2018年1月21日日曜日

BBCにようこそ

 BBC(英国放送協会)はその名の示すように英国の「NHK」のような公共放送局で、賢明な読者のみなさんなら「ナマジそれ逆!」ってつっこみ入れてるところだと思うけど日本の公共放送局であるNHKがBBCの真似なんである。なにせ世界初のテレビ放送を1936年に開始したっていう老舗中の老舗放送局である。
 そんなことはどうでもいいんだけど、我々昭和世代の生き物好きならBBC作製の映像は脳裏に刷り込まれているはすで思い入れも深いはずだ。
 「見た憶えないんだけど?」と首を傾げている方も生き物好きなら「野生の王国」はます間違いなく見てたはずである。私もテーマ曲の「パーパッパパパパー」「トゥートゥトゥトゥトゥ トゥトゥットゥットトゥ~トゥ~」てな歌詞(若い人ポカーンかもしれんけどマジでこんな歌詞なんです。嘘やと思ったらユーチューブとかで聴いてみてね)と全力で飛び跳ねるカンガルーが蹴っ飛ばした石がオーストラリアの赤い大地の砂埃をまとってミサイルみたいに飛んでいくスロー映像が脳内自動再生余裕なぐらい刷り込まれている。
 その野生の王国の見城美枝子さんと専門家とかがしゃべって解説入れてた映像の結構多くがBBC作製だったんである。延々とオーストラリアの珍しい猛禽類とか流してる回とかあって、なんでそんなマニアックなところを特集するんだろうと思ってたんだけど、今思うと元植民地の大英帝国つながりだったんだろうな。
 マニアックさではネズミの死体にウジがわいてきれいに骨だけにされるまでを超早送りで映しだした映像とか当時はそんな映像初めて見たのでその技術力の高さにびっくりしたものである。
 とにかく滅茶苦茶高い技術で撮られた映像がしかも美しくって、日本の映像技術は当時それほどじゃなくて日本の動物を撮った国内制作の映像とかの回は子供心にショボいと感じてしまったほど差があった。

 というのは昔話で、、今じゃNHKも結構やるときはやる感じになっていて、東京海底谷とかダイオウイカとか深い海からすごい映像撮ってくるしダーウィンが来た!なんていう子供から楽しめる娯楽番組でも目から鱗の面白さを連発してくるしで、NHKに受信料払ってるパトロンの一人として、最近はうちの局もけっこうやるんですよフフフ、と余裕の笑みを浮かべていたのである。
 その笑みが次第に凍りつき、悔し涙に変わるまでそう時間はかからなかった。
 我々のNHKは、報道とか見ないので知らんけど、生き物の映像において過去のBBCになら勝てるところまできたということは身贔屓除いて正当な評価だと思う。それは誇れることだ。でもBBCも先に進んでいるんである。いつまでたっても追い越せないアキレスの追っかけた亀みたいに。
 今回観たいアニメのために見放題系有料動画配信業者のNetflixを契約して、ついでと思って観たBBC作製のドキュメンタリーで改めてその実力を思い知らされることになったのだけど、実はそれ以前にもBBC作製の映像は結構みていて。その時はそれほどすごさを感じてなかった。具体的には当のNHKが日本語のナレーション入れて放送している「地球ドラマチック」がそうだし、アマゾンプライムにもいくつかあって観ている。地球ドラマチックは基礎的なことを分かりやすくという感じでそれほどすごみを感じなかったし、アマゾンプライムの方は今思うと2000年代とかのちょっと古い作品だった。プラネットアースとか観たことあったよねっていう既視感なのか本当に観ているのか分からないぐらい、よくありそうな自然の美しさを楽しめる映像だった。悪くはないけど今日その程度なら既に見たことがある映像だ。
 これがネトフリで観た今時のBBC作製の映像は、なんというか「日の沈まない国」と呼ばれるほど植民地をかかえ隆盛を極めた帝国の末裔の、中世の博物学とかから連なる科学の歴史の重みとか凄みを感じざるを得なかった。例えるなら「ダーウィンが来た!」と嬉しがっている国とダーウィンを産んだ国の差のようなものを感じたのである。
