2017年12月3日日曜日

狼は生きろ豚も生きろ

 今回ブログのお題を「ノルウェーの森の羊をめぐる暴論」とでもしようかと思ったんだけど、オレ正直村上春樹苦手っていうかケッって思ってるんだよネ。ということで不採用とした。非常に評価の高い作家なので何度か読んでみようと手に取るものの、ものの数ページで「こりゃオレにはむかん」と毎回断念している作家なので、一作品も読了してないので内容面で貶すことさえできないのに世間様が絶賛しているのを小耳に挟んだりすると、自分の感性が否定されたようなつまはじきにされたような気がして不安になってひねくれてしまうのである。村上春樹なんて読まんでも他におもろい作家いくらでもおるんじゃ。とか書くと「そうかも知れないね、だけどハルキを読んでないなんて大きな損失だとおもうよ(フフン)」とか上から目線でハルキストが鼻で笑っていそうでムカつく。
 ほっといてくれヤ、どうせ一生おれは夏目漱石とワンピースと村上春樹の良さを理解できずに死んでいくんヤ。

 などと、やさぐれつつ枕から脱線しているが、ぼちぼち本線にもどるとノルウェーの狼についての話である。
 ノルウェーには現在野生の狼が55頭前後いるらしい。お隣スウェーデンと行き来するような個体もいるのでもう少し実態としては多いのかも知れないが、いずれにせよノルウェーにおいては細々と生き残っている状態のようである。
 ところが、ノルウェー政府は今年そのうちの50匹近くを射殺して駆除する許可を出していて、環境保護団体が許可の差し止め求めて裁判起こしたりと世論を二分する大議論になっているようだ。
 駆除が必要とする根拠は、放牧する羊を襲われる農家の被害を軽減するためとのことで、どこの国でもそうだろうと想像に難くないけど、実際に被害を受けている農家にとっては死活問題で農業団体とかを支持基盤にしている政権与党は農家の意向をうけた政策に舵を切りがちで、一方理想論を掲げる環境保護団体としては看過できるわけもなく真っ向から反対。立場違えば見方も違うわけで世論も割れるという状態なんだろう。
 そういう議論の中で現実的な落としどころを模索していくというのが、とり得る唯一の方法だと思うし実際そうなっているんだろうと思うけど、環境意識とか高そうな北欧の国でも、やっぱり産業振興と環境保護の対立とかがあって、金のある産業側の声がデカくて狼が根絶やしにされそうな現実があることに正直驚いた。なんでもかんでも欧米は優れてて進んでるなんてことは幻想で、やっぱりどこの国でも同じような問題を抱えて同じように悩んでるんだなと実感した。
 ノルウェーの狼問題について自然環境破壊の先進国である日本に住む人間から助言をさせてもらえるなら、やっぱり狼もいた方が良いよと、ニホンオオカミ駆除して絶滅させた結果、鹿やら猪やらが増えて農林業被害がシャレにならない状況になっているよと教えてあげたい。
 どうせノルウェーで駆除しても餌のトナカイなり羊なりがいるのなら、狼に国境線なんて関係ないからスウェーデンから入ってくるだろうし、一時的にでもノルウェーの狼の個体数が極端に減って、トナカイとかが増えたらより多くの狼がやってきて、トナカイ減るまで狼が個体数増えて食った後、羊を襲い始めるかも知れない。生物の教科書に載ってるウサギの天敵の狐を駆除したら、ウサギ爆発的に増えたけど餌不足や病気の流行でその後激減したという典型例と似たようなことが起こるのは想像に難くない。
 畜舎や柵で囲った牧場でなら、狼を排除して羊の生産を閉鎖的に完結させて制御することも可能だろう。でも自然環境に放牧する限り天敵の狼なんていうのはいやでも共存せざるを得ない隣人で、食われる羊は税金みたいなモノでその分は織り込み済みで経営を成り立つようにしなければいけないように思う。
 その中で、どれくらい税として羊持っていかれて我慢するか、狼の個体数を減らしすぎたり絶滅させると、日本が被ってるような狼の餌となっている野生動物による産業などへの被害が生じることも考慮して、狼の駆除数を、難しいけど適切に決めていくというのが必要なんだろう。共生していくってのは野生生物に限らず今時の重要課題かと。
 今回目にした記事では、ノルウェーの狼の個体数の90%を射殺する許可が出たという書きぶりで、これだけ読むととても酷いことをしようとしているように読める。でも記事を読んでいくと農民がスウェーデンにも狼は沢山居るのでノルウェーにいる個体はすべて射殺すべきだ的なことを主張しているとも書かれていて、スウェーデンとあわせた個体群の中から間引く数として50匹は案外適正なのかもしれない。スウェーデンでは羊の放牧少ないので全く狼の個体数を減らそうとか考えないのでノルウェー側としては自国の権限で駆除できる分は最大限駆除したいとか、お国事情の違う隣国間での温度差とかいろいろあるのかも知れない、そのあたりは記事の限られた情報では読み切れないので、何が正しいのか私に判断できるものではないだろう。彼の国の人たちが自分たちのこととして様々な判断材料のもと、懸命に賢明に知恵を絞って、産業重視で自然からのしっぺ返しを食らわないように、逆に理想論に走って農家が首くくらなくて良いように落としどころを見つけることを願う。

