐらいのドラグで適度に伸びるナイロンラインをメインラインにしたら、多少「体に優い」ような気がします。リールは男らしくセネター9/0をゲットしたりました。ナイロンライン80LBって普段はショックリーダーにするような太さで、ビミニツイストとかの練習をせねばという感じです。

 会えば別れるのが運命であるように、人は会うべきモノにはどうやっても会う運命になっているような気がしてもいます。80のスズキにも会ったし、ビワコオオナマズ、ヨーロッパオオナマズ、アフリカンクララにも会ったし、テナガにもタナゴにも会った。

 私はきっと、20キロオーバーのロウニンアジにも会うだろうし、ギギにも会うだろうし、デカいサメにも会うだろう。と言霊の力を期待して書いておきたい。
 
 

 
 

 

2014年6月21日土曜日

権威主義と民主主義

と、併記すると前者が悪で後者が正義のような字面だが、私はあまりそう思っていない。

 まず民主主義の象徴である多数決が私は嫌いだ。
 民主主義が必ずしも多数決で物事を決めるシステムではないと理解しているつもりだが、それでも「選挙」や物を買うというような消費に伴う「自由競争」が民主主義的なものだと感じるし、それらには多数決の要素が含まれているように感じる。

 「人間が愚かである」ということを前提にすると、多数決で物事を決めると、愚かな結果となる道理である。
 政治的にそういう状態を指して「衆愚政治」とかいうらしい。
 人は時に賢いけど、時に愚かだと思うので、民主主義は案外上手くいくときもあれば、愚昧な結果を招くこともある。どんなシステムでも良い点悪い点があって上手く運用しなければクソだという話なのかもしれない。
 運用上、割とマシなやり方が、みんなで知恵を絞ってスペシャリストを選んで、ある程度その人に任せてしまうというのがあって、それが選挙だったりするんだろうけど、まあご存じのとおり選挙は声の大きい多数派の利益代表者が選ばれがちなので、少数派の人間は虐げられがちである。
 私も思想的にはマイノリティーというか自分では常識人だと思っているのだが「偏屈な変わり者」と言われがちな人なので、小学校の学級会の昔から、原発反対とかの政策的な話まで、少数派で多数決に負けて「オレのいってることの方が正しいのに」という割と確かな思いがあるのに、悔しい思いをしがちである。
 「愚か者どもの愚かな決定になぜ賢い(と時に思いあがる程度の50歩100歩な愚者であることは重々承知している)私が従わねばならぬのか?」というのは私だけが感じる不条理ではないと考える。
 多数決の結果に従うぐらいなら、同じように自分の思いと違っていても、信頼できる専門家の独断に従う方が心安らかである。

 というような得意でもなければ好きでもない政治的な話を枕に持ってきたのは、ここしばらく香港釣行の番外編を書いていて、魚の種を同定する必要があったのだけれど、その際にいろんな人が知識を持ち寄った「民主主義」的なウィキペディアに代表されるネット情報と、日本の魚類分類の第一人者であり「権威」である中坊徹次教授編著の「日本産魚類検索 全種の同定」東海大学出版会のような図鑑を比較したときに、何となくちょっと似たようなところがあると感じたので、普段「民主主義」に虐げられている少数派の鬱憤をついでにとぶちまけたところである。

 ウィキペディア大先生の便利さやらの利点を否定するのはさすがに難しい。森羅万象これでもかという多岐にわたる項目について、それぞれの知識を持った者が、自由参加で書きこんで議論しつつ最新の情報にアップデートしていく情報は、ネット上で無料公開されているというアクセスのしやすさもあって、調べ物するには非常に簡単かつ早く、今時仕事でもプライベートでも「ググる」の次ぐらいに「ウィキる」ぐらいの勢いでお世話になってる。
 だがしかし、正確性という点では信頼性はイマイチである。「君の名は4-香港魚市場逍遙編-」を読んでいただければ分かると思うのだが、ウィキペディア大先生もその他のネット情報にも結構ミスがあったりする。
 ウィキペディアに関しては、あまり確定的な正確さを重要視すると、最新の情報とかの検証作業に時間が取られて、情報の新しさというネットならではの利点が削られてしまうので利点と裏返しの部分があり、そういうものだと思って使うしかない。
 他のネット上の情報の一般的な不確かさは、結局誰が責任持って書いているか分からない「匿名」の情報だという部分も大きな原因のような気がしている。
 まあ自分も匿名で確かかどうか自信の無いような情報を発信しながらこういうのも何だけど、素人か玄人か書いた人間のレベルもよく分からない情報は、どこまで信頼できるのか見切りが難しい。
 その点、その道の権威が書いた書物や論文は責任者が明確で、書いた情報が間違っていれば著者が「恥を書く」話で、気合いの入り方も違えば信憑性も違ってくるというもの。
 ただ、責任持って書くということは、しっかり裏を取ってということが必要で、時間はかかる。「日本産魚類検索」も第2版が出てからしばらくたつが、最近の遺伝的な情報の解析の進捗による分類の再整理的な動きには対応し切れていない。

