2015年4月11日土曜日

脳内スクリーンの仕様について

 クリント・イーストウッド扮するアメリカ側のスパイがソ連の軍事基地に潜り込み、最高機密の戦闘機「ファイヤーフォックス」を盗み出すためにコックピットに乗り込む。
 バチバチと各種スイッチを入れていき発進シークエンスを進めるがどうしても機動しない、この戦闘機最大の革新的技術である「思考入力」が上手く作動しない。
 ハラハラさせられまくるが、「ロシア語で考えろ!」と思い出し、間一髪で基地から脱出、追撃する二号機とのドッグファイトを制して、めでたしめでたしという映画を「金ロー」で観て、「ソ連の人はロシア語でモノ考えるンやな、ということは当然アメリカ人は英語で考てるんやな」と当たり前のことを初めて意識したナマジ少年であった。
 「アメリカ人はスゲーよな、ちっちゃな子供でも英語しゃべっている」という感心と同程度の間抜けな話であるが、自分がモノを考えるときに日本語で頭の中でしゃべるようにして考えているというのを初めて認識した瞬間でもあった。

 「思考入力」は手で操縦桿を操作しているより速く機械に指示ができるという設定だったと思うが、80年代にSFの技術として描かれていたこの技術は、かなり実現が近づいているように思う。脳の活動電位やそれにより発生する血流変化の情報を読み取って、脳内に浮かんだ言葉など思考情報やら図や文字といったイメージ情報も読み取ることに成功したというという実験報告を目にした記憶があり、いよいよファイヤーフォックス(当然ウェブブラウザじゃなくて作中の戦闘機の方)が実現するのかもしれない。

 入力速度を速くしたいと思う場面は、我々サラリーマンだとワープロ打ったり資料作成したりという作業で、これが今もこの文章打つためにキーボード打っているが「思考入力」で考えるスピードで行えたらかなり仕事が捗る。
 でも、ワープロ打ちぐらいなら実はかなり考えるスピードに近い速度で入力する方法が既に存在するらしい。
 音声入力である。今時のスマホについている音声入力機能とか、かなり優秀らしく、読み上げてチョイチョイと漢字変換の間違いをなおせばほぼ使えるレベルまで来ているようだ。いまのところ入力しづらいスマホのタッチパネルを補うための音声入力だが、もう少し進化すればキーボード入力より速い手段としてパソコンでも使われることになるかもしれないし、通訳ソフトの改良と併せて同時通訳可能のドラえもんの「翻訳こんにゃく」が実現するのも遠くないようにも思う。

 音声入力はなかなかに優れものになっているようだが、それでも漢字の間違い直しやら改行やらはキーボードで指示する必要はあり、また概要図やイメージ画を描くような場合は音声言語ではどうにもならないので、直接「思考入力」というのにはやっぱり魅力を感じる。もちろん仕事中に感じる「腹減った」とか「何で俺がこんな仕事せないかんのや」とかの愚痴が作った文章に散りばめられるおそれがあるし、イメージなんてのは案外グチャッとしていて出力したら、端の方にエッチな画像とかがあって、その内容が特殊な性癖を反映していたりしたらちょっといたたまれない状況が生じそうで恐ろしくもある。もちろん人の頭の中を覗ける技術と直結するので、そのあたりの思考のプライバシー的なものの危機というSF的な恐怖も存在する。まあ、でもイヤでもそういう技術と向きあわなければならなくなるんだろうなという気がしてきている。

 という技術の前提として、思考が音声言語でなされている。つまりモノを考えるときには頭の中で話をするように言葉をつかっている。というのがあるのだが、どうもこれが全ての人に共通かというとそうでもなさそうなのである。