 彼の国のことは彼の国の人に任せて、我が国のことを考えてみよう。
 昨今の「狩りガール」とか「ジビエ」とかのちょっと流行ってる感は軽薄な気もするけど、方向としては大いに賛成したい。
 自分たちでニホンオオカミ絶滅させちまっておいて、いざ鹿だのが増えたら「害獣駆除」で、殺してもゴミとして処分とか、罰当たりにもほどがある。
 ニホンオオカミの役割を若い世代の猟師が、命の尊厳とかそれを奪うことの葛藤とか興奮とかを感じながら果たしていこうというのは、覚悟があって良いことだと思う。たとえ流行で軽く始めたとしても、我々と同じように赤い血が流れ触れれば暖かい獣に向かって引き金を絞るとき、あるいは罠にかかった獲物に刃物でとどめをくれるとき、何かを感じ考えずにはいられないだろう。
 そういう若い猟師の心の内面や猟の楽しさを伝えて、流れを作った一要素となった作品として「ぼくは猟師になった」と「山賊ダイアリー」をあげてお薦めしておきたい。
 「ジビエ」に関しては、椎名誠先生がずいぶん昔に駆除した鹿が捨てられているのを知ってヨーロッパでは野生の獣肉などはジビエといって珍重されるし実際鹿もとても美味しいのにバカなことをしていると憤っていたが、やっと世間も追いついてきたように思う。

 でも実際には、野生動物を利用するって漁業見てれば分かるけど、大量に獲れるかよっぽど高価かとかじゃないと採算取れないのでいろいろと難しい。
 タダで増えてるモノを獲ってくるのになんで採算が取れないのか?と思うかも知れないが、獲ってくるのにも銃だの罠だの経費はかかるし、それ以上に食品として消費者に届けるためには加工と流通の経費がかかる。加工流通のための設備投資をすると、それを回収して利益を出すには相応に沢山処理するか売る単価をあげる必要が出てくる。食品衛生的な観点から獲ってきたのをそのまま売るというのは畜肉の場合あり得ず、食肉加工にはそれなりの知識や設備が必要となる。なので、公的な支援制度もできて持続的に「ジビエ」として利用していこうという取り組みが始まっているのだけど、畜肉として今時の高度に効率化された畜産業で生産される安い価格帯の鳥豚牛と同じ土俵で戦うのにはかなりの苦戦が予想される。国産の豚肉100グラム100円代とかいうスーパーの値段がいかに安いかというのは消費者の側からはなかなか想像しにくい。内澤旬子先生が「飼い喰い」で自ら豚を3頭飼育して食肉加工してもらって買い戻して売ったり食べたりということを試みているのだけど、その中で豚一頭の売値が2、3万円にしかならなかったことに愕然としていたのが印象に残っている。豚小屋も餌も手間もかかって半年仕事が10万円にもならないのである。生産業者も加工業者も流通業者も、豚が大量に生産され消費されるから量をこなすことで利益が出る構造を作り上げて、我々が200円を切るような値段で豚肉を食べられるのである。H28年の畜産統計をみると我が国で飼育されている豚は931万3千頭、1経営体あたりの飼育頭数は1928.2頭。千とか万とかの単位を相手にするから加工施設を作っても安い値段で豚が生産できるのである。畜産農家さんありがとうという気持ちだ。
 比較して「ジビエ」代表のシカの捕獲頭数。環境省の資料にあたると2000年に10万頭ぐらいだったのが、2014年には60万頭近くに増えている。さらに細かく見ると、有害鳥獣駆除だと思うけど狩猟以外による捕獲頭数というのがこの15年で激増していて、2000年には数万頭だったのが2014時点では40万頭になっている。この間狩猟による捕獲頭数も倍ぐらいには増えているけど、駆除による捕獲数が断然多い。
 農水省の「鳥獣被害の現状と対策(H29)」のなかで、駆除したうちの1割ぐらいが利用されているほかは廃棄処分となっている、という聞き取り調査の結果は、カワウとか他の鳥獣含めてなので、何十万頭もの鹿が廃棄処分されているとは思いたくない、思いたくないけど数字を見てると自家消費も限界あるだろうから、それでもかなりの頭数が捨てられているように思えてきて背筋が寒くなる。