 しかしながら、それまで魚の種の同定には、いろんな図鑑を引っ張り出してきて悪戦苦闘していた時代に「全種の同定」を高らかに謳って出版された「日本産魚類検索」の実用性の高さ、志の高さ、気合いの入りっぷりには感銘を覚えた。今でもネット情報で最新のネタは補足しつつも中古で手に入れた第1版をこれ以上ないぐらいに信頼を置いて愛用している。
 
 結局、権威に頼るにしても、ネットの情報を取捨選択していくにしても、自分がどう判断していくかということが最終的な自分の答えを得るための、めんどくさくも楽しい過程なんだなと再認識したところである。

 よく、無人島に一人で流されるときに1冊だけ本を持っていくならなにを持っていくかという議論があるけど、「日本産魚類検索」は大本命「オーパ!」の対抗ぐらいに私の中で重要な1冊である。

 ちなみに大穴は、実用性を加味してエロ本を1冊。

2014年6月14日土曜日

円盤との遭遇

今期、録画してみているアニメは当方的には豊作である。

 土曜は「シドニアの騎士」と「ジョジョ3部」が楽しみで、結構早く目が醒めてしまうぐらいである。

 シドニアやっぱりわかる層にはわかるようで、ネットでは当方のように激賞している意見を散見する。彼等とは旨い酒が飲める気がする(医者に酒止められてるけど)。いやほんとオモロイんだって。

 ただ、わかる層にはわかる程度では「大勝利」的な売り上げにはならないようで、ブルーレイ・DVDの売り上げは、今売り出している一巻で7000本ぐらいになるというネットの識者の予想となっている。

 今回映像フルCGで金かかってるので当てはまるのかどうか不明だが、いちおう7000本が第二期を作るかどうかの境目になるそうである。ホントかどうか良く知らんがネットでみんなそういうておるんです。

 となると、シドニアは微妙なラインで、ネット上では「二期作ってくれ~」という声が上がるのだが、それに対してうるさガタから「おまえら評論家気取りのヤツはあーだこーだ言うだけで円盤買わんから良い作品でも売り上げ上がらんし、とりあえず売れる萌え豚(萌えアニメを「ブヒィーッ!」と歓喜の声を上げて歓迎視聴するアニメファンを揶揄する蔑称)の餌みたいな作品ばっかりになるんじゃ、二期作ってほしけりゃ円盤買いやがれ!」という冷静な突っ込みが入るのである。

 確かにそのとおりである。原作漫画は買っているが、アニメはアニメで別物として超楽しめている。これは原作者だけでなくアニメ制作陣にも一票入れるべきではないか。それがサブカルのパトロンたるオタク野郎のつとめというモノではないかと、そんな気がするのである。

 でもって始めてテレビ放映しているアニメのDVDを買ってみた。

 でもお高いっ!2話入ったDVDが4500円からする。他の作品でも同様の値段で初回特典でグッズとかいっぱいつくともっと高いのもあるようだ、だいたい4500~5000円。一期12話をそろえると2万3万とか、竿買えまっセ。
 ブルーレイとかだと、画質も音質も一段とよくてこだわりのオタクならブルーレイでおさえるべきなんだろうけど、こだわらないオタクである当方は、画質音質あんま気にしないでパソコンで再生するDVDという視聴環境である。テレビ放送の録画版より修正も入っているようで、さすがに画質は良いようにおもったが、でもテレビ放送版の時点ですでに当方などお腹いっぱいなぐらいに綺麗な映像だった。円盤買う理由が一票入れる意義以外に思いつかん。

