2015年3月15日日曜日

我が家の産業革命


 金曜ロードショウでみた「かぐや姫の物語」、最近ファミリー向けっぽくて今一楽しめないことも多かったジブリ作品としては久しぶりにオレ的ヒットだったのだが、ネット上ではわりとさんざんな評価。評価が分かれるという感じか。
 鶏泥棒シーンの捕まえて倒してボコる身体のさばき方のケンカ慣れしてる感じとか、細かいところにまで気を配ってある良い作品だと思ったのだが、他人様の評価と自分の評価は違うものである。

 かぐや姫が幼いころをすごした、竹取の翁の住む里は、漆器などを作る木地師の集落で、その作業の様子とか道具とか、山を枯らさないように定期的に移動しながら暮らす知恵とか、なるほどなと楽しんだんだけど、特にろくろの回転運動を、縄を軸になる木に絡めて人力で得てるシーンが興味深かった。手で錐揉みする動作だと手のひらの20センチぐらい分しか同じ方向の回転は得られないんだけど、縄を使った場合、左右の腕の往復運動で軸の棒を回転させてやることになり、腕の長さ分の回転運動が得られるさまが見て取れた。

 焼き物のろくろでもよく分かるが、円をベースとした形状を持つお椀やら作るためには、回転運動で成形するのが手っ取り早く、木を削るためには木を回転させながら刃物やヤスリをあてていくという作業が理にかなっている。
 なんていうことに、ちょうどハンドドリルでロッドのコルクグリップを回転させて成形していたりとゴールデンウィーク用の竿を仕立てているところだったので目がいってしまったところ。
 
 最近ではインパクトドライバーと呼ぶらしい日曜大工用のハンドドリルだが、これがラインの巻き替えとかにも使えて非常に便利だということは、ルアー作るのとかも上手い名古屋のSさんにずいぶん前に教えてもらっていたのだけれど、ライン巻き替え用の手動の道具は持っていたので、それほど電動化には魅力を感じていなかったのだが、使ってみると「産業革命」が大げさではないぐらいに作業が捗る。
 回転運動を刃物やヤスリに与えて、グリップのコルクに穴を開けたりブランクスの切断面を研磨したりという、ドリル本来の使い方でも、それまで手動でヤスリの棒を使って夜なべ仕事で1日数個づつとか何日もかけてコルクを加工していたのが、小一時間もあれば終わってしまう圧倒的な能力。加えて、回転運動をうまくアタッチメント的なモノを介して削ったりする方の素材自体を回してやるとこれまた便利で、コルクの成形、インロー継ぎの芯用のカーボンブランクスの研磨、ブランクスにスレッドを素早く巻く、なんてのにも使えて、我が家の完全人力家内制手工業が家内制電動ドリル工業に移行した感じがする。
 年明けに始めて、GWまで時間をかけてボチボチと楽しもうと思っていたライギョロッドの「魔改造」作業がほぼ終了してしまった。詳しくはサイトの方の「工夫」にUPしているのでドリルの活躍ぶりをご覧いただきたい。

 回転を得るために縄とか使うのは、竹取物語の時代である千年前よりも昔、おそらく人が道具を使い始めた初期からあったはずで、神事に使う火を得るために今でも使われている、縄で「弾み車」のような重りのついた堅い心棒を柔らかい木の上で左右に高速回転させて、摩擦熱で火を付ける道具とかは縄文時代には既にあったと聞く。
 
 その後、どこかの天才が、川の流れを利用して軸を回してやると、人が回さなくても勝手に回るうえに「水車」の大きさしだいで、人間ではとても出せない大きな力が得られることに気付いた。
 水の落下エネルギーの利用であり、ダムの水力発電のご先祖といえるだろう「水車」の登場である。その回転でデッカイ石臼を回してソバなど穀物を製粉したり、回転運動を杵の上下運動に変換して脱穀したりと人力でも畜力でもない力を人が得ることで、農作業などかなり捗ったことが想像に難くない。穀物の製粉なんていうのはヨーロッパだかの農奴の骨を解析したら前屈みで石臼使い続けたせいで著しく腰の脊椎骨がすり減っていたっていうぐらいのキツい労働である。
 風車もオランダの干拓地で水をくみ上げているイメージが強いが、英語では「ウインドミル」でミルはコーヒーミルのミルで「粉ひき」であり、最初は水車の風力版として生まれたのだと想像する。粉引いたり水引いたりして、これまた自然の力を利用して農作業を捗らせていたのだろうと思う。
 水車、風車の生まれた時代には、まだ木や石がそれらを作る主な材料だったはずだけど、それでも石臼やら杵やら、水くみやらにそれ用のアタッチメントに交換することで様々な用途に対応する様は今私が手にするハンドドリルと同様の便利さを感じるし、回転する主軸に少しづつ滑らせながらそれらアタッチメントを接続させる方法など、車のクラッチとまったく同じ原理で、初めて水車の内部の機構について知ったのは農業機械学の講義だったかなんだったか忘れたが、連綿と続いていく人の技術に感動を覚えた記憶がある。
 
