2017年9月24日日曜日

異土のかたい

 近所ポイントのとある橋の下の住民が亡くなられたらしい。ご冥福をお祈りする。

 先日、ハゼ釣ってて常連のオッチャンと最近見かけないけどどうしたんだろうねと話していたら、次行ったときに、お布団セットやら生活用具一式が消えていて、行政による「撤去して一定期間預かっている」という貼り紙がペタペタと貼ってあり、焼香できるように線香立てが設置されていた。
 いつも一緒に寝てたネコが所在なげに顔を洗っていた。ご主人居なくなって寂しかろうと撫でてやろうとしたら逃げられた。都会の猫はけっこうクール。寂しくっても人に弱みは見せない。

 特に親しくしてたわけではないけど、挨拶ぐらいはする仲だったし「昨日その橋桁でスズキ釣れてたよ」とか情報もらったりもしてた。都会って物騒で人通りの少ない河原とか自転車駐めておくと盗まれるんだけど、一回盗まれてからは住民の寝てるそばに駐めるようにしてた。
 という感じで割とお世話になってた気がするので、線香の一本ぐらい上げさせてもらってもバチ当たらんな、と思ったら置いてあったライターガス欠だった。結構みんなお線香上げてたみたいだ。火が着いたつもりでエア焼香して手を合わせておいた。

 まあ、安らかに眠られてるんだろうと思う。橋の下のコンクリの上に簀の子敷いてその上に布団を敷いて寝るという、アウトドアというかノーガードな生活の仕方をしていた方で。普通ホームレスの人ってブルーシートとかで個室作って一応家っぽくするもんだけど、この人は生活全公開的な暮らしをしていた。
 冬とか「寒くないんですか?」と当たり前の阿呆な質問したら「寒いよ、猫と布団の中でお互いが湯たんぽ代わりだよ」と、厳しい中にも支え合う愛ある生活のようだった。
 水槽で季節の小魚を飼ってたりしてたのも風流だったし、「デキハゼ来たな」とか「今ハクのサイズはこんなもんか」とか参考にもさせてもらってた。
 楽な生活には見えなかったけど、くっだらねえ世間とは縁を切って、川の流れをそばに風をいつも直接体に感じながら生きていくのは、それはそれですてきに自由な生き方に見えて、正直羨ましくもあった。

 
 河原乞食って言葉があるぐらいで、昔っから大雨が降ったら水没するようなうち捨てられた土地には、世を捨てた人間やら社会からつまはじきにされた人間やらが住み着くので、釣り人は一般の人よりはそういった人と出会う機会は多いだろう。
 まあ見慣れてない人からすれば、身なりもボロいことが多いし、何考えてるのか理解もしにくく恐怖を感じるかも知れないけど、慣れてしまえば別にどうってことはない。
 河原乞食的なホームレスの人が社会的弱者で可哀想な人たちで、話してみれはいい人ばかりだなんてことは全く思ってない。仲良く会話できるような優しい人もいれば、中には人ぶっ殺して逃げてきてるような危ないヤツも混ざっているのかも知れない。
 でもそれは、都会じゃ隣近所の住人でも電車の中でも同じで、人間には良いやつもいれば悪いやつもいるってだけの話で、近距離で接触する機会がイヤでも多い電車の中で隣り合った人間の方が、たまにしか遭遇しないホームレスの人より間違いなく危害を加えられる可能性は高い。
 実際、私はホームレスの人にいままで危害を加えられたことはないけど、満員電車の中でいきなり殴られたことは2度ある。満員電車って隣に今から無差別で人刺しまくってやろうとしているヤツがいても逃げようがなく、正直正気の沙汰じゃないと感じている。知らない人間と相対するときは拳が届かない距離を取りたいと思うのは生物として当たり前の防衛本能だと思うのだが。
 とはいえ、ホームレスの人に危害を加えられることがないとも限らないので、不必要に怖がる必要はないと思うけど常識的な警戒はしておくべきだと思っている。
 基本は釣り場で会ったらとりあえず挨拶しとけ、だと思う。挨拶して黙殺してくれるならそれはそれで良し、世間話ぐらいしてくれて釣り情報引っ張り出せたらなお良し、あからさまに嫌がっているようなそぶりが見えたら、相手の体格とか地の利とか色々勘案して「いざとなったらヤれる!」と判断して釣りを続行するか、危うきに近づかずで距離を取るか判断する。いうても河原は広いので普通距離は取れる。
 まあ、普段の社会生活と基本一緒でしょ、まずは友好的に出て様子をみて、気があったら仲良くもするし、敵対的な相手なら打ち負かせる相手か逃げるべき相手かとか判断していくってだけのこと。