 世のオタク共はこんなに高価な円盤を、好きな作品ならそろえてしまっているということかと思うと、マジで昔の王侯貴族並みの太っ腹なすばらしい芸術のパトロンぶりではないだろうか。
 親のスネ囓ってるニートかもしれないし、なけなしのバイト代を突っ込んでるフリーターかもしれないけど、やってることはメディチ家とか大家政子とかのような偉大なパトロン達と同じである。
 大家政子さんバレエ団持ってたって聞いたときは、「金持ちってスゲー」と驚いた。

 なかなか良いパトロンになるには金もかかるようである。

 次も面白いアニメあったら円盤買うかどうか?
 まあ、一票入れたくなるぐらいのがあれば1巻ぐらいは買おうかな。

2014年6月7日土曜日

破られた静寂 耳の物語

ツーテンの虎ファンさんが、九州に転勤になってライギョ釣るためのフロッグをいじっているのを見るにつけ、「九州いいな~、ライギョ釣りて~」と思うと同時に、フロッグをいじりたくなって、思わずいくつも買ってしまった。

 具体的に九州遠征が予定されているわけでもないが、ライギョ用の中空フロッグは虎ファンさんが「育てる」という表現を使っていたように、ウェイトを調整したりペラ付けたり、内部構造を強化したり、お尻に空気穴開けてフックホールはシーリングしたりと、釣りに行く前に手間をかけて楽しむモノであり、毛針を巻く夜が釣り師の純粋な喜びに数えられるように、フロッグ育てる夜もまた純粋に喜ばしいモノで、梅雨の雨音を聞きながらここ数日楽しんだところだ。

 フロッグは各種売られているけど、非常に個人の嗜好や釣り手との相性のあるルアーで、それはまあ他のルアーでもそうだとは思うけど、手をかけるのが前提でもあり、そういう思い入れの強くあらわれる嗜好品だと思う。

 私が好きなのは、今売っている中ではウィップラッシュファクトリー・ブランドで出ている「X.O.SR」。たまたま池の上の電線に引っかかっていて、同様に自分のフロッグ引っかけちまった時にとれないか揺すったらついでに落ちてきて、使ったら良く釣れて「拾ったルアーは良く釣れるの法則」を地でいくようなルアーだった。
 一番好きだったザウルスの「バギーウォーカー」は廃盤だったりするが、同じく廃盤のマンズの「ザ・フロッグ」は中古屋でよくみかけたのでいくつか確保していた在庫があり、そのモチモチとした触感を楽しみつつ育ててみた。

 手前のシングルフック外付けの白いまんじゅうは何だろう?と思うかもしれない。中空フロッグを使う意味はその障害物回避能力にあり、フックを外付けしたら意味なくなると普通思うだろう。
 しかしどうもオープンウォーターでもフロッグが効く状況があり、形状からくる水の押し方が効くんじゃなかろうかとかいろいろ仮説はあるけど、一つ面白い仮説に、フックの音がしないのが良いんじゃないかというのがあって、それを試すための1個である。障害物が無い場所では、あのフッキングしにくい、ダブルフックをボディーに一体化したスタイルは必要なく、フックはむき出しにしないと「出るけどかからない」状態になるのは目に見えている。フックはフックホールシーラーで固めてグラグラ動いてボディーに当たったりして音を出さない仕様にしている。

 ソフトな素材のフロッグではそれほど気にしなくて良いのかもしれないが、フックがルアーのボディーと当たる音、フックとスプリットリングの擦れる音は意外なぐらい大きくて、ロドリ誌上での実験企画だったと思うけど、「水中でルアーの音を聞いてみる」という極めてバカでかつ正しいプールでの実験があって、もちろん陸上の人間にさえ聞こえるバイブレーションのラトル音は水中でもうるさいぐらいに聞こえたんだけど、意外にフックの出す音が大きいと報告していた。ノンラトルのプラグでも結構騒々しいようだ。
 そう思って意識すると、それってあたりまえのように感じる。タックルボックスからルアーを取り出すときにフックがガチャガチャいってるのが、水中で音を出していないわけがない。