 正直、資料にあたる前に、漠然としたイメージで狩猟で獲ってる鹿とか猪の数なんて大したことないから、廃棄処分している分を集めても量がないからコスト面でとても畜肉として消費者が受け入れられる値段まで下げられないだろうと思っていた。でも統計見てシカ60万頭とか国産豚と桁一つ下がる程度の差しかなく量があるので、これなら個々の猟師が獲っている数は少なくても、どっか自治体レベルでとりまとめて扱えば千やそこらの数にはできるはずで、それならちゃんと食肉加工して流通させて利用していかなければバカというか愚かというか、有り体にいって罪でさえあるように思う。
 日本人もアホばっかりではないようで、その辺ちゃんと安全安心に流通させるためのルールだとか仕組みは作られていることを今回ネットでお勉強して知ってちょっと安心した。
 猟師は狩りガールも奮闘していて増えてきている、加工流通させるための設備投資とか衛生管理者の育成はこれからかも知れないけど制度はできて「ジビエ」の資源量は当面農林業被害を心配する方が重要なぐらいには豊富。
 後は消費者が受け入れるかどうかである。狩猟で獲られている分、シカでいうならおよそ60万頭の内20万頭ぐらいは、もともとあった加工流通経路を使ったり自家消費なりで消費されていくだろうことは想像できる。大雑把に残りの40万頭をどう売りさばくのかという話になっているのだと思う。要するにいままで食べたこともない肉を一般のご家庭なり、外食先でなり食べてもらおうというのである。

 まずは値段がどうなるのかというのが気になる。数が少なければ逆に値段高くても高級品として珍重されて消費される分でいけるだろうけど40万頭である。「いつも鳥と豚食べてるけどたまにはシカでも食べてみるか?」となるには、値段面でまずそれほど差をつけられたくない。今の状況でどのくらいの値段かとネットで通販している鹿肉を見ると、安いとキロあたり2千円ぐらいのがある。現時点でも鹿肉それなりに値段は安い。たまたま昨日値引き札が貼ってあったラム肉を買って今夜はジンギスカンなのだが、このラム肉が値引き前で100グラム198円でやっぱり普段買う畜肉において、今の消費者が買うか買わないかのイムジン河が100グラム200円に流れていて、値札が1から始まるグラム百円台かどうかが勝負所のように思う。今夜のジンギスカンは、畜肉といったら普段グラム128円の豚コマかグラム98円の鶏モモぐらいしか買わない渋い主夫の財布の紐も、グラム200円でさらに値引き札が貼ってあれば「たまには別の肉も買ってみるか」と思うという好例である。ちなみに豚と鳥は国産を買うことにしている。
 加工流通の仕組みが整っていけば値段は何とかなりそうな雰囲気である。もっと安くできるかというと、そこは昔から効率化を進めまくってきた養豚業の限界を超えては安くはできないだろうと思うので、あとは、消費者が鹿肉について価値を受け入れてその値段で買ってくれるかというところだろう。