 だと私は思ってるんだけど、世の中にはホームレスとか大っ嫌いな社会正義の戦士様(SJW)がいらっしゃって、曰く、
 「公園でも河川敷でも不法占拠している違法なヤツらを許すな」
 「追い出されても行くところがないって、公的な避難所とか支援もあるだろう」
 「働け!」
 だそうな、おっしゃってることは正論でまさに「正義」なんだろうけど、オレの大っ嫌いな虫酸の走る「正義」の香りがプンプンと漂ってくる。

 違法とかいってルールをかさにきて、静かに住んでる人を追い出す必要なんて別にないことも多いんじゃなかろうか。確かに公園がブルーシートの家だらけで公園として一般の人が使えなくなったとかの場合、みんなが利用するという本来の公園の目的を逸脱して、特定の者が占有していることになり、行政による撤去もやむなしかなと思わなくもない。追い出されるホームレスの人が「これまで何年も住んできて黙認されてきたのに、いまさら酷いじゃないか」と嘆いている映像を目にしたことがあるけど、ようするに、あちこちの公園でホームレスの人を排除し始め、残った公園にホームレスがあふれて、黙認しきれない問題として表面化するようになってしまったのだろう。今時の公園のベンチにはことごとく横になれないように手すりとかが付いていて、公園からはホームレスの人をつまみ出そうとしている意識が目に見えて気分が悪くなるしろものだ。
 法とかルールって、それが金科玉条のようにそういうルールだからルールを破るのは悪だと、SJW様は断罪するのかも知れない。
 でも本来は法もルールも守るべき利益とか権利とかがあって、それを守るための不完全な道具でしかない。だから、ルールは、あまり利益などを害さない範囲で黙認する、とかある程度の融通が利くべきなのである。ルールなんだからそれに反したら罪だというのは建て前としてはそうなんだろうけど、そこで思考停止して杓子定規な運用になってしまっては非効率だし現実的でもない。
 道路脇などでの立ちしょんべんは軽犯罪法違反だけど、そんなモンをいちいち全部捜査してつかまえて裁判かけてたらキリがないって話だ。だからやって良いなんていうつもりはないにしてもだ。
 公園のホームレスも、茂みの奥にずっと1人住んでるとか、他の公園利用者が特に気にもせずに見過ごしてしまうような実態なら黙認されてきたことも多かったのだろう。人がいて人の目があるというのは防犯上の利点も確実にあったはずで、見逃されてきた背景には不利益ばかりでもなかったという事情もあったはずだ。時代劇で川に土左衛門が浮いたときに岡っ引きが河原乞食に聞き取りを行うなんてのは定番の話の展開だ。
 それが、景気が悪くなったときに職にあぶれた人が増えてブルーシート村が出来るような盛況になると、声のでかい馬鹿であるSJW様に目をつけられてしまうようになり、住むところをどんどん奪われていってその流れが今も続いている現状なんだろう。いやな「監視→通報」社会が現出しつつもある状況を表していると思えてきて薄ら寒くなる。
 公園が排除的になると比較的普通の人が利用しない河川敷にブルーシート村が増えることになる。河川敷の本来の目的なんて増水時に水が流れることだ。今時都会の河川敷は親水施設や運動公園になってることもあるけど、基本水が流れることを前提にした草むらだ。
 河川敷のブルーシートの家とかに、河川管理者から「河川水の流下に問題が生じ得るので占有許可の無いこの設備は撤去するように」と貼り紙が貼られていることもある。
 ブルーシートの家なんて、心配しなくても増水したら流れてなんの邪魔にもならないって。確かに不法占拠かも知れないけど、アンタに不利益があるわけじゃなし放っといてやれよといいたい。

 あんまり河原乞食を虐めてくれるなと思う。  

 規則だなんだかんだいってご託を並べるSJW様って、結局、ホームレスの見た目とかが不気味で気に入らなくて理解も出来なくて、町中とかにいるのをみたくないという、差別的で了見が狭く、困ってる人の気持ちとか鎖につながれない自由を愛する心とかを想像もしたことないような、あるいは想像できないような単純な正義しか頭に無い方々で、そういう想像力の欠如した人間だから、お気楽に下手すれば人の生き死にに関わるようなことを、快適な家に住みながら自分だけの正義に酔いつつ気持ちよく主張できるのだろう。
 駅前地下街の通路にホームレスの人寝ているのが景観を損なうとか言っちゃって、寝っ転がれないように石をボコボコと埋めた通路脇って、オレから見たらよっぽど醜悪な景観だと思うんだけどね。人の人に対する非寛容な悪意が通路の端に延々とずぅーっとボコボコと続いている。