 私は特に大きなプラグをボックスから出すときの音が好きで、そのことを意識したのは田辺ノリピー大先生がアスワンハイダムかどっかにナイルパーチ釣りに行ったときの映像で、デッカいディープダイバーをガサガサカチャカチャと出してきたときの音に「うわー良い音してるな~」と思って、自分がそういうのが「お好きな人」だと認識した。
 それほどデカイプラグでもないけど、実に良い音を出してくれるのが、ラパラのFマグで、軽いドームウッド製のボディーにフックが当たると、どうにもこうにも良い感じに音がするのである。それだけでどんぶり飯おかわりできるぐらい興奮する。もしかして私って変?

 プラグの音としては、トップは別として真っ先に語られるのは、ラトルインかノンラトルかの違いで、その後はあまり語られないように思うが、もう少し突っ込んでいくと、重心移動の有無やそれが音を出すか出さないか(たぶんマグネット方式だと音が少ないはず)、フックがトリプルかシングルか、接続にリングを使うかPEとかを使うか、そもそもプラグが動いて音を出しやすいかそうじゃないかとか、リングとフックをフックホールシーラーなんかで固定してしまってガチャガチャしないようにするとどうなるか、なんてのは気になるところであり、ルアーのカラーごときは派手なのと地味なのと2種類あればいいやと投げやりに考えているが、音についてはもっと丁寧に考えても良いのかなと思っている。
 まあ、シーバスは基本何でも食ってくる魚で、Fマグのフックがトリプルだろうがシングルだろうがあんまり関係無い感じだが、それでも夜の運河でまったく音を出していないはずのフッコスペシャルが効くのは音も動きも極端に少ないからじゃないかと思っていて、音というのは気をつけていないと文字通り目に見えない要素なので、耳を澄ませておきたいと思うのである。

 耳から入る情報は時として目から入る情報以上に意味を持つ。それは魚だけでなく人間でもそうで、全盲の人はある程度コウモリのように音響反射で部屋の構造物を把握できて、消音壁に囲まれた部屋ではその感覚を無くしてしまうらしい。プロ野球の外野手が目隠しした状態で打球音だけでライトかレフトのどちらにボールが飛んだか聞き分ける映像を見たことがある。
 釣り場でも、耳を澄ませておくに超したことはない。捕食音や逃げ惑う小魚のはねる音をとらえることができたなら、続いて、ライギョの「バフッ」とかシーバスの水面でのエラ洗い、ドラグの逆転、なんかで静寂が破られる音を聞くことができるかもしれない。

 そうでなくても、風や雨の音を楽しむだけでもなかなかに良いと思うのである。
 鳥や虫、カエルの声が聞こえたらなお良し。

2014年6月1日日曜日

気仙沼フカヒレ冤罪事件

 「給食でフィッシュバーガーっていうメニューがあったんだけど、すごく美味しくて魚って言うより’肉’っていう味で、思わず給食の人に「なんて魚ですか?」って聞いちゃったんだけど、何だったと思う?」とガッコの先生である同居人が問う。

 ここで外しては水産のプロの沽券にかかわる。
 脳内検索モードMAXパワーでいく。

 獣肉っぽい魚肉で真っ先に浮かぶのが、マグロとかの大型魚の頬肉や血合いなどだが、「給食」で使うとなるとそれでは量が確保できない。
 値段は安く、関東で給食に使えるほどのロットが購入できる魚で獣肉っぽい魚。脳内検索終了。

 「サメ。しかもアンタの故郷の気仙沼に水揚げされるモウカ(ネズミザメ)やろ。」

 正解であった。サメって表記するといやがる子供もいるようで「フィッシュバーガー」と誤魔化しているそうだが、「こんなに美味しくて安いって、そのうちみんな気付いて流行りそう。」と同居人は言う。
 脂ののりはそれほどでないけど、鶏肉のような歯ごたえのある淡泊な肉質で、衣を付けて揚げ物にすれば、脂ののりも補完できてサメバーガーはなかなかに良いメニューだと思う。気仙沼でも売り出しているが、まだメジャーブレイクしていない。これからブームがきてもおかしくない。