 別にBBC作製の映像が学術的に専門的高度な内容だったわけじゃない。楽しく学べる娯楽性の強い番組だったし、分かりやすく時にやりすぎ感のある演出もありがちな感じであった。でもその随所に、かの国が積み重ねてきた学術的な叡智の裏付けと、そういう叡智を享受し受け入れて慣れ親しみさらに上を求める一般の視聴者の肥えた目を感じずにはいられなかった。
 完敗を認めよう。そしてまた明日から上を向いて歩いていこう。アキレスは亀を追い越せる。いつまでも勝てると思うなよ、と負け惜しみを吐いてから。

 まず観たのは「デイビッド・アッテンボローの自然の神秘」というシリーズ。アッテンボロー博士はBBC作製の生き物番組ではお馴染みの名案内役なので聞いたことある人も多いだろう。個人的には日本語訳付きでテレビで放送された「地球の生きものたち(題名調べてみたけど自信がない)」が忘れられない。魚類、両生類、爬虫類、ほ乳類そして人間というように進化の道筋をたどるように毎回その分類ごとの生き物の特徴や生態について豊富な美しい映像をふんだんに用いて紹介しつつ、生命の進化やその歴史についてまで博士が分かりやすく案内してくれた。中学生ぐらいだったけど教科書なんかよりよっぽど理解が深まり、かつ心の底から面白かった。
 当時で既に初老の域にあったとおもう博士がご健在でかつご高齢にも関わらず相変わらず情熱的で、楽しくて仕方がないという感じで生き物の生態についてやその魅力について語っておられて、少年の日と変わらず生き物のお話を心ときめかせながら視聴させてもらった。
 今作では、特徴的な生き物を毎回2種ぐらい取りあげて、生物の進化とその研究の歴史も紐解く5回シリーズとなっていた、もう、番組を収録している場所が英国自然史博物館っていう、大英帝国がイケイケで世界中の珍しい生き物を集めまくっていた時代の膨大なコレクションを母体にした博物館であり、説明する結構レアだったりする動物の標本がいちいち出てきたり、研究の歴史を紐解くときにはまさにその研究者が使った標本まで出てきたり、そういった研究の発端には王族やら貴族やら金持ちがパトロンだったり、珍しい生き物を収集していたりということが大きく関係していたりして、その貴族のペットを画家に描かせた絵画なんてのも出てきたりして、ああ、今に連なる生物学とか進化の研究とかって源流は英国とか欧州にあるんだな、かの国ではそういった興味が科学者だけでなく王室含めた広く一般にまで根付いているんだなと思い知らされた。我が国も皇室は生物関係の学者様を多く輩出していて、図鑑の執筆者に漢字2文字の名前が並んでいて、一瞬中国出身の研究者かな?メイ・ジン博士って読むのかな?とか思ってよくよく見ると天皇陛下で、だから名字がないと気づいて自分のあまりの不敬さに深く反省したぐらいである。
 でも、教科書に載ってるような今につながる「進化」なんていう概念を登場させたのが自国の研究者であるダーウィンとウォーレスであるとか、彼の国では思いっきり幕末もののドラマの登場人物並みに親しまれていそうで、かつ、世界中に植民地があって世界中からもの集めまくっていた結果の収集物を実際に展示している博物館が生物史博物館だけでも超弩級なのに、今回調べて別物だと知って個人的に驚いているいわゆる「大英博物館」が別にあって、さらに植物も当然集めまくってたんだけど「王立キュー植物園」まであって、ロンドンっ子ならそういう科学の歴史が作られたときの証拠となったような標本の現物が見られるのである。
 分かりやすい例をだすなら、「生物は多様性を持つ」なんていう事柄は自然史博物館の本当に膨大な量の蝶のコレクションとか見たら物量で体感的に分かるんじゃないかと思う。
 番組でも科学者間にツギハギの偽物か実在の生き物か論争になったカモノハシとか、ホイホイと当時オーストラリアから送られてきた標本そのものが出てきたりして、これは説得力がある映像だと感じさせられた。