 まあ、その程度の想像力というか、へたすると想像すらしない方々だから、公的な避難施設や自立支援制度を血税突っ込んでつくったんだから立ち退かせても文句言わせるなぐらいのことは、平気で仰られる。そんな制度がすべからく行き渡り、きめ細かく問題なく運用されていたら、世の中にこんなにホームレスの人いないって。
 自立支援受けて再就職できたらそれに越したことはない、でも実際には成功率一割とかだそうで、一旦就職してもすぐ離職してまた避難施設と自立支援という堂々巡りだったり、そもそも病気で働けず生活保護を受けるべきだという整理になる人もいるようだ。
 公的な支援制度をなるべく好意的にとらえたとしてもそんなに上手くいくもんじゃなさそうで、それがあるから今住んでいる場所を引っぺがしても問題はない、なんてとてもいえないと思う。
 さらにいえば、ホームレスの人には役所なんて全く拒否感しかなくて、身分証明だの書類だのうるさいこといわれてまで、職業訓練したり知らんヤツらと共同生活したりっていうのが全く出来ない精神構造の人もいるだろう。まあ、社会不適合っていわれればそれまでかもしれないけど、それが罪なのか?と問いたい。べつにそれで人様に実質迷惑かけずにホームレスしてたってかまわないじゃないかと思う。アンタに直接泥でも飛んでこない限りは黙っておいてやってくれないかと思う。
 自分の正義が正しくて、他人も同じように当然考えるべきだろう「なぜなら自分は正しいから」とお気楽に思っているSJW様には、面倒くせえ仕事なんかしたくねえ、最低限の雨風しのいで毎日縛られずに生きて行ければそれでいい、不法占拠?誰も使ってねえ土地使って何が問題なんだ?ぐらいに思って生きていく人や、今の社会制度やら「常識」にどうしてもついていけない精神構造の人やら病気の人やら個人個人いろんな理由でホームレスっていう生き方に行き着いている人がいるだろうことは理解できないんだろう。単にそいつの怠惰や犯罪行為がまねいてホームレスになってる場合もあれば、どうしようもなく今の社会や制度ではそうでもしなければ生きていけなくてホームレスになっている場合もあるだろうに。

 「働け!」にいたっては、それができりゃあホームレスになってないよって話。自立支援の制度は、制度ができたことによって抜け出したいのに手段が無かった人には救いの手となっただろうと思う。でも、働きたくない人間や働きたくても働けない人にとっては、前者には大きなお世話だし、後者にとっては画に描いた餅だろう。

 勤労は国民の義務かもしれんけど、働きたくないという思想の自由も許されてしかるべきではないだろうか。面倒くせえ社会の荒波に漕ぎだしていって苦労するのなんて、実際にやってる私がしがらみすべて断ち切って逃げ出したいと常々思ってるくらいで、そんなに珍しい考え方だとも思わない。
 でも働きたくないと思ってしまう人間を想定すると、働けるだけの健康な体を持った人間なら自立支援は受けられても、生活保護は普通受給できないはず。「働いたら負け」と考えるなら自立支援はそもそもケッてぐらいで受けないだろうし、働けそうにみえたら生活保護は受けられないだろう。「働きたくない」人がその思想信条に基づき生きる限り公的支援は受けられない。あたりまえだ「健康なくせに働く気もない」ような輩を行政が支援するシステムなんてあり得ない。あったら是非お世話になりたい。だから、そういう人は有り余る資産でもない限り、自前でホームレスとして生きていく術を得てゴミ箱あさって食べ物得るなりして生活していくしかないだろう。働かないので貧乏は生きるか死ぬかの領域に突入する。そんなときに河川敷に住むのが違法かどうかとか気にしてられるかっての。誰にとってもどうでもいい話のはずの河川の不法占拠と働きたくないという社会とある程度距離をとりたいホームレスの思想信条とどちらを優先させるかといえば、異論はあるかも知れないが私はホームレスの信条を優先したほうが実害被る人がいないだけ望ましいと思う。不利益被ってるわけでもなければ放っておけといいたい。