 気仙沼で水揚げされる魚なのに、同居人が関東で給食で始めて食べたというのには、なかなかに面白い食文化の歴史がある。
 気仙沼に水揚げされるサメは、元々はマグロやカジキを獲るときの副産物で、気仙沼にはサメを食べる文化はあまりなかったらしい。ところがマグロ漁業が盛んになるに従い、水揚げされるサメの量も増える。そうするとヒレはフカヒレに加工して中国に輸出するにしても、身が余る。マグロ漁で副産物的にとれるサメはヨシキリザメとネズミザメ(モウカ)が多く、ヨシキリザメはすり身原料に適しているのですり身になって練り製品に、しかしネズミザメはすり身には向かない身質。すり身原料に向く魚ってエソのように普通に食べるのには向かないこともあるが、ネズミザメは逆パターンで普通に総菜用として美味しい身質。

 でも、サメって人を食うイメージもあって食べるのはいやがられる場合が多い。しかし、体内にアンモニア前駆物質が多くアンモニア発酵でアルカリ性に傾く性質から日持ちが良いため、山間部で好んで食べている地域があった。それが北関東の栃木とかで、気仙沼のネズミザメは身はそっちに流通させたのであると当方は推理している。それでもサメって聞くといやがる人もやっぱりいたのか、いつ頃からか定かではないけど北関東では「モロ」という名で売られている。食品表示の問題とか以前からある呼び名でいまも地域名として使われている。北関東の人いつも食べてる安くて美味しい「モロ」がサメとは知らない人も多いらしい。

 というような感じで、ヒレはフカヒレで中国に、身は練り物になったり「モロ」として北関東に行ったり、心臓は地元で「モウカの星」として、としっかり利用されている気仙沼産のサメであるが、国際司法裁判所でボロ負け食って南氷洋から日本の調査捕鯨が撤退するので、いよいよ飯の種に困ったのか、環境保護団体が、また人ンチの食卓にイチャモンつけるような事を言い始めている。
 「フカヒレを獲るためだけにサメがヒレだけ切って捨てられるという酷い漁業が行われている」んだそうだ。
 フィンニングというやつで、昔、遠洋のマグロ漁船は冷凍庫に単価の安いサメの魚体を入れておくと赤字になるので単価が高いヒレだけ持って帰ってくるという実態があったのだが、今は遠洋いっても国際ルールで禁止されているそういう漁のやり方は、世界の警察アメリカ様とかが公海上でも乗り込んできて魚倉の検査をしているので既に実態が無い(ルールに参加してる国は検査して良いけどアメリカ様が多い)。
 近海の延縄や流し網はサメは売れるので魚体全体で港に持ってくる。量がまとまれば値段もつくしでサメも今や立派な漁獲物で、時期によってはサメ狙いの時もあるしサメ専業の船もあるやに聞く。気仙沼の魚市場に行けば運が良ければ山のように積んだヨシキリザメなんかを見ることができるのでヒレだけ切ってということが無いのは一目瞭然。
 でも、欧米の環境団体が作ったような映画では東洋系の漁業者にヒレを切られて沈んでいくサメの映像が流れる。どこの漁船か船籍もわからんような正体不明の船で、明らかなヤラセの上に東洋人蔑視である。

 グローバルスタンダードのクソ野郎様には、所詮世界の東端の小さな島国の価値観などどうでも良いんだろうなと感じる。
 自爆テロしているようなムジャヒディンの行いに正当性があるとまでは思わないが、グローバルスタンダード様の傲慢にムカっ腹が立つというのはよく分かる。
 気仙沼の漁師が、ちゃんと漁業の許可を持ってサメ獲ってきて儲けて、市場も加工屋も儲かる、関東で美味い「モロ」食った人が喜ぶ、中国の金持ちが食ったことあんま無いから美味いんだかどうだか知らんけどフカヒレ食って喜ぶ。資源量は別に減ってるわけじゃない。誰が困っている?なにに文句をいってるんだ?というところ。
 こういうクソつまらんグローバルスタンダード様のいいがかりに、唾吐いて噛み付くのがオレのジハードかなと思うので、ムカつくのにまかせて書く。
 というか、朝飯の干物が、アジかタチウオかサメという地域で育ち、たまに「モロ」を食う関東に住んでる人間としては、自分ちの食卓をけなされた不快感が強い。
 アマゾン焼き払ってつくった牧場の牛食ってるヤツに環境とか語られたくないと、低レベルな偏見と人んちの食卓批判でお返しをしておく。

 アホゆーたヤツがアホなんじゃ。

2014年5月24日土曜日

Book of the namazu, by the namazer, for the namazer.