 お金持ちのコレクターやらに採集してきた珍しい生物を売って探検旅行に行ってた探検家兼科学者ってウォーレスやベイツに代表されるように生物学に多大な貢献したわけだけど、ベイツっていったら毒のある生き物に似せた模様とかに進化した「ベイツ型擬態」に名を残してるんだけど、そのベイツが南米で採ってきたベイツ型擬態をする蝶は、擬態の元になった種が地域ごとに模様が差があるのに対応して同じように模様を変えているなんてのを、アッテンボロー博士が標本箱からヒョイヒョイと実物の標本つまみ出しながらホラネッて感じで示されると、もう多分このことは忘れることなどないだろう。おそらくこの驚くべき真似ッコぶりはどこかで知識として目にしていたかもしれない、でも現物示されて上手に印象的に説明されると、本当に自然の仕組みの巧妙さに驚くとともに心に刻まれるのである。
 シマウマはなぜ縞模様なのかというのもやっていて「それならダーウィンが来た!でもやってたから知ってるヮ、虫除け説が有力なんやろ」と安心したんだけど、結果は眠り病を媒介するツェツェバエに刺されにくくするためであってたんだけど、その解明に至る道がもう歴史ロマンですよこれが。まずは、アフリカでなぜか馬やら人は刺されるのにシマウマが刺されないというのが知られるようになって、シマウマが調教できたらアフリカ開拓が捗るだろうということで、なぜか銀行王国のロスチャイルド家の変わり者がシマウマを調教しようとして何とか馬車を曳かせるまで行ったんだけど実用化普及するまでにいたらなかったとかいう、面白うてやがて哀しきお話も出てきたりして、やっぱりくそ面白いんである。
 ぼろ負けの中で、唯一の救いはカタツムリの話のなかで、左右非対称のカタツムリを食べるために片方の顎だけ歯が発達した蛇がいるという話が出てきて、たしか日本にも1種先島のほうにそんなのいたよな、と思っていたらまさにそのイワサキセダカヘビがカタツムリを襲っている映像が流れて、これが詳細に調べた日本人研究者の撮った映像だったことで、日本の科学者はやるときはやるんですよ!と溜飲が下がった。ちなみにカタツムリふつう左巻きの種が多いのに、カタツムリ喰いの蛇がいる地域では右巻きの種の方が多くなるそうで、左巻きのカタツムリをサザエの壺焼きから爪楊枝でクルンッと身を引き出すように食べるために特化した歯をもった蛇は右巻きのカタツムリを上手く食べられない。生き物って面白い。

 まあ、最初の1シリーズで打ちのめされて、これは最近のBBCものは期待して良いなと2つ目はもいっちょアッテンボロー博士の「極楽鳥の世界」を視聴したらまた最高で、実はアッテンボロー博士人生で一番情熱を費やしたのは極楽鳥で彼らとの出会いが人生を変えてしまったというほどの極楽鳥マニアで、もう博士ウキウキのノリノリで絶好調。
 原産地のニューギニア島から東南アジアを経てヨーロッパにもたらされた極楽鳥の標本が死後の極楽の世界で霞食って生きていて地上にはおりてこないので足さえ生えていないという伝説上の生き物として珍重されてきた歴史やらから始まって、ご自身が若いときに現地人以外で初めてその生態を目にすることになるニューギニア島へのカメラマンを連れての探検の旅の様子とか、今でこそニューギニア島には日本の釣り人もパプアンバス釣りに行ったりして多少馴染みはあるけど、白黒映像の時代には当然のごとくまだ首狩りの習慣とかも残っていたはずで、ものすごい冒険的な旅だったのだろうと思う。当時の現地の人たちの祭り装束の各種極楽鳥の羽を使ったきらびやかさが、白黒なのにアッテンボロー博士の熱のこもった解説で色を帯びて蘇るようだ。
 やはり素晴らしいと感嘆していると、現在極楽鳥の保護のため繁殖について研究している研究施設を博士が訪れるのだけど、これがアラブのお金持ちの私設の研究所のようで、いつの時代にも科学だの芸術だのを支援するお金持ちってスゲーとこれまた感嘆させられた。