 後者の働きたくても働けない人だって、たまたまご立派なご職業に就いておられるSJWな方には関係ないことなので想像できないかも知れないけど普通にいるのである。
 病気とかはさすがに想像つくだろうか。その場合は働けないけど日本は社会福祉制度が割と充実しているので、生活保護とかが受けられる。体制側の施しなど受けたくないとかの主義がないのなら利用すれば、めんどくせえ手続きやら報告、監視とかはあるだろうけど経済的には助かる。でもそういうのが嫌いでホームレスやってる人がいて、その人が「自活」してくれているなら、その分で別の困っている人が生活保護受けられて社会的にも意義がある。
 でも病気じゃなくて、健康で働く意欲があっても、働けないぐらいの状況が今の日本にはある。景気も割と良いらしく、将来的にはまた不景気もくるかもだけど、働き口自体は少なくない。復興で景気のいい東北とか求人かけても人が集まりにくい状況もあるそうな。
 でも、その働き口が働いても貧困から抜け出せないような低賃金とか過労死当たり前の黒い職場とかだとしたら、仕事を探す側からみて就職先が沢山あると感じられるだろうか?「仕事なんてえり好みしなければいくらでもある」という言葉は間違いじゃないけど、働いても働いても我が暮らしが楽にならざるのなら「働いたら負け」と思ってしまうのもまた当然だろうと思う。働きたかったのに働きたくなくなってしまう現実だってあると思う。
 とある健康な男性が、仕事をする意欲はあるけど就職できなくて経済的に困ってしまい生活保護を申請したところ「健康なら働いてください」と却下され、このままでは死んでしまうと思い、いろいろあったんだろうけど審査が不当だとして役所相手に裁判で闘うことにした。
 結果はなんと「勝訴」。経緯だけでみるとイチャモンつけたもん勝ちのように見えるかも知れないが、弁護側の突きつけた証拠によると、この男性は数十回に渡って面接を受けるなど十分に働く意欲を持って就職活動を行っており、にもかかわらず採用にはいたらず生活に困窮している。自助努力は限界であり生活保護の対象とすべきであるという裁判官の判決。なるほどなという感じ。
 この事例で見えてくるのは、今の日本では働きたいけど働けないっていうのは言い訳じゃなくあり得る話だということと、役所仕事は杓子定規だし限界もあってきめ細やかな対応なんてあんまり期待できないってことだと思う。

 SJWの皆様がお働きになっている大企業さまとか、安定した雇用が約束された職場にいれば、ちょっと景気も良いとか聞くし就職先がないなんてわがまま言ってるようにしか聞こえないかもだけど、そういう職に就けなかった新卒就活失敗組、会社倒産・リストラ失業組などには厳しい現実があり、就業形態において安定雇用階級とそうじゃないあぶれた階級に分かれてしまっているかのような状況だと感じる。そういう状況が生じてきたのが最近の話なので、安定雇用階級にはその外でどれだけ苦しい状況が生じていても想像すらできておらず正しく認識できていないように思う。
 新卒で安定した雇用先に潜り込めなければ、特殊な技能も持たない普通の人間は、普通の事務一般とか接客一般とか単純軽作業の仕事ぐらいでしか働く能力はない。肉体労働だって頑健な体という資本がいるので普通持ってない。バカにしているわけじゃなくて自分を具体例に考えるとそうなんである。ちなみに私は接客業も無理。
 そうなってくると、そういうパートでも良いような仕事しかないので、高給取りは無理な相談になってくる。雇用形態も安定しない非正規雇用が多いだろう。その上そういう仕事は外国からの「研修生」とかと競わねばならない職種もあり、まともに生活できるような良い仕事というのは実は少なくて「働きたくても仕事がない」は、たしかに職を選ばなければ仕事がないわけじゃないけど、贅沢でもないだろう普通の条件で絞っただけで案外事実になってしまうように感じている。
 就職活動失敗続きでいやになって、裁判起こして生活保護受けるのも勝てる保証もなく、贅沢いわずにすぐ雇ってもらえる仕事に就いてみたら真っ黒で、こんな苦労して奴隷みたいに働くぐらいなら、ホームレスしてたほうがなんぼかましと思ってしまっても何の不思議もないように思う。オレがそうなったら十中八九そう考える。