 ただ、水の流れも、風力もどこでも使えるわけではない。本家の産業革命も今ググったら最初は水力で紡績機械とか動かしていたので川沿いしか工場が作れなかったとか出てきて逆に「水力で紡績工場うごかしてたのかよ!」と驚いたところだが、どこかの天才ではなく、仕事率(今では消費電力量の意味で使われることが多い)の単位に名を残すワットさんが1785年に蒸気のエネルギーを回転運動に換える「蒸気機関」を発明して、燃料と水を運び込めばどこでも工場が作れるようになっていく。ついでに燃料の輸送手段も蒸気機関車で解決。ワットさん後世に名を残すに相応しい業績である。

 現在の発電のメインである火力発電も忌まわしい原子力発電も蒸気やガスでタービン回しているので蒸気機関の末裔と考えることもできる。
 電気の利用っていうのが、これまた人間に与えたインパクトを考えてみるとすざまじいモノで、電気自体は雷や静電気のような自然現象や生物なら神経パルスからデンキウナギまでありふれたモノだけど、これが電池や蓄電も便利だけど、「送電」によりエネルギーを遠隔地まで電線程度のインフラで送れてしまうというのは、今の生活がコンセント無しには成り行かないのをみれば多くを語る必要もないだろう。エネルギーを電力で流通させてしまえば後は熱だろうと光だろうと回転だろうと欲しい形で引き出せるというのが、経済における「お金」にも似た便利さ。

 もいっちょ、回転の動力関係で忘れてはならないのがいわゆる「エンジン」である内燃機関で、最近はバッテリーの改良が進んで電気自動車も出始めているが、それでも送電線による電力の供給を受けるわけにはいかない移動手段である車、船、飛行機などには、通常、燃料の爆発を利用する「エンジン」が積まれていて、ジェットエンジン、ロケットエンジンを除くと、爆発の力で生じる往復運動をクランク介して回転運動に換えて(ロータリーエンジンなんてのもある)車輪やプロペラ回したりしている。
 この燃料焚いて動く動力源であるエンジンと磁石の間でコイルを回転させると電気ができる発電機(逆に電気を流すと回転するモーターになる)を合体させた発動発電機、いわゆる「ハツハツ」というのがあるのだが、夜店の屋台の後ろでブンブン回ってたり、送電線が来ていないアウトドアのイベントで使われるイメージがあると思うが、何というか、エンジンとモーターどっちも持ってて、ちっちゃな発電所みたいで可愛らしく感じるのは、道具フェチに過ぎるだろうか。使う予定もないけどたまにネットでカタログ眺めてしまったりする。

 発電機無しの発動機という車などに搭載されていない単純なエンジンだけに近い構造の機械もあって、これが途上国の援助に持っていくと、とても役立つと聞いたことがある。
 だいぶ昔に聞いた話なので今はそうでもないのかもしれないが、電力とかの基盤整備がしっかりしていないところに、いきなり高度な機械を持っていって取り付けてやっても、メンテで特殊なパーツが必要とかになるとすぐに使えなくなり、解体して金屑屋に売られるのが関の山だとか何とか。
 その点、発動機はまさに教科書に載ってるようなエンジンの基本の構造で、燃料もパーツも手に入りやすい。車や船のエンジンのパーツと共通する部分も多いはずである。なにせ日本ではホンダとかヤマハとかからもでている。そういうメンテがしやすい機械は、修理して長く使えるという面に加え、現地の人が機械について学んで技術が身につくので、一過性の援助ではなく地に足着いた援助になるんだとか。回転する動力が手に入るだけで、もちろん水車、風車がやってたような農業に関する作業は捗るだろうし、井戸のポンプだって動かせる、船に積んだら網揚げに使えるだろうし、船を陸揚げするウインチにも使えるだろう、アイデアしだいでいろいろできる。飢えた人に魚をあげるより、魚の獲り方を教えろということか。
 途上国の道具フェチな兄ちゃんが、ハンドドリルを手にした私以上に「回転、メッチャ便利やん!なんでも仕事が捗るデこりゃ!!」と驚喜する様が目に浮かぶようである。

 これまで、ヤスリでシャコシャコとコルクを削るという、黒曜石で鹿の角削って釣り針作ってた縄文人並みだった男が、いきなり電気で回転するという、蒸気機関も内燃機関もすっ飛ばした文明の利器を手に入れた感動を伝えたくて、回転する動力の歴史を紐解いてみたところである。

 「いつもより多く回しております」と海老一染之介・染太郎のまわす傘の映像が、なぜか脳内スクリーンに映し出されている。

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