 という感じですっかり負け戦なんだけど題名が「サメ」というのを見つけて「サメならワシちょっと自信あんねン、日本の研究者もがんばりまくってるし、ヒラシュモクが斜めって泳いでるのとか日本人が明らかにしたんでっセ。歴史も文化も鮫皮を刀の握りにしたり下ろし金にしたりしてきた文化の、っていうか日常的にサメの干物食って育った人間やぞ。ちょっとやそっとでは驚かんから覚悟しとけヤ!」と闘いを挑んだ。
 いうてもアッテンボロー博士が面白いってだけで、BBC自体はそれほどでもないってこともあり得るだろうと、一縷の望みを抱いて観ていくと、最初南アの「サーディンラン」という大量のマイワシの仲間が沿岸沿いに北上していくのをサメからマグロから鳥からイルカクジラホモサピエンスまでが追っかける大饗宴になる現象が知られてるんだけど、その映像の紹介でマイワシをカタクチイワシ(日本語訳がそうなってるのに加えアナウンサーも英語でアンチョビーと言っている)と間違えていて、おいおいそんなんで大丈夫かBBCさんよぅ、とちょっとほっと胸をなで下ろしコレは勝てるかもと思ったんだけどティータイムのスコーンとクロテッドクリームの上に乗せるジャムより甘かった。
 ちょっと演出過剰気味でかつ欧米風の動物保護団体臭さも鼻についたりもするんだけど、それでも至る所にこれでもかというぐらいに知の美が夜空の綺羅星のごとくきらめいていた。興奮させられた。
 イワシの大群に群がるカマストガリザメの大群に続いて、いろいろな生態のサメの紹介が続いて、底棲性のサメとして、髭モジャの上から押しつぶしたようなサメが映し出される。「アラフラオオセ、英名タッセルドウッビーゴングとはまた渋いところを持ってきたな、でもそのぐらい知ってるデ」と思いつつアナウンサーがタッソードウビゴンって言って字幕にアラフラオオセと出るのをホッとしつつ視聴していた。アラフラオオセはその名のとおりオーストラリアからインドネシアのアラフラ海に棲む日本にも棲んでいてみなさんおなじみのオオセの仲間である。オオセとの違いは髭モジャ具合が激しく枝分かれしているので見た目ですぐ見分けられる。底棲性のサメって比較的飼育しやすくこの種もたまに観賞魚ルートに乗るので学生時代観賞魚専門誌で読んだのを憶えていた。
 オタクの定義に「興味のあることは一度目にしただけで記憶して忘れない種族」というのがあるけど、若い日の私の記憶力は魚オタクの名に恥じぬものだったと自負している。それが最近ときたらもう・・・グチりたくなるていたらくだ。
 珊瑚礁の海底で見事にコケの生えた岩のように擬態して小魚を補食した映像が流れて、次のサメにという流れなんだけど、なぜか餌がこなくて場所移動したアラフラオオセをカメラが追っていく。まだ何かあるのか?と怪訝に思って視聴していると、岩陰に入り口を頭に定位したアラフラオオセがしっぽをユラユラとゆらし始める。解説によるとしっぽで小魚が泳いでいる様を擬態し、岩陰が安全な隠れ家であると見せかけて餌を誘っているんだそうな。確かになまめかしくうごめく尾鰭は単独でベラの仲間のような背鰭がつながった小魚に見える。オオセの仲間は海底にへばりついて餌に奇襲を食らわせる戦略が硬骨魚類のアンコウ類と収斂進化しているとは感じていたけど、餌の小魚をおびき寄せるルアーを持つところまでにているとはアラフラオオセ恐れ入った。小魚を小魚の仲間で呼ぶのでルアーというより鮎の友釣りに近い技か?クッソこんな面白い話初めて目にしたぞ。