 「役所仕事の限界」については「だから役所はダメなんだだ、もっと個々の事情に応じてきめ細やかに丁寧に対応しろ!」とか主張する気は全くない。そういう言うだけだったら誰でも簡単なクソみたいなお説教はSJW様のお仕事だろうから私が奪うつもりはない。
 役所は杓子定規で良い。だって担当者によって対応違うとか出たら不公平だし、客観的に外に説明できるような明確な基準を設けて、それに合致するかどうかを粛々と機械的に審査していけばいい。後ろに人も並んでるだろうし早くしろって話だと思う。時間と予算に余裕があるなら、個々の事情を聞いてやって、基準の中の裁量で最良の方法を検討してあげるのが親切というものだろうが、予算も人も限られてるのに自ずと限界というものがあるだろう。
 例えば事例のような件で、司法試験通った弁護人や裁判官が証拠集めて弁論聞いて時間をかけて出したような判断を窓口の担当者一人でできるわけがない。あんまり無茶振りしてやるなと。
 実際には基準を設けて、その上で可能な範囲で個々の事情も聞いて、なるべく困ってる人に受給させて、困ってないのに不正に受給しようとしている奴をはじこうとしているんだと思う。でも窓口の事務員にできる範囲は限られてて、書類で証明できるような困窮具合しか確実にはみることはできないだろうし、悪意ある虚偽の申請をいちいち探偵のように裏をとっていくわけにもいかないだろう。多くを助けようとすれば嘘つき野郎にまで金を撒くことになるだろうし、嘘つき野郎に金がいかないように厳しく絞れば本当に困っているけどそれを証明できない人が受給できない。そのあたりの限界はどうしてもあるだろうし、実際には金が無ければ基準を厳しくするか一人当たりの配分を減らすしかなく、予算というきわめて下世話な限界を決定する要素が大きくのしかかってくる。
 役所が支援する制度があるんだから、不法占拠している住処から追い出しても問題ないなんて、全く現実見てないタワゴトでしかない。


 今回、ホームレスの人の擁護を買って出たのは、誰でもホームレスになる可能性ぐらいあるんだし、ホームレスのような今の社会体制からはみ出した「まつろわぬ民」をつまはじきにするような非寛容な社会は生きにくいと思うからである。

 特に私にとってヒトゴトでなくなりつつある状況があって、今現在病気療養中で病気休暇とってるんだけど、いつまでも休めるわきゃなくて良くならなければ当然期限が来て退職となる。
 そんなに贅沢してきたわけじゃないので、それなりに貯蓄もあって10年や20年は食いつなげるはずだけど、20年たったらあてにしてた年金が受給年齢引き上げになりましたとか受給額減額になりましたとか、おもいっきり想定の範囲内のありそうな予想される事態で、お金を節約するならホームレスもありっちゃありだなと思うのである。
 なにをサラリーマンがホームレスの苦労も知らずにお気楽に、と思うかも知れないけど、オレってば実はガキの頃ボーイスカウトできっちり野外生活の基礎をたたき込まれてるから、ある程度お金があってテントとか寝袋とかの初期装備もある中で始めるホームレスぐらいわけないと思ってる。
 今時のボーイスカウトはたき火とか自然環境に悪影響があるとかでさせてもらえないとか、先輩としては嘆かわしい体たらくらしいけど、ワシらの時代はコールマンのツーバーナーとか格好いい道具達で武装したアウトドアマンを横目に、ナイフ一丁とマッチ3本で山ん中に放り出されても、飲んで食って寝て生還するだけの知識と技術を身につけさせられたものである。昔とった杵柄である。
 でも、道ばたでテント張ってたら通報されたり(経験あり)、良い場所見つけて定住しようとしたらつまみ出されたりするような社会では、私の楽しいホームレスな未来が実現できない。
 だから河原乞食ぐらい許してやれよと書くのである。

 今は景気の良い安定した職業に就けているSJWな輩どもは、もし今後日本がもっと経済調子悪くなって、デカい会社もつぶれてクビになり、年金なんて75歳からしか受け取れなくなって、生活保護も当然予算が少なく渋くなり、働こうにも経済界やら政治家やらは、また「研修生」みたいな移民とはいってない移民を雇い入れて年寄りには働き口もなく、住むところを失ったとしても、公園でも寝てはならぬし河原にも住んではならぬ。通路に座りこんでもならぬから死ぬまで歩き続けやがれ。
 その時になって、吐いた唾を飲んで泣いて許しをこうても、ブルーシート村には入れてやんねえから覚悟しておけと怒りを込めて書き記しておきたい。

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