 「価値」として「味」としなかったのは、別に味以外にも「珍しい」とか「インスタ映えしそう」とかで買ってくれても良いからで、かつ、味以外のそういう話題性的な部分は「売り」になるだろうという目算。
 鹿肉って味はどうなの?っていうと、美味しいと書くのは簡単で正直な感想なんだけど、かなり説明が必要な「味」である。ぶっちゃけ今時の日本でもてはやされる「脂」っけのない肉なんである。またここでも私は脂脂とうるさいグルメどもやマスコミをバカにして罵らなければならないのである。
 何でもかんでも特上の和牛みたいに霜ふってりゃ良いってもんじゃないぞと、赤身には赤身の旨さがあるってもんだろと。
 鹿肉はあのシカのすらりと引き締まった体型から想像できるように、綺麗な赤身で脂がほとんど付かない。でもショウガ醤油で刺身でも美味しいし、煮込んでもいい出汁が出て美味しい。同居人の叔父さんが撃った鹿肉を何度ももらって堪能したものだが、獣肉なのに脂のくどさとは無縁の上質のタンパク質をかっ食らっている味わい。刺身が最高だけど肝炎ウイルスを持っている場合があるそうで、冷凍してても生食は肝炎の恐れの無い産地のを自己責任でということになってしまい残念。山賊ダイアリーではニンニク効かせてステーキで食ってたけどステーキは脂のくどくない赤身をガツンと食うにはたしかに良いかもしれない。お薦めは煮込みで、アラスカでエスキモーの人たちがカリブーを食べるのにタマネギとかジャガイモと一緒に塩茹でにしてたのが美味しそうで、同じように鹿肉で塩味ベースでハーブ効かせて煮込んでみたら実に美味しかったのでお薦め。
 ちなみに猪肉については今の日本人好みの脂の乗った肉なので何の問題もなく消費されると思うので私は鹿肉のことばかり心配しているのである。猪は雄で臭いのがいるらしいけど、ぼたん鍋食べたときに全然臭くもなんともなくて正直豚と違いが分からなくて「もっと獣臭いのが食いたい」と思ってしまったぐらいである。
 
 「味」なんて、よっぽど悪くない限りどうとでもなると思っている。それは料理の技術的に美味しく食べる方法が色々あるだろうという意味と、「味」なんてのは習慣と偏見の産物で確固たる絶対的なものなんてないんだから、上手く宣伝して「鹿肉は美味しい」と多くの人に思わせてしまえば良いぐらいに思っている。
 そういうのマスコミは得意なんだからこういうときにもしっかり働いてくれと思う。多くの人が流行のモノやら人が美味しいと言っているものを美味しいと感じるのだから、「鹿肉は美味しい」って宣伝してくれ。
 人の評価によって美味しいかそうでないかが違ってくるような「普通の人」をバカにしているように思うかもな書きぶりだけど、まあバカにもしてるけど、高級なワインを飲んだときに、美味しさを感じる脳の部位の興奮の仕方が値段を聞いたときの方が聞かなかった場合より大きかったとかいう実験報告とか読むと、美味しいと感じるのは「味」からだけじゃなくて、もちろん臭いや見た目もあるだろうけど、その食材や料理にいかに価値があるかとかの情報も含めて味わっているんだというのが本質で、評判とか人の評価も含めて美味しいと思うのもあながち間違ってないんだろうと思う。
 
 ということでグルメライターやらマスコミの皆さん、「鹿肉は赤身でヘルシーでオイシー」だの「本格ジビエ料理がオシャレで素敵でエコでロハス」だの「賢い消費者は日本の農林業を守るためにもジビエの利用を」だの適当にそれっぽいこと書いて消費者に「鹿肉は美味しい」って思わせてくれたまえ。お得意でしょ?

 この情報化社会で「無知は罪」であり、知らなかったではすまされないというのは肝に銘じていたつもりだったけど、有害鳥獣の駆除数がこんなにも多いとは正直調べるまで思ってもいなくて桁が一つぐらい違っていて驚いた。
 野生動物に関してなんて興味のある分野でこの体たらくで、自分がいかに知らないことだらけなのかと思うと暗澹たる気持ちになる。人のことバカにしてるくせに自分だって無知蒙昧じゃないかとね。
 まあ、知らなかったことを知ることは楽しいことでもあるので、せめて興味のあることについては情報に敏感に反応して、気になることはネットでも図書館でも専門家に聞くのでもいいので調べてみるよう心がけたい。

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