 やられた感ありありでその後もワクワク視聴していくと、ニシオンデンザメが出てきてさすがにコレはオレもそれなりに詳しいはずと思いつつ、解説の、最近まで犬の餌として利用するイヌイット以外には知られてなかった、あたりに「たのんまっせBBCさんアイルランドでは昔から漁獲されててくさやの干物みたいな激臭干物ハカールが伝統食として残ってるぐらいでイヌイット以外でも知ってまっせ」とつっこみつつみていると、非常にゆっくり泳ぐとか、それ日本の研究者が報告してまっせな情報を挟みつつ顔が大写しになった。かわいそうに目玉に寄生虫がついていて、この手のカイアシ類系の外部寄生虫ってヌメリゴチの仲間の目玉にもつくよねと思ってたら、この寄生虫ニシオンデンザメの目しからしか発見されていないようで、しかもニシオンデンザメのほとんどの個体が寄生されていてニシオンデンザメ盲目だということである。ほとんどの個体は嘘だろと信憑性を疑うが、ちょっとネットで調べてみても目に寄生されてる画像が多い。有名な話で、イヌイットは氷に穴をあけて木の棒の単純なルアーで穴の近くまでおびき寄せたニシオンデンザメを銛で突くという漁法があるんだけど、盲目だとすると音とか水流の変化でルアーを追っているのだろうか?謎が謎を呼ぶ神秘の巨大ザメである。
 サメ好きなら誰しも思うだろう疑問、サメ類最速の泳者であるアオザメは実際にはどのくらいの早さで泳いでいるのかというのにも果敢に挑戦していた。水中カメラを高速小型ボートで引っ張って興味もって追尾してきた速度を測るという単純明快な作戦。好奇心旺盛なアシカやイルカが追いかけてくるのはあるだろうけど、アオザメ追ってくるかいな?と懐疑的に見ていたけどなんとアオザメ追ってきた。しかもサメって水面のルアーに食ったところを何度か見ているんだけど、静かに体全体をくねらせるようにして泳いでくる印象があったんだけど、さすが高速遊泳に特化したアオザメ、紡錘形の体の体幹部分はブレずに固定したまま、マグロのように尾鰭だけを高速で振って高速遊泳していて痺れた。計測結果は45キロまで測ったところでボートのエンジンがオーバーヒートで煙はいて終了。最高速は「不明だ」という粋な結果。
 ほかにも、ニシレモンザメが胎盤とヘソの緒を有する胎生だというのは、サメの仲間では同じような胎生の種が結構いるので驚かなかったけど、胎生でヘソの緒があるので当然ニシレモンザメにはヘソもある。という豆知識には言われてみれば当たり前だけど、なるほどなと妙に感心してしまった。
 自分の得意分野のサメについても知らなかったことばかりである。こういう面白楽しい知識を英国民は公共放送で享受しているのかと思うと、アタイ悔しくて悔しくてッ!という感じだけど、改めて自分がものを知らないということを知ることの大事さを思い知らされた。それは自然やこの世の摂理というような人智を越えるものについて人間が知っていることなどたかがしれているということと、素人が多少知ってると齧った程度の知識で思ったところで専門家やらもっと知ってる人は世の中にごまんといるわけで、ユメユメおごらず謙虚に知識を求め続けていかなければいけないということ両方の意味においてである。孔子様ごめんなさいと謝っておこう。
 あと単純に映像が美しいというのもやっぱり評価を高くつけざるをえない。大海原をゆくヨゴレのきりもみジャンプを水中からとらえた映像とか、海山の上をゆっくりと羽ばたくように泳いでいく巨大なオニイトマキエイとか画的に迫力あって感動する。
 最近はNHKに限らず日本の撮影者も素晴らしいのを撮ってくるようになっているので負けてはいないと思う。「サメ」観てからダーウィンが来た!観たらホッキョクオオカミの生態を追った回で、北極の厳しく雄大な自然が美しくて、ほらねNHKだってやるときはやるでしょと思ってたら、撮影チームはドイツ人2人組だそうでギャフン。
 まあ、敵は強い方が燃える的に、お手本のレベルは高けりゃ高い方がいいだろうからNHKも負けずにいい番組作ってくれと願うのみである。勝ち負けつくような単純な話でもないだろうしね。

 ここまで読んで前回予告の「陽気なカエルはサンバを踊る」はどうなったんだとお怒りのみなさん。
 フッフッフ引っかかったな、これぞ忍法偽予告!