 ナマザーによる、ナマザーのための、ナマズの本が出た。
 前畑政善「田んぼの生きものたち ナマズ」農林漁村文化協会である。

 前畑先生は主に琵琶湖でナマズを研究している研究者だそうで、10数年にわたって研究してきたナマズについて、その研究成果を含め、ナマズについて田んぼとの関わりから見えてくる生態や、食文化や信仰などナマズ文化的なものまで、広くわかりやすく紹介してくれている。
 田んぼに登って産卵行動を行う様子は豊富な写真で臨場感たっぷりに説明されていて、断片的に知っていた知識もあったけど、おかげで1つながりの生命活動の流れとしてイメージを持って頭に定着してくれた。

 ナマズについて、「ナマズ属与太話」で疑問に思っていると書いていたような当方が知りたかった知識も、いくつも回答が示されていた。
 ナマズの背中にハシゴ状に並ぶ測線は「大孔器」というそうだ。
 ナマズがどこで電気を感じているのか、是非知りたかったが、表皮の「小孔器」で感知するといわれているらしい。やっぱり電気は感じていたんだと思うと、ある種予想どおりだが、それでも不思議で驚きにあふれていると感じる。

 THE「ナマズ」のみならず、他のナマズのことも書かれていて、ビワコオオナマズは産卵期にウィードエリアで釣れるので、当方はてっきり水草に産卵するモノだと思い込んでいたが、実は岩に産卵するのであった。ルアー投げてる足元の石組みのあたりをウロウロと2匹で泳いでいるのを見かけたことがあるが、まさにこれから「合体」するところだったわけである(ビワコオオナマズもナマズも雄が雌のお腹に巻き付くようにしてイタします)。
 ビワコオオナマズ、江戸時代の文献には9尺(2.7m)のものがいたとか書かれていて、さすがに先生も「魚だけに’尾ヒレ’がついてると思いますが」と書いてますが、いやいや意外にそんな化け物サイズも昔はいたのかもしれませんゼ。

 ナンポウオオクチナマズというナマズは、ほとんど情報が出てこない謎のナマズで、中国深センで釣りをする村田さんが、どこかに情報無いかと検索かけてたどり着いたのが、当方のサイト(でもたいした情報持っていなかった)という、当方が香港に釣りに行くという縁がこのナマズから始まった魚なんだけど、このナマズの中国湖南省での養殖の様子の簡単なレポートがありました。養殖対象となって種苗が生産されているから観賞魚ルートで日本にも流れてきて、当方はマニアックな熱帯魚屋のネット上のカタログでその名を知ることになったという事だったようである。日本のナマズの仲間であるナマズ(Silurus)属のナマズではヨーロッパオオナマズに次ぐ大物なので、今後もナマザーなら要チェックのナマズだぜ。

 この本には、グレイトなナマザーである前畑先生の「ナマズ愛」が随所に感じられる素晴らしいナマズ本であると、ナマザーナマジが世界中のナマザー達にお勧めする1冊である。

 ナマズの「大孔器」の説明に使われている写真は実は「釣り人ナマジ」提供となっている。農林漁村文化協会の担当者さんから、当方のサイトをみて「このナマズの写真を使わせてもらえないでしょうか」と連絡があったときは、ナマザーとして当然協力させてもらいますよとお答えした。むしろほんのチョビッとだけど、この素晴らしいナマズ本に参加させていただき、ナマザーとしてとても光栄に感じています。