 私は基本的に、音声言語で話すようにして考えている。今もこの文章を打つために頭の中では言葉が響いている。加えて若干のイメージ映像が脳内スクリーンに投影されるところもあり、そのイメージは正確な形を持ったものではなくややフワフワとした大まかなイメージとなっていることが多い。
 ということで言語をもとに思考し、おそらく記憶も言語を元に憶えているのでだと思うが、単純な数字、年号だとか数量だとかについては極めて記憶力が悪い。言語として意味のある塊として物事を憶えることは得意で、加えて、最近衰えを隠せないが若い頃は生物関係など興味のある事項は言語情報でなくても一度目にしたら忘れなかったが、そうではない数字、固有名詞についてもの凄く物覚えが悪い。端的な例を示すと私は2桁の足し算が紙に書かないとできない。記憶の話に計算の話を持ってきて、こいつはアホかと思うかもしれないが気にせず読み進めて欲しい。
 例えば26+48という計算を暗算でしようとすると、まず1桁の6と8を足して14で1繰り上がってと計算したところで、2桁目と足そうとするが既に2も4も忘れている。そろばんを習っていたときに、暗算でも頭の中にそろばんの珠をイメージして計算せよと教えられたが、そろばんのイメージを脳内スクリーンに正確に表示させ続ける記憶力がなかった。4桁とか計算していて終わるころに1桁目の珠がどうなってるかなんて端の方で既にほぼ消えていて憶えていられるわけがないと感じていた。短期の記憶力が悪すぎる。でも興味ある生物関係の知識とかについては良く憶えていると自分でも思うし、視覚的情報に限らずボヤッとしたイメージの状態でかき混ぜて、だいたいのイメージが固まると、わりとすんなり言語化できたりするので単純に記憶力とかが悪いということではなく得手不得手があるという感じである。

 自分の頭が極端に不得手なことと、得意なことがあるので、割と人によって頭の中の思考処理の方法が違うということは私には理解しやすかったが、フォックスファイヤーの次に人が自分と違う思考方法をとっていることがあると思い知ったのが、中学の国語の先生で、この先生の思考方法はショッキングなものだった。本読みの楽しさやらいろいろ教えてくれたとても素敵なオバちゃん先生で、あるとき私の漢字テストの書き取りの点数があまりに悪いのをみて、「読むのはできているから本は読めるでしょうけど、漢字知らないと頭の中でものを考えるときに困るでしょ?」と言われて、一瞬なんのことを言っているのか分からなかったが、この先生は考えるときに音声言語じゃなくて、漢字かな交じりの文章を脳内に思い浮かべているんだと理解して、「流石国語教師!」と感心したのを今でも憶えている。「ボクは考えるときは頭の中でしゃべっています。」と説明したら、先生も人それぞれ頭の中は違うんだなと面白そうに感心されていた。そういうのを面白がれるところのセンスとか、本買って読み切れずに「積ん読」になっていることの楽しみと幸せなんてのを教えてくれたこととか、とても好きな先生だった。鬼籍に入られているが今でも先生の教えは私の脳内に生きています。

 もう一事例、音声言語で思考していない人の例を出すと、職場の先輩で、この人はメチャクチャ判断が速くて、案件報告したら次の瞬間、担当部署との相談のために席を立って歩き始めているようなフットワーク軽い人なんだが、この人は聞くと、思考はほとんどイメージ先行で音声言語化するのは後付けのようである。イメージ処理なので判断スピードは速い。でも、言葉そのものを記憶するのは得意じゃないと本人言ってた。イメージと関連づけて物事は憶えていて、地図とかも得意で頭の中でそれらをグルグル回したりもできるようだ。これができないので私は現物の地図を開いて確認できない状態では道に迷う。
 さらに極端になるとイメージを映像そのものとして正確に憶える能力をもつ者もいて、「裸の大将」なんかは漢字読めなかったけど、風景丸ごと憶えていて看板の漢字も正確に作品上で再現していたとか聞く。
 直感映像記憶能力者というらしいが、実はうちの姉がこれで、例えばトランプの神経衰弱で一度めくったカードを全て憶えていた。なんで憶えていられるのかと聞いても「なんで憶えてられへんのかわからん?」というお答えで、なかなか人様の頭の中というのは理解しにくいものだとも思った。

 というように、脳内スクリーンにどういうものが映し出されて、頭の中でどう思考しているかなんてのは意外に個人差があって、思想信条とかの前段階の思考方法なんてところから人は結構違いがあるのだというのを知っておくのは大事かなと思うところである。
 方法すら違うのに、その結果の思想だのが皆同じになるわけがない。と「普通」とか「常識」とかを押しつけてくる多数派にももうチョット認識して欲しいところである。

 なんて、説教臭い話よりも、単純に人の頭の中って自分と違っていて面白いと思う。

 

 

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