 さすがにカエルはサンバ踊ったりしませんゼ旦那。
 とはいえ全くの嘘偽りかというとそうでもなくて、最後にちょっと「自然の神秘」の中で考えさせられた話を紹介しておきたい。
 サンバガエルの話である。リオでは陽気なカエルが軽快なリズムに乗って腰をフリフリ情熱的にサンバを踊る、ってもうだまされる人もいないと思うけど一応しつこく繰り返すのも芸のうちなのでネチっこくいってみました。
 ほんとはオスが腰に卵をくっつけてオタマジャクシが生まれるまで世話をする「産婆蛙」なんである。オスだけど。
 スペインとかの欧州原産で古くから研究対象になっていて、比較的乾燥した森の中とかに棲んでいるので両生類では珍しく産卵を水中ではなく陸上で済ませメスが生んだ卵をオスが腰のあたりにくっつけてオタマジャクシまで育てて、オスが川とかまで運んでいって放すという変わった生態を持つ。
 産卵が水中ではないのでふつうのカエルのオスが水中でメスをつかまえるために前足にある滑り止めのツブツブの突起がこのカエルには見られない。
 ところがある研究者が、このカエルを何代にも渡って水の豊富な環境で累代飼育したところ、卵を水中で生むようになりオスがメスを抱くための突起も発達した、しかもその子供世代にもその形質は受け継がれたという報告をする。
 要するに環境によって生物の歴史から考えれば極めて短時間で進化が促進さるということが実験室で起こったのである。加えて獲得形質が次世代に引き継がれているように見える。高いところの木の葉を食べようとしていたらキリンの首が伸びた要不要説を支持するような結果でもある。
 時代はおりしも世界大戦前夜という空気の中、生物は新しい環境に適応してより良いものに変わっていけるという発表は、超人類の出現をも期待させ、国威発揚の流れの中、研究者は賞賛されるとともにあちこちに講演を依頼され時の人となる。
 ところがこの研究は大きな疑惑に巻き込まれていく。匿名の内部告発者が現れ、実験結果はねつ造である、オスの前足の突起も色素を使って作ったものだと主張し、マスコミはじめいつの時代でもそうだけど手のひら返して叩きまくり、研究者は失意の中「あなた方にいまさらなにをいっても聞いてもらえないだろうけど誓って私は不正などしていない」と書き置きを残して自殺してしまう。
 科学の世界で捏造事件なんていうのは古今東西数限りなくあって、昨年も我が国の最高学府でデータの改竄が問題になっていたぐらいにありふれた出来事である。まあ嘘ついても追試して再現性がなければバレるので何でそんなアホなことに手を染めるのかよくわからんけど、成果に対する重圧とか名誉欲とか科学者だって聖人君子ばかりじゃないのでいろいろあるんだろう。
 この事件もそういったありふれた捏造事件として記録に残っていたはずである。それを今わざわざ取り上げるところのアッテンボロー博士の鋭い感性と知りたがりな旺盛な知識欲に心底敬服する。
 この事件は、最近の生物学で熱い分野となっている遺伝情報の「可塑性」という概念が頭にあると、世紀の冤罪じゃないのか?という疑いが頭をよぎって背筋が寒くなるのである。
 今時の進化論の基礎には、環境に適応して新しい形質を収得しても遺伝子は変わらないので子の世代にその形質は受け継がれない、親が筋トレしてマッチョになっても、その子供はマッチョで生まれてこない。遺伝子が突然変異など変化して生まれた沢山の子供たちのうちに環境に適応したものがいたらそいつが生き残るという適者選択という概念がある。
 でも収得形質は遺伝しないに例外はあって、単細胞の生物とかならウイルスとかが運び屋になって新しい遺伝子を得て収得した形質があったら単細胞なので次の世代にもその遺伝情報が引き継がれる。生殖細胞が特別あしらえになっている多細胞生物では同じことは起きないけど、多細胞生物でも共生していた生物を取り込んで新しく得た能力とかは引き継がれていく。ミトコンドリアだの葉緑体だのである。とかが目にしたことがある例外。
 その他に、最近注目されているのがさっきの「可塑性」の「表現型の可塑性」と呼ばれるやつで、遺伝子が同じでもそれが発現して現れる表現型には、一卵性の双生児でも違う人間になるように遺伝子以外の要素で変わる幅があるという現象に関連して、遺伝子以外で何らかの遺伝情報が親から子に引き継がれ、例えるならマッチョが有利な環境下ではマッチョが生まれやすいというような現象が報告されてきている。収得形質が引き継がれることがあるようなのである。
 その知識を持って件の事件を見てみると、サンバガエルは遺伝的に表現型の可塑性を持っていて、おそらく先祖がそうであったように水中で産卵しオスの前足の突起も有する表現型になりうる要素をその遺伝情報の中にまだ持っている。でも水が少ない環境下では遺伝子以外の要素が働いて陸上で卵を生むし突起もできない。その遺伝子以外の要素は親が受けた環境要因で変化しかつ子世代に影響する。逆も真なりで水が多い環境にさらされると、遺伝子以外の要素が関係して水中型に変化しその子供世代にもそれは引き継がれる。なんてことが充分あり得るじゃないかと思えてくる。