2014年5月17日土曜日

お引っ越し

 当方はサイトやブログをYahoo!系の「ジオシティーズ」というサービスを利用して作製していた。

 6月9日にリニューアルという名の、サービスの整理統合が行われるようで、当方がブログを書いているジオシティーズ内の「ジオログ」というブログ作成用のサービスについては、「終了するので、「Yahoo!ブログ」への移行手続きを行うように」という表示が4月くらいからブログ開くたびに出ていて、うざくてメンドクセーけど、仕方ないからGW明けたら作業しようととりあえず保留していた。

 昨夜、「作業は簡単!」という説明に従い、「Yahoo!ブログ」への移行手続きを始めたのだが、途中の説明で「移行対象のデータは日付/本文/タイトル/画像」となっているのを読んで、「ちょっと待て」となった。「コメント」が移行できないってどうなのよ?

 まさかそんなこと無いよね?と、問い合わせをしたところ、「コメントは移行できません、コメント残したかったらスクリーンショット等で画像として保存してはいかが?ごめんねテヘペロ」って感じの軽い回答がきた。まあテヘペロは盛ったけどそんな感じ。

 お~ま~え~な~!!

 そんなもん、コメントごと移行するシステム用意しろよと怒る。

 コメント大事だよ!「1638の謎」に迫る情報とか、「物理ネタの間違い」のご指摘とかすごく価値のある情報だったし、スカ食ったあとの慰めのコメントとか「面白かったよ」とかのコメントにどれだけ力づけられたことか。簡単に当たり前のように「移行できません」なんて言ってくれんなよ。

 画像で保存するぐらいなら写真と文だけなので、「オープンオフィスのライター(マイク○ソフト社オフィスシリーズの無料互換シリーズソフトでワープロソフト。おれはマイクロ○フトが嫌いだ、でもウインドウズマシンしか使えない自分の情報弱者ぶりも嫌いだ。)」を使って、文書に試しにコピペしてみたら普通にコピーできた。まあこれでちまちまと全ブログをコメント開いてコピペしてという作業を6月8日までに終わらせるとしよう。画像で保存したら文章が文字データとして利用できなくなるのでヤダ。

 もっといい方法がないのかと、ググったところ、普通ブログは「MT(MovableType)形式」というある程度共通した形式でつくられていて、この形式のブログならMT形式で出力(エクスポート)したファイルを他のMT形式対応のブログサービスでMT方式ファイルのインポート機能をつかってファイルでガサッとお引っ越し可能なようである。

 調べてみると、我らが「ジオログ」様は独自形式で他のブログには移行が難しい、非常に残念なしろもののようである。
 サイト本体はウェブサイト作製の基本形式であるHTML形式で作られているし、まあ当方のサイトなんて単純な写真と文だけの構成なので、これまでもオープンオフィス・ライター文書へのコピペ方式でバックアップ済みなのでとりあえず問題はない。

 ジオシティーズはパソコン素人でも簡単にホームページやブログが作れるので選んだのだが、Yahoo!ブログはいろいろいらん機能が多くて邪魔くさいし、無料版は広告が多くてうざいので、ブログはもうYahoo!ジオシティーズからはおさらばすることにしたい。

 ということで、当「ナマジのブログ」はグーグル系の「blogger」というブログサービスに引っ越しします。URLはhttp://namazerpenn.blogspot.jp/です。
 「週末顛末記」ホームページからのリンクもこちらにはります。
 過去の「ジオログ」の保管は「週末顛末記」の「魚雑文」コーナーの下の方に<過去の「ナマジのブログ保管庫」>を設けて順次年ごとに保管していきます。
 6月8日まではジオログ版も閲覧可能です。
 http://outdoor.geocities.yahoo.co.jp/gl/namazerpenn

 古いのは削除されて無くなってしまってもいいという気もするのですが、割とユニークな情報も過去のブログにあるように自分では思っているので、親の欲目かもしれませんが残してあげたいと思うのです。自分で検索かけてて自分のサイトとかブログしかヒットしないということがたまにあり、かつ、知人から「マニアックな釣りネタ検索かけたら結局ナマジのサイトがヒットしたよ、何でも釣ってるね~。」とか言われたりもするので、そういう特殊な情報を求めて検索かけて閲覧してくれる人のために残しておいた方がいいのかなと思っています。

 引き続きよろしくお願いします。