 アッテンボロー博士も同じ疑問を持ったのだろう、実はサンバガエルには自然界で水中型が見つかっていることや、実験の追試は行われていないことを紹介して「事実は謎のままです」と締めくくりつつも、水槽に石で足場を作った水の多い環境でサンバガエルを飼っているように映像では見えて御歳90を越えても、真実を求める心にいささかの衰えもみえず実に正しく科学的なんである。
 最後にこの話を紹介したのには、あまりにも世の中「科学的」じゃないと思うからということがある。科学は万能じゃない、分からないことも多いし、今日の科学的常識は明日に陳腐なデマに変わり得る。でも今分からないことがあればなにが分かっていないのか明らかにし、分かっていることはどの程度確かなのか根拠をもとに示し、新しい知見が古い常識を覆したら知識を更新していく。そういう態度こそが「科学的」だとアッテンボロー博士がお手本を見せてくれているように思うので紹介したしだいである。
 「科学的に証明された効果」をうたう新商品は、100%正しいような誤解を招く表現であり、どの程度の確からしさなのか示していない時点で全く科学的ではない。アホなペテンにチョロく騙されるなって。
 「自分の目で見たものしか信じない」とかいう、手品師に速攻でだまされるような間抜けな価値観は全く科学的じゃない。ドイツのマックスプランク研究所だったかが、大規模な実験でなんか量子が光りより早いとかいう測定結果が出たときに、本当なら今の物理学をひっくり返す大発見だけど、理屈に合わないので自分たちの「科学的」な観測にどこか誤りがあったのかも知れないので、条件データ開示してどこが間違ってるのか指摘してくれみたいな発表をしたことがある。例え最新鋭の機器がはじき出した観測結果でも、理論から他の実験結果から総合的に勘案して論理的に疑わしかったら疑ってかかるというこの態度こそ科学的だと思うのである。目で見て脳が画像処理した程度のいくらでも誤りが紛れ込む過程を絶対的な根拠にする人間には爪の垢をせんじて飲んでほしい。マックスプランク研究所が爪に垢ためてるか知らんけど。

 ということで長々書いてみたけど、まあめんどくせえこと考えなくても面白いし、お試し一月は無料なのでNetflixお薦めします。
 別にネトフリにお金もらってるわけでもないのに2週にわたって宣伝くせえことを書いているなと思う。
 映像っていう芸術というか文化が、大企業様がパトロンになってた景気の良かったテレビの時代から、ネット配信含め多様化の時代に向かっているようにみえ、金払うオタクやら生き物好きやらもパトロンとしての役割が大きくなる時代を迎えようとしている。これまで大企業様の意向に合うようなクソみたいな大量消費礼賛の垂れ流しの番組を見させていただいてたのが、やっとオレらも堂々と意見を言う権利を得てオレら好みのモノを作ってもらえるような時代が来ているように感じている。
 でも自由と責任がセットなのと同様に権利と責任もやっぱりセットで、ちゃんとパトロンとしての責任果たさないとつまんねえことになるぞと感じているので、有料ネット配信を応援しつつちょっと一言書きたいというのもあった。
 単刀直入に書くと、ネットに違法にアップロードされた動画とか見てタダで済んだとか喜んでんじゃねえゾって話。ちゃんと苦労して創った人間が報われるような仕組みにしていかないと、面白いモノが創られにくくなると思うのである。
 購買は選挙なんかよりよっぽど直接的な「一票」入れる意思表示だと思うので、自分の好きなモノはちゃんと買い支えていくぐらいの度量がないと王侯貴族が果たしていたようなパトロンの役目は果たせないと思う。

 現代社会において私は奴隷で王様だ。

1 件のコメント:

  1.  NHKスペシャル「人体-遺伝子-」2回目で、DNAスイッチが入ってるか切れているかという部分が遺伝しているという仮説が紹介されていた。爺さんの世代が大豊作経験した村の住民が「沢山食べろ」「脂肪をためろ」というメタボ化のスイッチがオンになってるので心筋梗塞が多発したとか。
     山中教授も番組内で語ってたけど「コレが本当なら教科書書き換えなきゃならない」レベルの仮説でビックリした。
     たぶんDNA以外の卵細胞由来の物質を介して母ちゃん由来で引き継がれるんだろうと予想してたんだけど、父ちゃんの精子からも獲得形質が子や孫に引き継がれるってなかなか驚いた。事実は想像を超えるのかもしれない。
     父ちゃんマッチョなら子はおろか孫までマッチョってなことがあり得るって話だ。続報を待ちたい。

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